昨日の続きです。同じく氏の言葉を著書から割愛しつつ、紹介します。
〈 2. 瀋陽総領事館における脱北者への、不当な対応事件 〉
・外務省員に求められる第一の勇気は、危険を恐れず義務を遂行することである。
・瀋陽の総領事館で起きた、中国の武装警官による北朝鮮人亡命希望者の連行は、もとよりウィーン領事条約違反であったが、
・情けなかったのは泣き叫ぶ母子を日本側が傍観し、不可侵権を有する公館内に、警官の侵入を許したことである。
・国際法の基本を知らなかったことも問題であるが、相手が武装警官であっても強く叱責し、身体を張ってでも連行を阻止すべく努めるべきであった。
氏は、国権の意識のない外務省の後輩が増えている理由を、憂えます。氏が外務省のトップにいた時は、このような正論があったということになります。
・日本においては依然として、国旗・国歌を承認しないという勢力が、ことに教育職者間に多い。
・そもそも日本における反国家主義者の多くは、教条主義的左翼思想を唱えたり支持したりした者である。
・ソ連の崩壊時に、マルクス・レーニン主義の破綻を見せつけられても、改宗する勇気を持たないまま今日に至っている人が多い。
・これらのグループに属する人々の一部には、愛国心はあくまで否定すべきものであることを、もっぱら大東亜戦争への回顧のみから根拠づけ、
・社会愛、市民愛こそが、日本人の目指すべきものであると、唱えている者もいる。
・かかる主張の空虚さは、私がいちいち論ばくするまでもないであろう。
氏の指摘するこのグループが、嫌悪してやまない「獅子身中の虫」であり、「駆除すべき害虫」どもです。この害虫が小泉首相の靖国参拝に対し、中国と声を合わせ、大反対の合唱をしていました。
先頭に立っていたのは、言うまでもなく反日NHKと朝日新聞です。当時の日本でこうした著作を出すには、外務省の元高官であったとしても勇気が必要だったと思います。
・国家のために必要な時は、西園寺の言う大勇が必要なのであろう。
・外務省改革問題の嵐の中の現在、私は村田次官の大勇を評価する。」
巻頭の岡崎久彦氏の言葉が、大げさなものでないことが分かります。
・相手の意を迎えることが外交だと錯覚したり、本人が意図している訳でなくても、売国的と見なさざるを得ない土下座外交的行為を結果として行ったり、
・日本の正当な主権が侵害されることに対し、憤りを示さなかったりする鈍感な省員がいた、ここ数年の外務省の風潮に警鐘を鳴らすため、
・私はあえて 「愛国心」 なる言葉を用いる。愛国心なき人間は、良き国際人ではあり得ない、というのが私の信念である。
ここまで率直に意見を述べる高級官僚を知りませんが、外務省の後輩たちが、愛国心を失った原因を語るのなら、もう一歩進めた本音を言ってもらいたい気がしました。
つまり「憲法改正」です。自分と同じ問題意識なので、どうしても期待しました。しかし本が出版されたのは第一次小泉内閣が発足した時で、「憲法問題」に触れるのさえタブーでしたから、氏への期待はここで止めます。
忘れてならないのは、矢張り元文科省の次官だった前川氏のことです。
氏は今年の8月に講演会に講師として招かれ、平成27年の安保法制反対デモの時は、シールズとともに国会前にいたと語りました。
・集団的自衛権を認めるのは、憲法違反である。
・国家権力が私物化される有様を、国民に知らせるべきと思った。
・デモに参加していると分かったら、自分は次官になれなかったと思うが、バレなかったので次官になれた。
氏は、村田氏と同じく率直に意見を述べた高級官僚ですが、話している中身は月とスッポン、提灯に釣鐘、比較するのさえ腹立たしくなります。
政府の行政官として氏が反政府デモに参加していたこと、それを恥と思わず笑い話にする。デモに参加していたというのですから、氏は反日左翼の支持者です。
文部科学省のトップに「獅子身中の虫」が座っていたという、空恐ろしい話ですが、今もって責任を問われず放任されたままというのは、どういうことなのでしょう。
外務省にはまだ村田氏のような人物がいますが、文科省には誰がいるのか。前川氏に似た反日左翼の官僚たちが、せっせとお花畑を広げる政策を推進しているのでしょうか。政府を追求するのなら、国民はこんなところを責めなくてはなりません。モリカケ問題など、これに比べたら枝葉末節の問題です。
同じ話をしても、村田氏のような政府高官が語れば世間は耳を傾けます。息子たちもそうである気がしますので、長くなっても氏の言葉を紹介しようと思います。
・占領期間中に、日本の過去がことごとく断罪されたことにより、日本人は、日本という国の成員として生きて行くほかないにもかかわらず、
・日本人であることに、後ろめたい感情を抱く人々すら出てきた。占領中に禁止された国旗と国歌は、主権回復後40年間も公的に認知されなかった。
・ようやく法的に認知された現在でも国の祝祭日に国旗をあげる家庭は少ない。
・戦前は国旗が祝祭日に、各戸の門前に掲げられていたことを記憶している私は、50余年前の敗戦と占領のため、国民がいかに心理的に、かつ巧妙に、いかに深く傷つけられたかを痛感する。
・本にとってさらに不幸であったのは、日本人の中から一転して、過去の全てを清算すべしという者が輩出し、むしろ彼らが、言論の主流を占めたことである。
・情けなかったのは、戦争中、戦争を鼓舞した知識人や言論人の中から、いわゆる戦後民主主義者なる者が、学界でも報道界でも、
・雨後のタケノコのごとく出現して、日本の過去をほぼ全面的に否定し、占領軍の導入した政策を、手放しで礼賛したことである。
良い例が先日「ねこ庭」で取り上げた、大江健三郎氏です。氏は自ら戦後民主主義者と名乗っていましたが、戦後民主主義者というのは、戦後になり、以前の主張を変えた変節漢だったということです。
いわば今回の衆議院選挙で、希望の党の推薦が欲しさに、これまでの主張を捨て、安保法制と憲法改正に賛成した民進党議員と同じ恥知らずということになります。
これでも民進党の議員や、反日左翼の共産党に票が入るとしましたら、日本の再建は遠いと覚悟しなくてなりません。今回の選挙で害虫が駆除されるという期待は、甘いのかも知れません。
文科省はトップに反日左翼の次官がいて、外務省には愛国の次官がいて、まさに人生いろいろ、官僚もいろいろです。明日からは、官僚だけでなく、「政治家もいろいろ」という事実を、村田氏の著作から紹介してみようと思います。