-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

古殿の石仏「南無阿弥陀仏」

2017-02-06 17:11:10 | 歴史

 私は、いつものリフォーム作業をすることができません。もう、かれこれ3年近くもその作業を続けているのですが、本日、肺炎球菌のワクチンを接種してきました。お医者さんによると、「接種した後はインフルエンザなどにかかると重症化する恐れがある」とのことで、炬燵で大人しくしています。お医者さんは、「インフルエンザが流行る時期に接種するべきでなく、夏にするのがいいのだ」と言ってましたが、そんなことは百も承知です。それよりも、私は補助を出してくれる時期を逃したくない経済的な理由に基づいています。それに、どういう訳か、私はインフルエンザには罹(かか)りにくいようです。2012年の新型インフルエンザが流行していた通勤電車で、隣でマスクもしていない高校生が咳をしている車両に毎日いましたが、全く罹りませんでした。所謂、「何とかは風邪をひかない」が証明されています。そして、注射が大嫌いです。嫌だ嫌だと年度末近くまで逃げていました。

 そんなわけで今日は十分に投稿する時間があります。パソコンの中に古殿の石仏の写真がありました。古殿には、尾花沢からの入り口に多数の石仏があります。庚申塔、青面金剛などです。

 古殿の中ほどにある実相院にも幾つかの石仏がありました。村の入口とか社の周囲と言うのは、「石仏があるべきところ」です。ところが全く想像できない場所にも石仏があることに気付きました。しかも畑沢には全く存在しない石仏です。

 古殿の集落が少し途切れた場所です。石仏は「南無阿弥陀仏」です。

 年号なども刻まれています。「享保拾七壬子年 九月十七日」とあります。西暦1732年旧暦の9月17日にあたり、江戸中期と言われる頃のようです。暴れん坊将軍の吉宗が享保の改革をしています。幕府には「改革」かもしれませんが、庶民には「増税」になったようです。

 予期しない所にある石仏でしたので、車から降りて詳しく見ましたら、石仏の奥にも杉林の中に石造物が見えました。奥に進んで間近に見ると、江戸時代あたりの古い墓石でした。板碑状の墓石や長方形の墓石です。今の時代の墓石とは大分、違う形です。この場所は古い墓地だったようです。今は別な場所に墓地が設けられています。南無阿弥陀仏は墓地の入り口に造立されたもので、邪悪なものを出入りさせない守り神の役割を担っていたものと思われます。

 ところで、石仏「南無阿弥陀仏」は、各地区でよく見かける石仏で、極、一般的な石仏です。畑沢には、他の地区に比して格段に数が多くて種類も多い石仏がありながら、この南無阿弥陀仏は一体だにありません。「無いものねだり」と言われるかもしれませんが、古殿のような南無阿弥陀仏が羨ましく感じられます。


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