腰を据えて、保坂氏と共同通信社の記事を検討すると決めましたので、同社の記事を全部紹介します。
・終戦の日を保坂少年は、北海道南部の八雲町で迎えた。
・当時5才、翌年4月に新たに生まれ変わった八雲小学校に入学した。
・自らを、「戦後民主主義の第一期生」と語る。
・戦時の灯火管制がなくなり、街が明るくなった。それが保坂さんの戦後の始まりだった。
次の9行を転記して分かりましたが、紙面は「ねこ庭」が予想していた氏の寄稿でなく、共同通信社によるインタビュー記事でした。
・小学校の校庭に、天皇の御真影と教育勅語を収めた奉安殿があったんですね。戦時中は神聖な場所です。
・それをある日、校長がツルハシを振るって壊していた。子供心に、何でこんなことをするのかと思いましたね。
「ねこ庭」の管理人である私が生まれたのが昭和18年12月9日で、昭和14年12月14日生まれの氏は、5才年上になります。
当たり前の話ですが、氏が小学校一年生だったのは昭和20年で、私が一年生だったのは昭和25年です。小学校の正門脇の築山にあったのは、奉安殿だったのか、奉安殿跡だったのか、自分の記憶を辿ります。
連合国軍 ( GHQ ) による統治が、昭和20年9月から昭和27年4月まで約6年半ありました。
サンフランシスコ平和条約の発効が昭和27年4月で、日本の独立はこの時、つまり私が一年生に入学した2年後です。
GHQが全国の学校にある「奉安殿」をそのままにしておくはずがありませんので、私の記憶にある「奉安殿」は「跡地」だったことになります。
私も「戦後民主主義の第一期生」の範疇に入るのかどうか知りませんが、氏の話は自分の記憶と重なります。
・午後3時20分になると、みんな学校近くの踏切まで走りました。
・進駐軍の米兵を乗せた列車が通る時に、ガムやチョコレートを投げてよこすからですね。
・僕は父親に「拾うな」ときつく言われていたので、美味しそうに食べている友達が羨ましかった。
私の思い出は列車でなく、街を走る米兵のジープでした。追いかけて来る子供たちを見つけるとジープを止め、ガムやキャンデーを手渡しでくれました。差し出される子供の手の数が多かったので、与える菓子がなくなると彼らは手を振って走り去りました。自分もガムやキャンデーをもらったのか、どんな味がしたのか、何も覚えていません。
・授業を突然自習にして、窓際で外を見ながら涙を流している先生とかいましたね。
・戦争で家族を亡くしたんです。そう言う時代でしたね。
慌ただしい戦後でしたから、5年も経つと世相が変わったのでしょうか。私の記憶には、子供の前で涙を見せるような先生はいませんでした。
次の記事は氏の話でなく、共同通信社の説明です。
・京都の大学を卒業後、会社勤務を経て、1970 ( 昭和45 ) 年代から戦争の聞き書きを始める。
・「兵士は何のために死んだのか」を知りたかったと言う。取材相手は、川べりなど人気のないところへ連れ出して聞く。
・すると兵士たちは、時に家族にも話していない、胸の内をとつとつと明かした。
次の記事は、インタビューに答えた氏の話です。
・早稲田の英文科を出てインドネシアで従軍した人ですが、不意打ちで休息中のオーストラリア兵らを全滅させたんですね。
・死んだ中に、手紙を書いている途中の兵士がいた。
・読んだら、「お父さん、お母さん、あと1週間で除隊です。帰ったらあのレストランで、食事をしましょう。」とある。
・彼は手紙を捨てることができなくて、靴下の中に入れて引き揚げてきたのです。そして「保坂さん、預かってくれないか。」と言う
・断りました。
・彼は死んだ後でお棺に手紙を入れてもらって、家族に内緒のまま一緒に灰になりました。
次の記事も、インタビューに答えた氏の話です。
・中国戦線で上官に、「始末しろ」と言われ、5才の子供を撃ち殺した兵士。共産党員をより分けて、皆殺しにした兵士。
・そうした秘密を聞き出すことは、「取材者も、そのつらさを一緒に背負い込むことになるのだ。」と言う。
・話を聞いて地下鉄で帰る際、自分の体と意識が遊離しそうになったことがある。消耗します。聞き書きというのは、本当に応分の構えがないとやれないんですよ。
保坂氏と共同通信社が紹介している兵士の告白は、作り話でなく事実だと思います。戦争時の異常で深刻な出来事ばかりですが、「ねこ庭」はどの話にも心を動かされませんでした。
文筆を仕事にしている氏と共同通信社ですから、文章がまずい訳がありません。書いている当事者に何か足りないものがあるのか、胸に響くものがありません。主観の問題なのか、「ねこ庭」の先入観がそうさせるのか。
次回は過去記事の中から、「ねこ庭」が読後に涙を拭った兵士の手紙を一通紹介します。単なる主観の問題か、「ねこ庭」の先入観が邪魔をしているのか、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に比較して読んで頂けたらと思います。