-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

畑沢のお祭りでした

2015-04-16 09:05:56 | 行事

 久しぶりの投稿になりました。山形でのリフォーム作業が山場を迎えて、下手な大工仕事で忙しい毎日でした。ようやく、14日に一段落しました。15日は朝6時半に山形を出発して、畑沢へ向かいました。畑沢はお祭りですが、世の中は平日で仕事に忙しい曜日です。東根、楯岡辺りでは、出勤中の車が道路を埋め尽くしていました。

 畑沢のお祭りは、かつて上畑沢、中畑沢、下畑沢でそれぞれ別の日に行われていたそうです。15日はあくまでも下畑沢の熊野神社の祭礼だったようです。しかし、3年ほど前から祭礼の日を統一して総て15日にしたそうです。私は中畑沢出身ですので、中畑沢の稲荷神社の掃除に行きました。

 稲荷神社の清掃は15日の朝8時から実施するとの情報を得ていましたので、それに間に合うように15分前には稲荷神社の下に到着しましたが、既に皆さんが清掃を始めていました。「皆さん」と言っても、私以外は4人です。昭和30年代には中畑沢に13軒ありましたが、今も住んでおられる家は4軒だけになりました。県道から神社に至る参道には、周囲の杉の葉がうず高く積もっていました。それを素手、箒、熊手で脇に掻き分けました。私は生まれて初めての清掃作業でしたので、どのように清掃すべきなのかを分からずに、玄関を掃除するちゃちな箒と塵取りを持参したのですが、この作業にはまるで役に立ちません。幸いゴム手袋をはめていましたので、手で杉の葉を片づけました。例年ですと、この時期には参道には積雪がありますので、お祭りのための準備は、雪の上にショベルで階段を付けることだったと思われますが、今年は雪が消えてしまいましたので、このような作業になったようです。

 参道の掃除が終わると、神社の中を掃き清めて蝋燭を灯し、神主なしでお参りしした。誰も詳しい神道の作法を知らないので、とりあえず柏手(かしわで)を打とうと言うことになり、2回打ちました。何となく、神様をお参りしたような気分になりました。昔は隣の細野から神主が来てお祓いをしていました。

 

 中畑沢の稲荷神社と熊野神社の両者のお祓いを熊野神社ですることになっていましたので、区長の大戸Mさんに電話で確かめたところ、10時半とのことでした。神主さんが来られる前に、畑沢地蔵庵周囲の「雪椿らしき椿」について調べてみたいと思っていましたので、早めに10時には神社に到着しましたが、既に皆さんが集まっておられました。私もそのまま室内に座りました。神社の入口周辺には、朝早くに村の人達による赤飯が、笹の葉に盛られて沢山、捧げられていました。

 すると、神主さんも、かなり早めに到着しました。神主さんは、いつも荒町の八幡神社の宮司さんが来てくださっています。今年は宮司さん本人ではなくて、その娘さんでした。宮司さんが体調を崩されたそうで、代理として来てくださいました。若い女性ですので、プライバシーに配慮して、画像を処理しています。御容赦下さい。

 神主さんの吹く法螺貝が畑沢の村中に響き渡りました。熊野神社は高台にあり、前が広く開けていますので、目でも耳でも神社での法螺貝が分かります。神社の直下には県道が走っています。

 法螺貝が終わり、神社の中で祝詞をあげお祓いが行われました。若い女性による祝詞は初めてでしたので、その張りのあるお声には、何だか「とても有難い気分」になりました。後で聞いた話ですが、私以外の出席者にも大分、評判が良かったようです。畑沢では女性に限らず、若い人たちの声を聞くことが極めて少なくなりました。畑沢に、若い人たちの声が聞こえるような日常を取り戻したいところです。最近、全国的に「田舎暮らし」を求めて、田舎に移住する人たちが多くなっていると言う記事などを目にしますが、畑沢に移住した方はいません。PR不足と努力不足です。

 

 熊野神社を昼過ぎに失礼して、上畑沢の延命地蔵堂を訪ねました。

 今日は、畑沢のお祭りなので、入口が開け放たれていました。こちらは「地蔵」を祀っていますので、仏教です。神主さんのお祓いの対象にはなりません。しかし、昔の宗教の良いところで、神も仏も一緒です。神仏習合に大賛成です。一番大事なことは、人を大切にすることです。神が一番大切なのではありません。仏が一番大切なのでもありません。最近、世界では神のために人を傷つけることを正当化しいます。これでは何のための神なのでしょう。神はそのようなことを教えていないはずです。人を救うためには、神は黙って踏みつけられても喜ぶでしょう。どこかが狂っています。宗教を騙った強欲者の仕業でしょう。強欲者は宗教を上手に利用します。その点、畑沢に残る石仏の素朴さは実に心を和ませます。ただひたすら村人の安寧を願っているように見えます。

 延命地蔵堂の中は、きれいに掃除されていました。捧げ物も見えます。千羽鶴は何方が下げたのでしょうか。どんなお願いをしていたのでしょうか。村の人達の様々なお願いが伝わってきます。

 延命地蔵堂にお参りした後で、昔、小学生時代に見た縄文式土器を探して周囲をしばらく眺めていたところ、遠くで私を呼んでいるような姿が見えました。腰を曲げながら懸命に私に近づいてきます。間近になると、どなたであるかが分かりました。古瀬K氏の奥さんでした。お祭りの赤飯をお土産にと持ってきてくださったのです。

「おさいどを手伝ってけだり、写真持ってきてけだりしてありがど様」

と言うのです。私は個人的に好きでやっていることなのに、何とも律儀な方々です。私は涙が出るくらいに嬉しくなりましたが、さすがに涙を流すことができないので、ぐっと堪えて感謝の言葉を申し上げました。本当に嬉しいことです。嬉しいお土産を貰って山形へ帰り、赤飯が大好きな妻と御馳走になりました。畑沢の米と真心に溢れた赤飯は格別でした。


明日も真面目に投稿します。

 

コメント (1)
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