田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

梔子の青葉青虫食い尽くし 麻屋与志夫

2022-09-18 18:23:43 | 俳句
9月18日 日曜日
梔子の青葉青虫食い尽くし

青虫に食い尽くされて葉影なし

茎のみをのこして虫の動き去り

胡蝶にもならで小鳥の餌となり

青虫に食われ葉形は欠けた月

とびあがる猫は目線で蝶捕らえ

●あすは敬老の日。松戸に出かけた妻は娘の家族に会ってきた。
終日雨。体調が悪くいちにちぼんやり過ごす。
今月は小説の方はスランプ。
やっぱり、お年ですね。

●今回だけは、疲れてしまい、推敲せずに下手な俳句を載せました。





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「死のうと思っていた」 麻屋与志夫

2022-09-17 09:06:06 | ブログ
9月17日土曜日
●そろそろお呼びがかかっているような気がする。
彼岸が迫っている。
庭の彼岸花が盛りをむかえている。
真っ赤な細い花がパッと開いた。円形に広がり庭をうめつくしている。

●彼岸が近づいている。
向こうにいってしまった友だちや、親族のことを思っているためか、まいにち彼らの夢をみる。
ながいこと、確執を極めた父のことも、このごろ懐かしく思うようになっている。うれしいことだ。

●「死のうと思っていた」
太宰の作品で、わたしが唯一好きな「晩年」に入っている「葉」の出だしの冒頭の一行だ。
どうしても、太宰だけは一応読んだがその心情が理解できず愛読するにはいたらなかった。
読むのが早すぎたのかもしれない。太宰は文学青年の憧れの作家だった。15の春に読んだ。
すでにそのころわたしは家業である大麻商を継ぐように運命づけられていた。
そのために退廃的な作風についていけなかったのだろう。太宰は現役、まだ生きていた。

●「文芸首都」で太宰の娘、津島裕子さんとはごいっしょさせてもらった。それでも、太宰は好きになれなかった。裕子さんの作品はかなり読みこんでいる。父親譲りなのだろうが、父を凌駕する才能と作品群には感銘をうけている。

●いまだに「死のうと思った」という感情にはついていけない。じぶんが、どこまで生き恥をさらし、書けない傑作を書こうと、もがいているのか。生きつづけようとしているのか、そんな作品をこのところ書いている。

●まだまだ書きたいことがありすぎる。

●「生きようと思っている」
周囲のひとにどんなにぼろくそに言われようとも生きて、生きぬいてみせる。



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敬老の日のあとに彼岸が来る。麻屋与志夫

2022-09-15 06:38:15 | ブログ
9月15日 木曜日
●庭の彼岸花が咲きだした。
昔は「彼岸花は墓場の花だから、庭に植えては縁起がわるいから、だめ」といわれていた。
わたしが子供のころは、土葬がおおかった。
死者を埋葬すると動物に掘り返されないようにと、毒のある彼岸花を植えた。
球根を土のなかに埋めるのをなんどもみている。
だから墓地に行くといたるところに彼岸花が咲いていた。
初秋の風物詩のこの花がわたしは好きだ。

●千手観音堂の東側の斜面に彼岸花の群生がみられる。
曼殊沙華ともこの花はいわれる。

●天界に咲く花ともいわれている。
ぜひ、検索してこの花の以来を調べてみてください。
面白いですよ。

●彼岸になる。
わが家は昔は栃木の「並塚」に墓所があった。
ところが姉が栃木に嫁にいった。
富裕な大麻商だった。
大麻といっても麻の繊維のことである。
墓所が近所だったので、わが家の墓所が少し貧弱で恥ずかしい。
といわれて、それいらい墓参しなくなった。
おそらく無縁墓地となって転売されているだろう。

●庭の彼岸花は塾生の星野さんにもらったものだ。
姉妹で来てくれていた。
どうしているだろうか。
お姉さんは美容師になったのだろうか。

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「敬うのなら、金をくれ」    麻屋与志夫

2022-09-14 10:00:51 | 俳句
9月14日 水曜日
まず、俳句です。
首欠けの野仏野分に身をさらし
野仏や立ち去りがたし野趣の村
野仏やなにを願うか団子三つ
横転し苔むす地蔵時雨かな
横臥せし涅槃野仏時雨かな
横臥せし野仏涅槃時雨かな

野仏や首欠けてなお背に野分 旧作です

●俳句を考えているときが一番楽しい。
緊張しなくてすむ。
句作は老後の楽しみにいい、
といったのは芭蕉翁だったろうか。

●わたしは書道を姉の影響で五歳からはじめた。
その後高校生になってからは相沢春洋先生のご子息と書道部で磨きをかけた。
硯で墨をする。
書を書く。楽しい。

●三番目が、英語の本を読んでいるとき。

●小説を書いているときは、あまり楽しくない。
でも、本業だからしかたない。
苦しみのなかに楽しみをみいだしながら、がんばっている。
毎日、精進している。
これで、小説が売れれば楽しくなるのだろうな。

●まもなく敬老の日だ。
敬ってもらわなくていい。
「がんばつてるじゃん」と声をかけられるのがうれしい。
「敬うのなら金をくれ。小説買ってよ」

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老いたものだなあ。 麻屋与志夫

2022-09-13 06:28:01 | ブログ
9月13日 火曜日
●今朝はゴミ収集日。
生ごみのほかに、薔薇の小枝がある。
妻が剪定したものだ。剪定した小枝もあるが、根こそぎ切ったものもある。
カイガラムシがつきほぼ薔薇は全滅。
色々薬を試したが効果なし。

●「薔薇はやめようかしら」
夕暮せまる庭の片隅でつぶやいている。
「半日陰の庭だからなにを育てるのもむずかしいのよ」
妻の嘆きはつづいている。

●「法王庁の抜け穴」アンドレ・ジッドを読み返している。
若い時に二日で読み終わった記憶がある。
「狭き門」が必読書であった。高等遊民という言葉がささやかれていた時代のことであり、太宰治とジッドの狭き門はだれもが読んでいた。

●とてもではないが、二日どころか、二月かけても読破できそうにない。
気力も体力も枯れ果てている。

●街を散策していても、30分も歩くとふらふらしてしまう。
まだまだ、行きたいところがある。
季節も良し。
いますこし、体を鍛えなければ。
せめて一時間くらいは歩けないとどこにもいけない。
それにしても、わたしの歳になると歩行困難者がおおいのにおどろく。

●ゴミ袋にバラの枝を詰めている妻の背は寂しそうだ。
思うように歩けない、読書をつづけられない。
こうした時にわたしは老いを意識してしまう。





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老人よ大望を抱け  麻屋与志夫

2022-09-12 06:02:41 | ブログ
9月12日 月曜日
●今朝は古賀志山がよくみえる。秋晴れ。二階の書斎の室温22℃。ふとみると、千手山の桜がやや黄ばんで来た。桜の花はもちろんだが、桜紅葉を見るのも好きだ。

●世間様はもう孫たちが活躍している時代。長生きしたものだとおもう。この調子であと20年くらいは頑張りたいものだ。

●昨夜は思わず飲みすぎ。お酒は慎まなければいけないと自戒。

●まいにち、どうやら、同じような生活をするのがいいようだ。だからこの年までいきてこられたので、飲み食いは、なれないものを食べないことだと思った。とくにお酒の飲みすぎはだめ。

●いま原点に戻り『デュラス』を再読している。『北の愛人』がいい。

●雑誌デビューをはたした60年ほどむかしひどく『Moderato cantabile』に感動した。それいらい私淑しているフランスの作家だ。なにごとも、事の始まり、迷ったときにはもどる。現場百回のような心境だ。なにか新しい発見があるといいな。

●なにを爺は、迷っているのか。小説の方法論だ。細かなことは。内緒。

●「高悟還俗」という芭蕉の言葉が好きだ。筆で書きたいな。

●でも今、書道をはじめたらたのしくて、小説を書く時間がけずられる。それこそあと30年も生きていないとめだ。




卒塔婆に絡みつきたる蛇の衣 麻屋与志夫

2022-09-10 09:21:38 | 俳句
9月10日 土曜日

一葉食み次に移りし虫太り

いつの日か空をとびたし菜虫かな

老いぼれて歳ふるのみの秋の暮れ

閉ざされし門扉明けたし秋の暮れ

烏鳴き人影はなし秋の暮れ

色づきて揺られて光る烏瓜

片羽をもがれて鳩の千鳥足

卒塔婆に絡みつきたる蛇の衣

蛇のから雷雨に耐えて墓標群

墓標群蛇の衣をいかにせん

虫の音を乱し空咳とどまらず

●散文なら良し悪しはなんとか理解できる。
小説なら読者を意識できる。
●俳句はいつものとおり、なにがなんだか、わからない。
作っていて、たのしければいいじゃないか。
句作そのものがたのしい。季題を重んじる。
そのほかのことは、まったく、しっちゃかめっちゃか。




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孫が会いに来てくれる。会いたいね。早く会いたい。麻屋与志夫

2022-09-08 09:35:30 | ブログ
9月8日 木曜日
●朝から雨。
というより夜来の雨がまだ降り続いている。
「裏のアイスバークが散った」
「花に勢いがなくなったから、切ったの」
と妻。

●朝起きると裏の廊下から外を見るのがわたしの習慣となっている。
廊下には四枚のサッシュの引き戸がはいっている。
スリガラスになっていて、上部の40センチだけが透明だ。
そこから裏庭を眺める。
そして塀の外の法蔵寺の屋根、さらに目を転じて古賀志山を眺める。
今朝は雨雲に閉ざされて見ることはできなかった。

●室温は25℃。
涼しくなってきた。
肌寒いくらいだ。靴下をはいた。

●裏庭で虫が鳴いている。
ジジジジと連続して鳴いている。
何の虫なのだろうか。
知識がないので、虫としか書けないのが悲しい。

●こうしてGGの一日がはじまる。

●孫のAが一月に遊びに来たいという。
「わたしは、いま会っておかなかったら、このつぎまで元気でいられるとは限らないからなぁ……」と思っている。ぜひ会いたい。会いたい。

●雨が降りやんだら、散歩にでよう。



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笑話 たい焼きはどちらが表なんで、と与太郎が聞く 麻屋与志夫

2022-09-05 10:27:44 | 超短編小説
9月5日 月曜日
笑話

「たい焼きは、どっちが表なんで」
長屋の与太郎がご隠居にききました。
「たい焼きはな、畳屋の熊さんがよく焼いている。片面が焼けると畳み針でひっくり返すだろう」
「へい、へい」
「裏返すというから、針で鉄板にうらがえされて、熱い方が表だ」
「さわっても、分からなかったら」
「鉄板からはがすときにまた、針をさしてとりだすだろう」
「へいへい」
「その穴のある方が表だ」
「へい、でも、針の孔が見つからなかったら」
「そんな、針孔をつつくようなことをきくな」
おそまつ。



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鹿沼 千手観音堂  麻屋与志夫

2022-09-04 08:45:01 | 俳句
9月4日 日曜日
●朝の室温が24℃になった。温度もだがさわやかになった大気、秋の涼風が庭木の間から吹き込んでくる。上げ下げ窓から虫の鳴く庭を眺めているとルナが寄って来た。珍しくわたしの足元にスリスリ。お腹がすいているのだ。抱きあげて妻の寝床につれていってやった。
「ママ、起きて。お腹すいたよって言いなさい」

●妻が俳句を始めた。俳句の本を読んでいて『端居』とい言葉に感動した。動機はともかく、やっと同好の志ができた。わたしは子供のころから俳句が好きで今日に至っている。ただ、見事な俳句音痴。上手い下手がわからない。まったくわからない。だから進歩がない。

●妻は繊細な美意識を内蔵している。彼女の周囲はすべて清潔で美しいものにとりかこまれている。俳句もよく鑑賞してきた。上達を目指している。すでに、わたしより上級の句をつぎつぎと詠んでいるような気がする。

●千手観音堂のある公園にふたりで初めての吟行に行く約束をしている。あまりみっともない句を披露するわけにいかない。あらかじめ、詠んだ句が下記のとおりです。

仁王門たどりつく道彼岸花

指先にオハグロトンボ仁王様

妻ときし月夜の晩の千手堂

妻ときし彼岸花道千手堂

赤とんぼ観音堂をうめて飛ぶ

蜂の巣のありし跡に千社札

●昔この千手観音堂のある山の麓に中津博君の家があった。ふたりでよくこの観音堂に登って来た。堂の左側の壁に般若の面が掲げてあった。息をつかずに堂を一回りすると鬼が笑う。なんどもためしたが、息が続かなかった。あの面はどうなったのだろう。庇におおきな蜂巣があった。石を投げつけたがズボとめりこんでおちてこなかった。

●「わたしも、吟行にいったつもりであなたに負けないように、何句がつくったわ」
ギャフン。こちらの手の内を読まれている。まさに好敵手あらわる。


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