田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

秋の夜長を

2007-09-22 07:08:53 | Weblog
9月21日 金曜日 晴れ
●ばさっと黒い絨毯のようなものが窓からとびこんできた。体にかぶさった。息苦しい。体が金縛りにあったように硬直してうごかせない。たすけを求めて叫んだ。声はでた。じぶんの悲鳴で目覚めた。夢をみていたのだ。このところ疲れ過ぎだった。それでみた夢だろう。べつに不吉なことがおきる前兆ではない。そう自己納得した。

●それでも、眼が冴えて眠れなくなってしまった。網戸の外は満天の星。星空がきれいにみえるようになってきた。秋だ。周囲の空地でコオロギ、カネタタキ、アオマツムシ、鈴虫が鳴いている。秋の虫の大合唱だ。しばしみみを傾けた。まだ、スイッチョは鳴きだしていない。残暑がいつまでもつづいているからなのだろうか。わたしにはわからない。

●眠れないので大沢在昌の「六本木を一ダース」を読んだ。


鞄持ち

2007-09-21 13:55:48 | Weblog
9月20日 木曜日 晴れ
●カミサンはいざ出陣の支度が万端整った。「準備ができたよ、さあ、あとは元気にでかけるだけだよ」というところだ。どこへ? もちろん、息子の結婚式に。はりきっている。

●このところ、カミサンはまさに獅子奮迅の活躍だった。華奢なからだでよくもああ動けるものだと感心する。獅子ならぬ、牛年のカミサンがよく動きまわる。娘たちからは着ていくものの相談の電話がはいる。そのジャンジャンかかってくる電話番すらわたしはしない。「なんの役にもたたないのだから」と、いわれても何も言い返すことはできない。

●そんなわたしにもいよいよ出番がくる。衣装持ちだ。昔読んだ、たぶん三浦哲郎の作品だったと記憶している。旅の踊り子の巡業に同行して、その経験を生かして書いた作品だった。あとがきで、衣装鞄を持ってやったことが書いてあった。あの心境だ。カミサンの衣装の詰まった和服用のバッグ。化粧品そのたもろもろの品の入ったビトンの大型バッグ。試しに両手に提げてみたがかなりの重さになる。

●朝夕はめっきり涼しくなった。このところ、暑さもあって家に閉じこもりがちだった。少し外の空気を吸おうと思う。

●念のため書架から探し当てた。作品名は「夕雨子」だった。著者はまちがいなかった。


翁 それとも GG

2007-09-20 06:26:48 | Weblog
9月19日 水曜日 晴れ
●T歯科。歯茎の腫れもひいた。これで治療済み。パソコン教室にまわる。カミサンはカシオのカメラを買った。わたしのブログを飾ろうと懸命だ。ブログにカメラから写真をとりいれる複雑な手続きを習っている。

●あいかわらず、残暑が厳しい。でも、秋の澄んだ空気になってきた。庭のバラも秋海どうも鮮やかに見える。

●梨を食べる。おいしかった。なにを食べてもおいしい。翁の食欲とはおもえない。まずもって、わたしは翁というタイプではない。翁というと痩身の老人をイメージするだろう。
丸っこい下腹部のでっぱり。GGがイメージ的にはあう。見栄張った。息子の結婚式の貸衣裳屋にはウエスト89と連絡しておいた。その日までは、太るわけにはイキマセン。

●モーニングなど着るのは自分の結婚式以来だ。どうなることやら、写真うつりは――などといらぬことを心配しているGGなのであります。

●「こういうときは、役にたたないのだか」とすこぶる評価が悪い。カミサンの衣装持ちくらいにはなるだろう。『うどの大木』とはよくいったものだ。大木変じてぬれ落ち葉とならないように、いい小説を書かなければ。と念じているGGなのであります。


木犀の香り

2007-09-18 23:04:36 | Weblog
9月18日 火曜日 晴れ
●金木犀の花が咲きだした。朝、庭にでるといい匂いがしていた。秋になったのだとしみじみおもった。夜、窓をあける。香しい匂いが部屋にしのびこんでくる。そのまま窓を開けて寝た。夜半ブラッキーがどたどたと屋根伝いにかえつてきた。ブラッキーのからだも、木犀の花のいい匂いがしている。木犀の枝から屋根に乗りうつってきたのだろう。花のなかをくぐりぬけて、わたしのところにかえってきたのだ。寝床が木犀の匂いでみたされた。仙人になったような気分だ。ブラッキーはあいかわらずのどをごろごろならしている。かわいい。


敬老の日

2007-09-17 05:49:06 | Weblog
9月17日 月曜日 晴れ
●訪問者数が気になって早く起きた。確実にのびている。うれしい。

●今日は敬老の日。なにかサプライズがありそうだ。寝ていられなかった。もっとも、世間では老人の早起きといわれるかもしれない。

●カミサンは二日ほど黒留袖を速く着る練習をしている。息子の結婚式には人の手を借りずにじぶんで着るのだとはりきっている。つかれたのだろう。すやすやと子供のような寝息を立てて熟睡している。

●今日がどんな日になるか。ブログの続きは夜書きます。

●敬老の日始まって以来という暑い日になった。外にも出られず一日、読書をして過ごした。買いためた雑書が部屋中にある。これらの本をもう一度読み返そうと思う。なかなかたいへんだ。三桁生きなければこの望みははたせないだろう。

●べつにたいしたことも起きなかつた。「パパのことを老人だとだれも思っていないからよ」と、カミサンがいう。確かに老人というカテゴリーからははみだしている。読書量にしても原稿を書く時間にしてもまだまだ若い人には負けない。そして、夜、塾で4時間の授業をこなす。睡眠時間はおおくて5時間。これでは老人の部類に入らない。敬老の日になにも起きないのは、ありがたしいことなのだろう。

●写真は昨日カミサンと散歩したおりに彼女が撮った黄花コスモスです。

●週末には息子が結婚する。

●敬老の日。婚約したときから50年、生活を共にしたカミサンに恋をしようと思う。


太る

2007-09-16 19:54:51 | Weblog
9月16日 日曜日 晴れ
●日が傾いてからホームセンターKに出かけた。残暑が厳しくグッショリと汗をかいた。ブラッキーのエサを買った。外猫のチビが毎日のようにやってくる。まだ若いオスなのでかなり食欲がある。ガッガッと食べっぷりがいい。わたしはこの食欲の秋に太らないようにダイエット中なのでいくら食べても太らないチビが妬ましい。汗をかいたのに、体重計にのつてみたら、全然痩せていない。

●空に白い下弦の月が出ていた。カミサンが携帯を構えていた。うまく撮れたろうか。猫のエサ。肥料。しばらくぶりでかなり重かった。

●小説を書いている。説明がおおすぎる。じぶんでもうんざりして五ページほど削除した。会話の部分をおおくしようかしら? と悩みは尽きない。そこが物書きとしての醍醐味なのだが。


ありがとう

2007-09-15 08:08:20 | Weblog
9月15日 土曜日
●昨日のブログで敬老精神を発揮してくれるようにお願いした。ブログを書いている人、ブロガーというのですか?  年齢層を調べてみました。70代はほとんどいませんでした。

●これからは、若い人に呼びかける。若い人に楽しんでもらえるような小説を書いていこう。そう思うようになった。そして、敬老精神を発揮してください。という言葉となった。  

●驚いた。訪問者が増えている。閲覧者も増えている。これって、過去にさかのぼって、前のブログも読んでくださったということなのですか?  GGには、訪問者と閲覧者の区別がどうもよくわかりません。

●わたしのブログは長い小説を読むような気持ちで、ときどき前にもどって読んでみてください。田舎住まいの老夫婦の姿が浮かびあがってくるはずです。いまの生活をのんびりと楽しんでいるわけではありません。話題の国民年金には入れませんでした。塾を主宰して、毎晩必死に黒板の前にたたなければ生きていけません。そんな内輪のことは、まだ書いていません。昭和一桁生まれの男は愚痴をこぼすのが下手です。くどき嘆こくことはしません。寡黙の美学みたいまものに支えられています。悔いのある悲しい人生の末路にさしかかっているのが、実情なのに、見栄を張っています。胸中お察しの上今後ともよろしくご愛読お願いします。毎朝早く起きて、訪問者数をみるのが唯一の楽しみです。励みになります。

●訪問者が増えたので、あまり嬉しくてこんなブログになりました。明日からは、元にもどっていつものブログになります。ほんとうに、ありがとう。未来ある若者たちよ。

過去のページへのリンク

作品№1  麹の黄色い花(横穴壕)
http://blog.goo.ne.jp/onime_001/d/20070712

作品№2  母猫http://blog.goo.ne.jp/onime_001/d/20070725

作品№3  蠅
http://blog.goo.ne.jp/onime_001/d/20070810

作品№4  ロープhttp://blog.goo.ne.jp/onime_001/d/20070812

作品№5  空の珊瑚
http://blog.goo.ne.jp/onime_001/d/20070914



勝負だあ

2007-09-14 07:35:41 | Weblog
9月14日 金曜日 晴れ
●昨日はショートショートとはいうものの、ブログに掲載するのには長すぎる文章を読んでいただいてありがとうございます。

●実は、もう、一作だけ古い作品をそのうちのせますのでよろしくおねがいします。50年も前の作品を読んでいただき恐縮しています。

●7月12日 作品№1  麹の黄色い花(横穴壕)
 7月25日 作品№2  母猫
 8月9日  作品№3  蠅
 8月11日 作品№4  ロープ
 9月13日 作品№5  空の珊瑚
上記の作品もあわせてご高読ください。

●ブログを書いている人の年齢を見ました。60代はほとんどいませんでした。まして、わたしのように70代は……。

●敬老の日がきますね。なにとぞ敬老精神を発揮してGGの若書きの作品をよろしくねがいます。後一作。そのあとはこれからの作品になります。

●勝負だな。だれと? それはもうきまっている。これからは、じぶん自身との闘いだ。                

●ともすれば、訪れる怠け心と。
 不意に襲い来る、自信喪失と。
 そしてなによりも、病魔との。
 闘いだ。


空の珊瑚

2007-09-14 00:02:59 | Weblog
9月13日 木曜日 晴れ

空の珊瑚 (ショートショート作品№5)

 ふいにやってきた雷雨のため――北関東特有の雷は空のはてで光った一条の稲妻とともにおそってくるのだが、ぼくらの戦場行軍は最悪の事態に遭遇していた。
 のぼりつめた山の尾根で暗雲をきりさく光をみたとき体操教師のHはぼくらを避難させるべきだった。山腹に穿たれた軍用物資隠蔽庫をかねた横穴壕にどうにか逃げこむことができたはずだ。
 Hの髪はポマードでぎとぎとしていた。銀だし油付けているとぼくらはいっていた。そのべったりと頭皮にへばりついている髪を中央から櫛目がわかるほど丁寧にわけていた。
 刃物でそぎおとしたようなほほと分厚い唇に一瞬あらわれて消えた加虐的な微笑をぼくは見逃すわけにはいかなかった。昼間の光の中にいるのに、覚醒した時なのに、ぼくは悪夢をみているような恐怖を感じた。あのことを目撃しているために、……ぼくはHから危害をくわえられるのではないかと怖れつづけている。
 行軍の隊列は、はるか眼下に淡紅色の羊羹をならべたようにみえる校舎と、横穴壕との中間地帯にさしかかっていた。寒さと喉の渇きのためともすれば停滞する蛇行の群を叱咤する教師の声だけが雨の中にむなしくひびいていた。
 さらさらに乾いて顆粒状をした土は、水をすいこんだ海綿のようにぼってりとし、茶褐色に変容する。素足の下で固まり、大地そのものが足下で岩壁にでもなってしまったような錯覚、あるいはタイムマシンで未知の領域にやってきたような……翼竜の時代に素足で地面を踏みしめた原始人のような感触を、その硬化した大地からうける。それは喜びをぼくらにあたえた。ぼくらはただもくもくと歩きつづけていた。
 歩行者の踏みこむ重量をささえきれずくずれる土壌をぼくは、忌みきらった。粉末となり……ぼくらを脚もとからすいこむような土はいやだった。
 大地は鋼鉄の硬度、けっして他者に侵されることのない強靭さをそなえているものと信頼しきっていたから、ぼくは乾いて侵されやすい黄土に足跡をのこすにはある種の嫌悪感と不安な予感をもってしまうのだった。
 雨は強くなった。
 雷鳴はとどろき、下界は色彩を喪失していた。罠から遁れる獣のようにただひたすらぼくは歩きつづける。懸命に歩いているのに、ぼくはかなり遅れていた。視野はせばまり雨音だけが聞こえた。雨によって隔絶されてはいたがかすかに友だちたちが前方を進む気配が感じられ、ぼくはそれをたよりに歩いた。ぼくはついに不安に耐えきれず彼らに声をかけた。山と丘陵を越え、雑木林をぬけ、河にかかった橋を渡って学校へもどるまでの四キロにあまる全行程において、ぼくらは沈黙をしいられていた。叫び声をあげた瞬間……Hが不正行為の審判者となってぼくの眼交に立っていた。それは、彼がまるで影のようにいままでぼくの背中にへばりついていたみたいな幻惑、悪魔の目で監視されていたのだといった恐怖をともなっての出現であった。
 ほほにかなりはげしい衝撃があった。
 Hの影を、きらめく巨大な珊瑚にも似た稲妻が照らした。黒々とうかびあがった彼の影はしかしぼくの視線のさきで消滅した。……ぼくはほほにうけた衝撃よりはるかに大きな……地割れのような、大地の揺れる感覚を全身の筋肉に採集したまま斜面を転落した。
 ぼくはアメーバに還って海をただよっている。海というものをそれまでに眺めた記憶はなかったが、失神の瞬間に空に光った稲妻を巨大な珊瑚とおもったように、海は空が反転したようなものだとおもった。ただよいつづけていた。ぼくの体はなかった。鼓動だけがただよいつづけるぼくのものであるようだった。いやそれは、波濤が渚で崩れる音だ。海辺で叫んでいる声があり(Hの声らしかった)、ぼくは接岸を希求していたにもかかわらず、沖へと流されているようだった。水平線に、マネキン人形のように硬直して、しかし艶やかさをおびた音楽教師のYが海面から腕だけだし、その腕が淫靡なさそいこむような動きで、ぼくを招いているのだった。
 伝声管をみみもとにおしとつけられているのだろうか。体操教師のHの冷酷な声が増幅されてひびく。その追いかけてくる声からも逃れなければならない。彼の声にはあきらかな殺意があり、その声が無数の鋭くきらめく短剣となってぼくに迫ってきたから。
 トラックの古タイヤが漂流していた。映像をともなわないHの、声だけの追跡からのがれるため、ぼくはタイヤにしがみつき、両腕に力をこめ……かきあがろうとする。タイヤの中央は勿論、円形の空洞になっていたが、ようやくのことではいあがったぼくが覗きこむと、その空洞はどうしたことか、海底まで通路のようにつづいていた。通路は遠近法を無視して、底にいくほどたしかな広がりをみせていた。その底辺に見覚えのある朝鮮人の青年が仰臥しているのだった。どうやらそれは、あのトラックを運転した男らしかったが、はっきりしなかった。彼は死者には似つかわしくない逞しい腕をぼくにむけだきしめようとするような招き方をしている。――だがぼくは恐怖の叫び声で現実の空間に横たわっている自分の体をとりもどすことができたのだった。
 雨は降りつづいていた。ぼくが意識をとりもどすまでにどれほどの時間の経過があったというのか。雷雨のながりのごくまばらな降りかただった。群葉の先端からしたたる滴のような降りかただった。
 ぼくは、木の茂みをわけ、級友たちのいる尾根に登るため、路のない路を探し、どうにか、Hの残忍な制裁をあまんじてうけいれなければならなかった地点にたちもどることができた。
 しかし――矮小で臆病者のぼくを、尾根から突き落したHの率いる勇壮な少国民である級友たちの誇りある戦場行軍の列は乱れていた。肉体鍛練の領域はみるも無惨な死者たちのよこたわる黄泉の国となっていた。
 うめく声。苦痛にゆがんだ顔。変色した皮膚。噛みつくような歯ぎしり。どうしたんだ。なにがあったのだ。空襲だ。きっと、鬼畜米英の空軍が爆弾を落としたのだ。しかし、飛行機の影もなく、しだいに空は明るくなる。ぼくが級友たちの方に近寄っていくと災禍をまぬがれたものたちが、茫然自失といった、まだ自分たちが焼け焦げることもなく生きているという恩恵にひたる喜びをしらぬげにたちつくしていた。渦を巻きながら遠ざかる雷雲を背景にして、彼らは、黒く朽ち果てた杭の羅列、あるいは倒木のようにみえた。
 ぼくが、さらに対象をよりよく見定めようと前かがみになると、集団疎開の奥村が、鏡の中を覗きこむような眼差しでぼくを見つめてきた。
 マグロ、おまえ、無事だったのか?
Hによってつけられたあだ名で呼びかけられ、ぼくは小石をたたきつけられたように、こころが砕けるのを感じた。しかしぼくは応じないわけにはいかない。
 ああ、崖の下に落ちていたんだ。
 それでたすかったんだ。落雷があった。おまえのいた後のほうのものはみんな雷に打たれた。いまHが学校へ急報するために走って行った。
 奥村の指さす方角、はるか山裾の、ようやく陽のてりだした道を、まだ暗く陰っている部分にある校舎めざしてHがあやつり人形のようにぎくしゃくした動作で遠ざかっていくのがみえた。
 あいつ、まるで逃げていくみたいだ。おれたちを置きざりにして逃げていくみたいだ。そういってしまうと、いままであれほど怖れていたHがけっしてぼくの死刑執行人ではなく、不潔で歪んだ欲望の権化、忌むべきただの男におもえてくるのだった。
 それからぼくはもう動かなかった。友だちの顔をひとりひとり確かめ、五人の級友がこの世界に肉体はまだ留まっているのに、魂はどこかはるか彼方、たとえば雷雲の去った晴天の空間を飛翔して二度ともどっとこない彼岸へ去っていったのだと悟った。
 だがしかし、ぼくは、彼らはけっして死ぬことはなく、ぼくがさきほど落ちこんだ海のような処を漂い、音樂教師のYや朝鮮人の青年と波にたわむれ、体をこすりあわせ、快楽の叫びをあげたりして生きつづけているのだ、という幻想にとらわれた。
 現実世界にもどれたぼくは、……Hの指の跡があざやかな小さな珊瑚の色と形をともなってほほに残り、それがいつになっても消えないのではないかという不安と戦いながら生きつづけなければならなかった。


ジャズを聴く

2007-09-11 15:17:03 | Weblog
9月11日 火曜日 雨
●肌寒い朝。小雨。THE BEST OF MILT JACKSON を聴く。田舎住まいだからかなり音量をあげてもOKだ。前に家は二軒ある。昼の間は留守。裏は空地。だれはばかることなくジャズを楽しめる。

●カミサンのお供をしてスーパー。イチジクが六個で298円。格安だったので買った。