前回の投稿が5月28日でしたから、もう二ヶ月以上も経ってしまいました。投稿するのが億劫になっていました。コロナ対策も進まないままに五輪が強行され、滅茶苦茶な政府の政策の数々、腹が立つIOCの言行に従順に従って日本人の誇りがズタズタにされている腑抜けな姿、国外へ目を向ければトランプは一旦退陣したものの、まだ続いている大国の理不尽さ、それに私はコロナ用ワクチンの副反応によるかもしれない鬱屈した気分が、生来の怠惰な性格を増長させました。それが長期の投稿サボタージュを引き起こさせました。
と、怠慢の言い訳は数知れなく論(あげつら)うことができます。そんな言い訳をしても「怠慢」以外の何物でもありません。
さて、今回も家籠りの中での作業です。
永年、愛用してきた畑沢の草刈鎌の柄がぽっきりと折れてしまいました。それぐらいのことは昔からあった事ですが、久しぶりの修理意欲に燃えました。次の写真で上部に折れた柄が写っています。下が柄を付け替えた鎌です。刃は危険なので、ガムテープで覆っています。
元々の柄は、刃の付け根から折れました。刃は2本の釘で固定されていました。昔は1本の釘だったようですが、最近は2本使われています。縦に2本を木目に一致するように一直線に釘が打たれていますので、1本と比べて格段に裂けやすくなりました。草刈用ですので、普通の使い方なら大きな力がかかりません。真面な人が使うならそれでいいのですが、真面でない私にはそうはいきません。草だけでなく細い樹木も切ります。大きな力が釘の部分にかかり、柄が折れました。私の使い方が荒いだけでなく、長い時間、野晒しにされてことがあり、水が浸透してしまい脆くもなっていました。
下の写真が修理の主要部分です。一見、簡単そうに見えますが、二箇所に釘を打つことが困難を極めました。釘が一ヶ所なら楽に打つことができます。しかし、二か所の穴を合わせるのは至難の業でした。今回は運よく成功しました。単なる「運」です。いつもこうなるものではありません。失敗は数知れずです。この鎌は人生最後までお付き合いすることになりますので、二度と折れないように強化しました。先ず、不要となった5合のテグスを巻き付け、それをエポキシ接着剤でコーティングしてあります。刃と木部の接合部は、樹脂と木粉を練って水が浸透しないようにしました。これから20年は使うつもりです。
鎌の柄を折った現場です。夏の草が茫々と茂っていました。下の写真は耕作放棄された田んぼの中のホソバギボウシです。構図を気に入って掲載しましたが、花にピントが合っていません。何度もシャッターを切ったのですが、どうしても駄目でした。私の腕の限界か、それともスマホの限界か、です。
初めてアマガエルを撮影しました。これまで、ヤマアカガエル、シュレーゲルアオガエル、トノサマガエル、アズマヒキガエル、ツチガエルは写しましたが、最も身近なアマガエルはまだでした。
これは今年生まれたばかりのようです。体長(手足を除いた長さ)は2cmに少したりません。
ヤマユリが満開でした。周囲に百合の香りが満ちていました。畑沢の春が福寿草なら、畑沢の夏は山百合です。
しかし、今年は意外な事がありました。畑沢の土手には毎年、山百合が沢山、咲いていました。ところが今年は土手の草刈りが行われているのですが、山百合が残されていません。どうしたことでしょう。下の写真は耕作が放棄されている沢での山百合で、幸いにもここは残っていました。
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