今回は、共同通信社の記事に戻りました。同社によるインタビュー形式で書かれています。
・2025 ( 令和7 ) 年は、「昭和100年」にも当たる。
・自分が書いてきたのは「同時代史」であり、これからは「歴史」の解釈に移行する時期だと語る。
戻ってきた記事の最初の6行です。これが年頭に語った氏の言葉だとすれば、氏は自分のやってきた間違いが今も分かっていないことになります。
「帰国した兵士の手紙」を読み、「ねこ庭」は氏が「同時代史」を客観的に書いていないことを知りました。「反戦平和」の思考に立ち、日本の過去を否定する側からの歴史を終始書いています。妻や子や家族を守るため国に命を捧げた兵士の言葉は、一つも取り上げていません。
氏の姿勢は「恨みと憎しみのない」客観的事実の整理をせず、反日リベラルの立場から日本の歴史を解釈し、意見を述べています。そんな氏が、
これからは「歴史」の解釈に移行する時期だ・・というのでは、これ以上どのような解釈をするのかと空恐ろしくなります。
・僕は、こんな事実があるという話を掘り起こしてきました。それは同時代の感情にまみれている。
・歴史的解釈というのは、そうした情を削りながら考えることなんです。
「ねこ庭」から眺めますと、氏がまみれている「同時代の感情」は「東京裁判史観」に他なりません。氏が削り取らなくてならないのは、日本をダメな国とする「東京裁判史観」ですが、気づいている気配がありません。
・20世紀において、特攻とか玉砕とか最後の一兵まで戦うという国は、日本以外になかったですね。どの国も兵の消耗率を考えて、無理なら撤退した。
すっかり著名人となった氏の意見が、共同通信社の提供する1ページを使って掲載されています。今年もこれを読む国民が騙されるのかと「ねこ庭」は考えます。
「温故知新の読書」で教えられた、毛沢東の言葉があります。
・中国軍には、日本にあるような近代的武器はない。しかし中国には11億の人民の武器がある。
・日本との戦いにはゲリラ戦が最も有効で、敵が怯んで動けなくなるまで人民軍を投入する。日本軍はたかが2 、30万人の部隊だ。11億の人民の武器が押し寄せて包囲したら、時間と共に補給路を断たれた日本軍は孤立し、我々が勝利を手にする。
砲弾が尽きるまで敵を倒しても、地からでも湧いてくるようにゲリラ兵が襲って来たと言います。ゲリラ戦の激しさは、同時に中国軍の人間消耗戦の信じられない激しさでした。
兵を武器と考え、たとえ1 億人失っても中国にはまだ10億人の人間がいると豪語した毛沢東について、氏は知らないのか、それともわざと語らないのか。
中国共産党軍のゲリラ戦を知っている人間には「どの国も兵の消耗率を考えて、無理なら撤退した。」という氏の説明が作り話だと分かります。
それなのに今年も「こんな国は、日本以外になかった」と、氏が日本の悪口を言っています。記事にする共同通信社も、どうかしているのでないかと考えさせられます。
・玉砕とか同時代の中では「愚かだな」というけど、歴史的解釈ではどうなるのか。
・人間をこれだけ粗末にした国が、なぜ今ある姿になっているのかを考え抜くべきなのです。
なるほど共同通信社は、氏のこの言葉を記事の見出しに使っていたのです。人間を消耗する武器と考え、ゲリラ戦で大量消耗させた中国共産党の国が、氏には人間を粗末にした国と映っていないようです。
話が横道へ逸れますが、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に、小林よしのり氏が保坂氏を評価した言葉を見つけましたので紹介します。 ( ウィキペディアの情報だったと思います。)
・戦争の原因を自国の中でのみ探り、外国の視点がまったく抜け落ちているため、狭い蛸壺に入ってしまったような歴史観になっている
・小林は、保阪の歴史観を「蛸壺史観」と評している
「日本だけが間違った戦争をした」「日本だけが悪い国だった」という「東京裁判史観」の蛸壺から、首だけ出して氏は世界を眺めています。
「女性宮家」と「女系天皇」に賛成するなど、小林氏も保守か左翼かよく分からない人物ですが、この評価は「言い得て妙」の感があります。
・取材で米国やロシア、中国などを回るたびに、必ず自分と同年代の人間を探し出して話を聞いた。
・その中で気づいたことがある。
・「あなたは軍隊経験があるか。」と聞くと、たいてい「ある。」と答えます。
・そこで「自分は鉄砲を持ったことがない。」と話すと、みんなびっくりするわけ。同時に「その方がいいよ。」と、うらやましがる。
取材で米国、ロシア、中国を回っても、「蛸壺」から出て話を聞かない限り、ツボに邪魔され相手の話が体全体に響かないのではないかと、そんな気がしてきました。「ねこ庭」が審査員だったら、「蛸壺史観」を今年の「流行語大賞」にします。
次の記事は節を変えて、共同通信社が「まやかし」という見出しをつけています。この記事は「まやかし」ですと、読者に注意喚起しているのか、よく分かりませんが、ちょうど良い具合にスペースがなくなりました。
「まやかし」の記事の検討は、次回になります。
確かに「戦争体験」と言うのは、人によって千差万別です。
然し、どのような体験を告白しようが、
そのかたがたの自由ですし、それぞれ皆
貴重な証言だと思います。
しかし、こういう問題は、公平に両論併記すべきことですが、
それがなっていないのが、腹立たしいです。
私は、例の「聞け、わだつみの声」は、持っております。(岩波文庫版です)
また、「靖國神社」に保管されている英霊の遺文集も拝読しました。
なお、上記の「岩波文庫版の「聞けわだつみの声」」は、終戦直後に編集された同書よりも
公平な再編集がなされていると?言う説もあるようですが、
私には、そこのところは判断できません。
ただ、「岩波文庫版の、聞けわだつみの声」は、「靖國神社の英霊の遺文集」
と、共通の書簡も掲載されていました。
私には参考になることでした。
◆小林よしのり氏は、確かに保守か左翼か、わからない人ですが、
たまには、きらめくような、名言を、おっしゃることもありますね。