ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

朝鮮 - 4 ( 金氏の日本攻撃と、北礼賛 )

2018-07-29 23:04:51 | 徒然の記

 同じ恨日の韓国人でありながら、捏造の歴史を信じている金氏と、事実を知りながら反日であり続ける李氏と、対照的な二人です。

 金氏の著作が出版されたのは昭和33年で、李氏の本は50年後の平成21年です。嘘混じりの歴史で、好き放題に日本を批判した金氏と異なり、韓国のインテリ層も50年経てば、根拠のない捏造で日本を攻撃し続けるのは、国の恥と自覚したのかもしれません。

  昭和33年は、どのような年であったか調べてみました。

  1月 日本、国連安全保障理事会の非常任理事国に。
     東京通信工業、社名をソニーに変更。 

  2月 韓国から抑留漁夫300人第一次帰国。28日第二次帰国。

  3月 関門国道トンネル開通。 国立競技場完成

  4月 東大生技研究所「宇宙観測用ロケット・カッパー150S型」発射実験に成功。

  5月 広島の平和記念公園で「原爆の子の像」の除幕式。 
     テレビの受信契約者数が百万を突破。
     第3回アジア競技会、東京で開催。

  6月 第二次岸内閣成立。
 
  9月  藤山・ダレス共同声明。日米安保条約改定に同意。
     総評・日教組、勤評反対全国統一行動(~11.26、第4波)。

    11月 東京~神戸間に特急こだま号運転開始。
              警職法改悪反対闘争、国会の抜き打ち会期延長で激化。広範な統一闘争に。
              皇太子明仁様と正田美智子さんの、婚約発表

    12月 一万円札発行。 東京タワー完工式

  敗戦から再出発した日本が、経済を次第に力をつけていく時代でした。政界は自民党と社会党の二大政党で、総評と日教組が力を振るっていました。

 注目すべきことは、鉄のカーテンの向こうにある社会主義国家の動静でした。マルクス主義の思想が、輝やく星のように多くの者を惹きつけていました。

  1月 中華人民共和国、   第二次五カ年計画 

     朝鮮民主主義人民共和国、第一次五カ年計画

  8 月 中華人民共和国 大躍進、人民公社運動開始

  9 月   ソビエト連邦、 ノバヤゼムリアで、核実験実施

 朝日新聞がどれほどの大見出しで、毛沢東の中国を礼賛していたか、記事だけでなく写真も覚えています。嘘みたいな話ですが、当時の社会主義国は人類のユートピアとして輝き、伝える朝日新聞も輝いていました。

 没落した大地主の息子だった金氏も、マルクス主義に心酔していて、次のように述べています。

 「1930年代 ( 昭和5年 ) に入ってからは、独立・革命のための戦いは、いっそう熾烈なかたちで戦われ始めていた。」「金日生の、抗日パルチザンがそれである。」「この革命運動の特徴は、消極的な闘争方式から、新しい方式である遊撃武力闘争に転じたことである。」

 「頑強な共産主義者の指導のもとに、進歩的な労働者や農民、学生たちにより、抗日パルチザン隊が組織された。そして、この中心となったのが金日生だった。」「このパルチザンは、長白山を根拠地としていたので、金日生は長白山の虎、あるいは白頭山の虎と言われるようになった。」

 「中でも特に有名なのは、1937 ( 昭和12 ) 年に朝鮮国内で行われた、普天堡の戦いであった。」「金日生は、革命軍の一部隊を率いて、鴨緑江を越え祖国へ向かい、日本帝国主義に重大な打撃を与えた。」

 「普天堡における革命軍の銃声は、日本帝国主義の暴虐な軍事警察のもとに抑圧されていた、祖国の地を震撼させた。」「金日生将軍が、普天堡を攻撃したという知らせは、たちまちのうちに全国津々浦々に広がった。」

 「それはまさしくその通りで、この戦闘を契機として金日生の名は、全国に伝わり、金日生将軍の名が生まれたのもこれ以後のことである。」「いまや金日生将軍とパルチザンとは、全朝鮮人の希望の星となったことを、これは物語るものである。」

  長いので途中を省略し、日本が敗戦した後の朝鮮の状況に飛びます。ソ連の後ろ盾を得て、北朝鮮を支配した金日生と、アメリカの後押しで南の韓国の支配者となった李承晩の話になります。

 米国とソ連の対立が朝鮮戦争となり、東西冷戦の時代となるのは、誰もが知る通りの流れです。これを氏がどのように見ていたか、著書から紹介します。

 「南朝鮮、韓国の政治と経済は、どん底に陥った。」「300万人以上いた韓国・南朝鮮の労働者数は、12万5000人に激減し、数百万の失業者と貧民が街頭に溢れ出した。」

 「アメリカの軍部と李承晩政権は、そういう状態の原因はすべて北にあるとして、崩壊を食い止める策を北朝鮮に求め、武力による北進統一を、公然と言いだした。」

 氏はこう説明しますが、私の知る事実は少し違っています。

「北を支配している金日生が、私有財産制の廃止、工場・土地の国有化など、共産主義国家の政策を、既成事実として推し進めていくので、反共産主義のアメリカは、黙っておれなくなった。」

 事実が金氏のような言葉で説明できるのか、疑問が残りますが、氏は金日生の北朝鮮を絶賛します。

 「こういう南朝鮮に引き換え北朝鮮では、第一次経済計画が、大成功のうちに進み、工業、農業の生産高は、日本支配時代の最高水準であった1994 年のそれを、突破していた。」「動力機械工業は146.9%、軽工業は52.7%と、いう風に上昇した。」

 細かな数字が挙げられていますが、煩雑なので省略します。

 「とりもなおさず、社会主義経済体制の北朝鮮では、そのまま真っ直ぐに、北朝鮮全人民の生活水準の向上を意味した。」 

  煩雑さを厭わず、氏の言葉を引用したかと言いますと、二言目には出てくる「日本帝国主義、」「日帝の弾圧」「日本による支配」という言葉にあります。関係のないことでも、悪い原因を作ったのは日本だと主張しています

  不愉快なのは私だけかと思っていたら、台湾出身の黄文雄氏が、『韓国は日本人が作った』という著作の中で、次のように述べていました。溜飲が下がりますので、参考のため紹介します。

 「韓国知識人の反日理論は、きわめて飛躍的である。彼らの脳裏には日本しかなく、日本以外の歴史は空白か、さもなくば停止しているのであろう。」

 「彼らの主張を逆手にとれば、韓国のすべての歴史は日本に左右され、」「韓民族には、まったく主体性がないということも言える。」

  彼らは、朝鮮の歴史が五千年続いていると自慢します。日韓併合のたった35年間で、朝鮮の歴史がすべてダメにされたというのですから、どこに朝鮮民族の偉大さがあるというのでしょう。
 
 韓国・朝鮮人は頑迷な恨日思考から、なぜ卒業できないのか。明日はこれについて述べ、ブログを終わりとします。物好きな方だけ、おつき合いください。
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朝鮮 - 3 ( 韓国の学者がする、愛国の嘘 )

2018-07-29 06:45:00 | 徒然の記

 金達寿氏は韓国・朝鮮人の中では、普通の人間ですが、私のような日本人から見ると、狂気にも似た恨日の感情を持つ人物です。

 どんな人物なのか、本日は、ここから始めます。著書の中で自分で語っているので、その部分を紹介します。

 「私の家というのは、李朝時代は地方官であったから、どうせこれもまた、ロクな手段で取得したものではなかったろうが、日韓併合までは、五十里四方他人の土を踏まずとか言われた、地主であった。」

 「それが数度にわたる土地調査により、だんだんと削り取られ、その度に、バカな話であるが、住んでいる家の地形が悪いからこういうことになると、引越しをしたり、風水(占い師)を引き連れ、先祖の墓を掘り返し移したりしているうちに、いつの間にか、小地主の一つになってしまった。」

 「それまでは特権的な旧官人だったから、自分で働くことは勿論、農業経営のことは、何も知らなかったから、没落はなおも続き、祖父の代から父の代となり、私が生まれた頃は、もう、完全に没落しかけていた。」

 「そして私が、初めて目にした日本人というのは、家へ来る高利貸しであった。」「彼は家の者たちから、トクと呼ばれているのを覚えているが、いつも二重回まわしを羽織り、猟銃を手にしていた。」

 さてここから、氏の、日本への恨みの回想が始まります。文章としては面白く、作り話とは思いませんが、誇張が混じっています。息子たちのため、答えを先に言いますが、氏は日本を恨む前に、だらしない祖父や親たちを、批判すべきではないのです。愚かな生き方で家産を傾けたのは、日本ではありません。そこを頭に入れた上で、氏の話を読んでください。

 「私は今も、トクさんの顔と姿を目の底に残している。」「というのは、彼が訪れるたびに、必ず家では騒動が起こったからである。」「収穫を終えたばかりの籾俵が、半狂乱になって引き止める祖母の手を払いのけ、そのまま何処へともなく、積み出され、その後からは決まって、父と母は夫婦喧嘩をした。」

 「私は自分の一家の主体的なそれは、すべて棚に上げていう訳ではないが、私の一家は、トクさんが訪れて来るたび、音を立てて崩れていくようであった。」「あげくは、一家をたたんで日本への流浪であった。」

 「この私の一家は、そのほんの一例にすぎない。」「こうしてハダカにされた、朝鮮の農民は、北方の者は主として中国・満州へ、南方の者は、日本へと、安価な労働力となって流れ出た。」

 つぎの叙述には事実と違う嘘で、反日の日本人まで信じている悪意の宣伝です。

 「国外へ流れ出たその数は、第二次世界対戦の終了までに、ソ連、アメリカ等の各国をも加えると、約七、八百万人を数え、早い話が日本には今もなお、60万人といわれる、在日朝鮮人が残っている。」

「これらはもとをただせば、ほとんどすべてが、あのいわゆる土地調査により、土地を奪われた農民であり、その子たちなのである。」

  氏の嘘を正すため、二年前に読んだ李滎氏の『大韓民国の物語』から、李氏の言葉を紹介します。前回紹介した通り、氏は国内で売国奴と罵られながら、金達寿氏のような嘘つき韓国人を否定しています。

 「日本は正当な代価を支払うことなく、無慈悲に、わが民族の土地と、食料と労働力を収奪した。」「だからわが民族は、草の根や木の皮でようやく命をつないだり、海外に放浪するしかなかった。」「過去60年間、国史教科書は、このように国民に教えてきました。ですから、大部分の韓国民が、そのように信じています。」

 「2001年に発行された、高等学校の国史教科書には、日本は世界史において、比類ないほど徹底的で悪辣な方法で、わが民族を抑圧し収奪した と書かれています。 」「例えば総督府は、全国の農地の4割にも達する土地を、国有地として奪い、移住してきた日本人農民や、東拓のような国策会社へ廉価で払い下げた。」

 「しかし私はあえていいます。このような教科書の内容は、事実ではありません。」「びっくりされる方も多いと思いますが、単刀直入に言うと、そのような話はすべて、教科書を書いた歴史学者が作り出した物語です。」

 読めば分かる通り金達寿氏の話は、李滎氏が否定している韓国の教科書の意見です。李氏の意見を、もう少し紹介します。

 「農地の4割に当たる、大量の土地が収奪されたというのは、事実ではありません。」「日本が大量に土地を収奪したという神話が、初めて学術論文の形で示されたのは、1995年に、日本の東京大学に在学中の、李在茂によってでした。土地調査事業の時、総督府が農民に農地を申告させた方式は、実は収奪のためだったと李は主張しました。」

 「李の主張には、何ら実証的な根拠はなく、そうであるという個人的な信念に基づく、一方的な推論なのです。」「彼のこうした個人的信念は、今日の研究水準からすれば、ため息が出ることしきりです。」

 当時、東京大学に在学中だった李在茂氏もまた、反日の朝鮮人でした。論文を捏造したのは彼の愛国心がさせた行為ですが、李滎氏の反論もまた氏の愛国心の発露です。いくら日本が憎いからといって、母国の民が無知で愚かだったという説に我慢がならなかったのです。

  金達寿氏の意見は、韓国の教科書に書かれているものです。つまり国絡みの捏造であり、日本憎悪の思考です。金氏は在日の60万人が、日本に土地を奪われた農民の子孫だといいますが、反日の学者たちはこれを、強制連行で連れてこられた者と主張しています。

 韓国・朝鮮人の意見は、どれが本当なのか、信用できないことが多いのです。60万人の在日の人数にしても、日本政府の公式見解では、徴用工として日本へ来て敗戦後に残った者は245名です。後の59万余名は、帰国しても生活のアテがないため自由意志で残った者と、密入国してきた不法滞在者です。 

 しかし私は、金氏も李氏も、ある意味では敬意を払っています。彼らは国内で激しく対立し、攻撃し合っていますが、それは日本に関する意見についてだけです。彼らは意見が対立していても、愛国者なのです。ここが反日の日本人違うところです。日本人なのに、彼らは自分の国を憎み否定し、蔑んでいます。

 敗戦後の日本の異常さが見過ごせない理由が、ここにあります。今夜も、夜が更けましたので、続きは明日にします。

コメント (4)
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