令和3年5月15日は土曜日、土日は田植えが多く行われます。しかし、我が実家の田んぼでは、他で忙しい時は田植えをすることができません。田植え機を借りなければなりませんので、機械が空いている日でないと借りられないからです。そのために、近年は繁忙期がずれています。
そこで、土曜日のこの日は、自由がありました。それでも、いろいろと用事が溜まっていましたので、東根市の長瀞と羽生村山市の林崎で用事を済ませました。途中、昼になり、久しぶりに最上川河畔でおにぎりを頬張りました。最上川の川岸は水害対策の護岸工事で高く嵩上げされています。眺めは最高です。西方の葉山は残雪と新緑で彩られて秀麗さを見せびらかして、「登りに来い」と誘いをかけてきます。もう半世紀以上も前のことですが、山形県内に戻って初めて千メートル以上の山に登ったのが、この葉山です。でも、今では「登りに来い」と言われても、簡単に「おう」とは言えなくなっています。
眼下には最上川が、遠く吾妻山系、朝日山系、蔵王山系などから流れて来た雪解け水で豊かな水量を擁し、老いた体に青年のような血潮を注ぎ込ませます。
後ろを見ると、我が畑沢方面が見えます。右の一番高い山は甑岳、その左で尖がって格好を付けているのが大平山、さらに左の白っぽい顔を出しているのが立石山です。大平山と立石山は畑沢の山です。立石山の「白さ」は、大規模な砕石の結果で、最上川からも見えてしまいます。残念な姿です。
各地での用事を済ませ時間に余裕が出たので、畑沢へ行きたくなりました。畑沢へ行くには、背炙り峠を通るのが最短なのですが、毎年、通行止めにされます。今年もそうかなと思いましたが、「今年こそは山形県も考えを改めて、峠を通してくれるかもしれない」と期待して村山市の林崎から峠へ登り始めると、いつもの「全面通行止め」の表示がありました。「残念、今年もだめか」。表示の「残雪」はとっくになくなっているはずです。「倒木」はとっくに片付ける日数があったはずです。実に不思議な道路です。これが「あったかい県政」のようです。期待していたのですが。
全面交通止めの場所で振り返って甑岳を見ると、甑岳が「わしの山肌にも雪がないぞ。背炙り峠は、まだ雪があるとはなあ」と笑っていました。もう、初夏を迎えて、田んぼでは田植えの準備が進んでいます。
畑沢からの帰りは、新比丘尼峠(五十沢へ抜ける)を越えることにしました。
この度の冬には、この峠でイノシシが天下を取っていました。それは今の続いているようで、イノシシ様専用の獣道がくっきりと見えます。
五十沢を通った時は、必ずのようにこの湧水を飲みます。この日は、私の外に東根市内の御夫婦がお客様でした。ファンが多い湧き水です。
ところで湧き水の名前「五十沢開宝清水」の「開宝」の「カイホウ」は畑沢の「カイホウ山」と同じ音です。五十沢と畑沢には、似ている珍しい地名が多々見られます。