おねっと日記

日々の出来事を感じたままにつづります

87才の父の未来

2015年03月16日 | 家族

父は3月15日で87歳をむかえました。
そして、私と一緒に暮らすようになってから半年が過ぎました。
母があちらに行ってからすでに14年。父は母の分もがんばって私たちのことを見守ってくれております。

あの時、「おれはもうあと3年しか生きない」と母のもとを追いかけていきそうな勢いでしたが、 最近は何度も夢の中で母から「まだ来るな」と言われているもよう。
そして、ついに「まだまだがんばる」宣言をしてくれました。ありがたいありがたい。

 

人は気持ちの持ちようで、元気にも病気にもなるのかもしれません。
「まだまだがんばる」宣言をしてから、食欲がまえより出てきたような気もします。 
一時は食べたいものがなかったのに、「◎◎食べたい」と言ってくれるようになりました。
身体的運動機能の 問題は徐々に増えては来ているけれど、精神的回復は顕著に進んでいるようにも見えるのです。

季節感がない、時間軸がずれる、朝晩がわからない、 日にちがわからない、
そんな問題を抱えていた父が、なんと、最近それらが正常に動くようになってきたのですから!

不思議です。

特に変わった治療や世話をしたわけではないのですが、もしかして、ドックセラピー効果?かもしれません。なんか、そんな気がします。
父が起きてテーブルに座ると、マリがそばに寄って足もとに座ります。
父が朝のパンのはしきれをいつもあげるので、すっかりなついてしまいました。おかげでマリちゃんぷっくぷっくです(ーー;)
時々、父はマリとポンタに話かけてるみたいです。犬は私みたいにああだこおだと言い返さずじっと耳を傾け父の顔を伺っているので父にとっては心地がよいのかもしれません。 

朝晩の感覚がしっちゃかめっちゃかだったのですが、それは、毎朝窓のカーテンを開けて、空を眺めてお日様を浴びる事で解消されました。
そして、見えるところに見やすい時計をかけて、常に今何時なのかを確認できるようにしました。
最初は指差して「今は◎時だよ」と一緒に確認してましたが、今は自分で時計を見て時刻を確認するようになりました。
朝になったらカーテンを開けてあげて、暗くなったらカーテンを閉めてあげていたのですが、いつの間にかその動作を父が自分でできるようになりました。
自分での着替えはできなくなったり、リハビリパンツを日に何回も取り替えなければならなくなりましたが、そんなことはどうでも良いことで、父の精神が日常に戻って来てくれたことのほうが、私にとってはとてもありがたいことなのです。
介護で心が折れる時って、意思疎通ができなくなった時だと思うからです。

そして、何より自分の存在が家族に必要とされていることを感じたとき、「生きがい」を取り戻したのです。
それは、私が会社を起し、雇用を開始したことから始まります。
「お給料払えなくなたら父さんお願い、助けてね。」
この一言がもりもりと自分の存在感を増幅させた模様。これは大変だ、何かあったら自分が援助しなくては、と。
だから、お給料日が近づくと必ず「オレの貯金下げてちゃんと払ってやれよ」と(笑)
法人なので、そんな簡単な話ではありませんが、そのうちお世話になるかもしれませんね(笑)

こうして、父は「生きがい」を見つけ、「生きたい」を感じ、「食べたい」を欲し、「自分の家に帰る」を言わなくなりました。
そして、
「せつこ、布団かけてくれ」「せつこパンツ取り替えてくれ」「せつこおしるこ食べたい」「せつこデイサービス行きたくない」
と、甘えんぼ言いながら、朝昼晩3度の食事の時間も把握できるようになり、時間になると自分で前掛けをかけてテーブルに坐ってスタンバイ。
あわてて台所に立つ私でございます(笑)

社会には認知症症候群の人が沢山存在しますが、ちょっとしたことで、回復出来るのにできずに終わってしまっている人が多く存在するのはないかしらと父を見ていっそう思うのです。

朝窓を開けておひさま見る習慣をつける。
話かける相手がいる。
自分が必要とされている。

たったそれだけのことだけど、それがとっても重要なことなんだと思うのです。

父は脳腫瘍のせいで、右目は見えない、左耳は聞こえなくなりました。 
でも、人の「生きたい」力は脳みそのどっかを刺激して、細胞が活性化するんだなって実感します。