約一か月ぶりにこのテーマに戻りました。是迄、第一回目は序論的な内容、第二回目が畑沢に残っている沼沢の伝説、そして第三回目は背中炙り峠の楯に関わることの内容でした。今回は沼沢の大まかな地形について、その特徴を見てみます。地形を説明するには専門家が作った国土地理院発行の地形図を示せば簡単ですが、それらには著作権がありますので、勝手に掲載することはできません。それでは飛行機などから撮影した写真でもあればよいのですが、勿論、スビタレには飛行機をチャーターするほどの財力も気力もありません。ない頭でいろいろ試してみました。例えば、googleマップで航空写真を立体視化する方法があります。ところが、大きい山は立体的になりますが、里山程度の小さい山の起伏は見えなくなってしまいます。次に、常に奇想天外なことばかり考えている言われている私の想像力で何とかできないかと筆を執ってみましたが、まるっきり手が動きませんでした。今度は、地形図に引いた線上の等高線を読み取って、断面を二次元的に表してはどうかとも考えました。でも面倒なので止めました。根気がない私には無理です。
最後に救いの神が現れました。峠の乳母木地蔵を拝んできた御利益があったようです。国土地理院がインターネットで閲覧に供している地形図をいじっていたら、「3D」なる機能が出てきました。そこをクリックすると、なんと、等高線の図が凸凹になって立体的に表わされました。この立体図を基にして輪郭をなぞったのが下図です。便利な世の中になりました。こんなことができるのですから。種を明かしたので、この図はパクリであることがばれてしまいました。
さて、この図は沼沢地区を北から俯瞰した形になっています。立石山と峠がある山から挟まれた千鳥川流域が「沼沢」です。ただ線でなぞっただけですから、空以外の色はありませんが、雪景色と思ってください。空にもちらほらと雪が舞っているように見えるはずです。世の中は考え方次第で、愉快な世界です。
この図でお分かりのように、東側が大平山などの大きな山塊があり、千鳥川が峠の山の方に押しやられた形になっています。そのため、千鳥川と接している峠の山が、川で浸食されて急斜面となっています。その急斜面から垂直方向に峠の尾根方向にも浸食されて、幾筋もの沢ができています。これが、「小三郎」から「三の切り」までの沢です。
この様子は、峠の東側にある大平山から眺めると、もっとはっきりします。「背中炙り峠の楯」がある尾根から東側へ向かって、平三郎、一の切り、二の切り、三の切りの各沢の間にある尾根が並行して伸び、その尾根の突端が途切れて、三角形の斜面を大平山側に見せています。まるで、この山全体が人の手で作られたような特殊な形をしています。実はこの三角形の斜面が「味噌」なのです。このような形になるほどに、常に峠側の山が削られ続けたことを意味しています。千鳥川で削られるのは、あくまでも川と接触している斜面だけで、その上の斜面は直接的には削られていません。ところが長い間に下が大きく削られてしまうと、その上の斜面は支えがなくなって、何らかの刺激で一気に崩れ落ちることになります。
このような大まかな形が形成されるには、何万年という歳月が必要かなと思います。畑沢に人が住み着く以前からこの形が出来上がっていたでしょう。ましてや、楯が作られた約四百年前は間違いなくこの形があったはずです。
ここまでの地形の分析で、閲覧されている方々は私が何を言いたいのかを御察しのことかと思いますが、続きは後日とさせていただきます。続きを説明する資料をまだ作っていないからです。