-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

動かぬ証拠じゃなかった、動く証拠(サンショウウオ)

2015-04-19 19:31:24 | 自然

 畑沢祭の夕方、畑沢地蔵庵の南側にある湧水で、サンショウウオの卵を見つけました。まだ、産卵されてから日が経っていないようです。孵化するまでにはまだまだかかるようです。

 サンショウウオがいつごろに産卵するかを知らなかったのですが、思わぬ現場を見てしまいました。番(つがい)と思われるサンショウウオが二匹いました。畑沢のサンショウウオは、4月中旬に産卵していることが分かりました。一番(ひとつがい)が何回かに分けて産卵しているようです。

 水から出して写真を撮ろうとしましたが、意外と動きが活発で、少しもじっとしていません。私にとっては単なる写真撮影ですが、サンショウウオにとっては生死がかかった一大事です。もがかない訳がありません。必死です。直ぐに落ち葉の陰に隠れてしまいます。ここで言い訳です。撮影した時刻が遅くてシャッタースピードがソローだったことと、サンショウウオが言うことを聞かないで動きまわったので、今回も少々のピンボケになりました。

 このサンショウウオの種が何であるかは、考えないことにしました。昨年もサンショウウオに遭遇した時に調べましたが、畑沢のサンショウウオはどのような種の形にも当てはまらない高貴な感じがします。そう言えば、昨年でしたか、福島県の只見地方で新種のサンショウウオが発見されました。畑沢のサンショウウオが新種でないとも言い切れませんので、無駄な抵抗をしないことにしました。何方かのお力で解明してください。

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もしかしたらユキツバキかなあ(その2)

2015-04-18 14:31:46 | 自然

 先に投稿した椿について、畑沢でさらに調べてみました。すると、いよいよユキツバキの可能性が高くなってきました。先ず驚いたのが分布状態です。熊野神社を広く取り囲む東、北および西の斜面一帯に椿が生えていました。200m以上の広域にわたっています。広葉樹の下に這いつくばるように生えていますので、これから広葉樹の葉が茂ると見えにくくなります。なお、ユキツバキの説明によると、白鷹丘陵の東側に生えているユキツバキ群落が全国の分布域の東端となっていましたが、畑沢の野生椿がユキツバキだとすると、さらに東側のユキツバキということになります。

 

東側から撮影(黄色の線で囲まれた場所が分布域)

 

西側斜面(黄色の線で囲まれた場所が分布域)

 

広葉樹の下に樹高が1~2m、幹の太さは太いところでも5~6cmです。葉の縁にある「鋸歯」は鋭くて、触れると痛いくらいです。葉脈も葉の縁までくっきりと見えます。

 葉の形は、普通の椿のそれと比較するとかなり細身です。葉柄の長さについては、基準が分からないので短いとも長いとも判断することができません。

 

 次のとおりネットのWikipediaの説明に照らしてみましたら、少なくとも現段階で確認できる項目ではユキツバキと言える可能性が濃くなりました。

1 幹の高さは1-2mほど……合致

2 葉は枝に互生……合致

3 葉柄が短い……判断不能

4 葉の形は楕円形で先端は尖り……合致

5 葉の縁はヤブツバキに比べて鋸歯が鋭い……合致

6 樹形は積雪の関係で地を這う形になる……合致

7 花期は4-6月……未確認

8 花弁は薄く、水平に広く開く……未確認

9 雄蕊の花糸は合着せず、濃橙黄色から黄赤色……未確認

10 果実はまれに実り、種子は1-2個……未確認

 

 引き続き確認作業を進めていきますが、何方かの応援があれば心強いです。いかがでしょうか。

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畑沢をてくてくと散策しました。

2015-04-17 08:46:25 | 近況報告

 お祭りがあった4月15日に、畑沢の上から下に向けて散策してみました。今年はいつもの年よりも雪融けが早くて、田んぼの雪が残り少なくなっていました。遠くに大平山(この方角では寶澤山ほうずやま)と立石山が見え、さらに遠くに村山市の甑岳が顔を出しています。山と田んぼの間の家々は、清水畑(すずばた)です。

 

 雪解けは早かったのですが、雪そのものの重さはいつも以上でした。雪と雪の間に雨が降ったり、湿りが多い雪が降ったりして、積もった雪の重さには凄まじいものがありました。積雪の高さはたいしたことがなかったのですがく、雪はぎゅっと詰まっていて極めて重かったようです。

 山の斜面に掛かった雪の重みで、斜面にへばりついていた樹木が根こそぎ千鳥川に引きずりおろされ、小さなダムを作りました。この斜面一帯には早くもカタクリが咲いていましたが、対岸は遠くて写真に納めることができませんでした。

 

 雪融けが早いことにより、心配していたことがありました。今年も、マンサクの花を見ることができないのではないかと思っていました。しかし、嬉しいことに、マンサクが満開で迎えてくれました。いつもよりも見事に見えます。

 

 福寿草も雪が融けた土手では早くから咲いていましたので、この時期にはもう終わりかと思っていましたが、こちらも待っていてくれました。雪が融けたばかりの地面は、今が盛りでした。

 

 御祭りなのに、この日の天候はどんよりとしていました。中畑沢から背中炙り峠のある山を写したつもりですが、雲に隠れてしまいました。 

 

 同じところから、荒屋敷方面を見ると、遠くに最上地域の山が高く聳えています。学校へ登校する時には毎日、この山の方向を目指して歩いて行きました。今でも、この山の名前が分かりません。形の良い山ですから、調べて登ってみたい山です。

 

 足を伸ばして荒屋敷に入ると、頭上はるか上を鷹のような鳥が長いものをくわえて飛んでいました。やがて、電柱に止まったので、望遠にして撮影してみました。ファインダー越しには鳥の種類が分からなかったのですが、写真を拡大すると、羽や足の色が分かりました。隼(ハヤブサ)です。口にくわえているのは蛙でした。蛙も冬眠から目覚めたばかりでしょう。早起きがとんだ災難になりました。隼はこの下畑沢でよく見かける鳥です。この後、「向かい」へ入った時には、同時に4羽の隼が飛んでいました。去年の初夏にも、下畑沢で隼を目撃しています。下畑沢に営巣しているものと思われます。

 

 熊野神社(おぐまん様)のある山の斜面に生えていた樹木から、沢山の花が垂れ下がっていました。垂れ下がる花は、キブシなどのようにこれから何種類も咲きますが、この花は特に早く咲くようです。調べてみましたところ、「ハンノキ」のようでした。ハンノキの仲間には、ヤマハンノキ、ミヤマハンノキなど何種類もあるようですが、私には特定する力はありません。まあ、スビタレらしく、「ハンノキの仲間の木」程度にしておきます。この木は、そんなに多くは生えていないようで、この場所には1本だけでした。

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畑沢のお祭りでした

2015-04-16 09:05:56 | 行事

 久しぶりの投稿になりました。山形でのリフォーム作業が山場を迎えて、下手な大工仕事で忙しい毎日でした。ようやく、14日に一段落しました。15日は朝6時半に山形を出発して、畑沢へ向かいました。畑沢はお祭りですが、世の中は平日で仕事に忙しい曜日です。東根、楯岡辺りでは、出勤中の車が道路を埋め尽くしていました。

 畑沢のお祭りは、かつて上畑沢、中畑沢、下畑沢でそれぞれ別の日に行われていたそうです。15日はあくまでも下畑沢の熊野神社の祭礼だったようです。しかし、3年ほど前から祭礼の日を統一して総て15日にしたそうです。私は中畑沢出身ですので、中畑沢の稲荷神社の掃除に行きました。

 稲荷神社の清掃は15日の朝8時から実施するとの情報を得ていましたので、それに間に合うように15分前には稲荷神社の下に到着しましたが、既に皆さんが清掃を始めていました。「皆さん」と言っても、私以外は4人です。昭和30年代には中畑沢に13軒ありましたが、今も住んでおられる家は4軒だけになりました。県道から神社に至る参道には、周囲の杉の葉がうず高く積もっていました。それを素手、箒、熊手で脇に掻き分けました。私は生まれて初めての清掃作業でしたので、どのように清掃すべきなのかを分からずに、玄関を掃除するちゃちな箒と塵取りを持参したのですが、この作業にはまるで役に立ちません。幸いゴム手袋をはめていましたので、手で杉の葉を片づけました。例年ですと、この時期には参道には積雪がありますので、お祭りのための準備は、雪の上にショベルで階段を付けることだったと思われますが、今年は雪が消えてしまいましたので、このような作業になったようです。

 参道の掃除が終わると、神社の中を掃き清めて蝋燭を灯し、神主なしでお参りしした。誰も詳しい神道の作法を知らないので、とりあえず柏手(かしわで)を打とうと言うことになり、2回打ちました。何となく、神様をお参りしたような気分になりました。昔は隣の細野から神主が来てお祓いをしていました。

 

 中畑沢の稲荷神社と熊野神社の両者のお祓いを熊野神社ですることになっていましたので、区長の大戸Mさんに電話で確かめたところ、10時半とのことでした。神主さんが来られる前に、畑沢地蔵庵周囲の「雪椿らしき椿」について調べてみたいと思っていましたので、早めに10時には神社に到着しましたが、既に皆さんが集まっておられました。私もそのまま室内に座りました。神社の入口周辺には、朝早くに村の人達による赤飯が、笹の葉に盛られて沢山、捧げられていました。

 すると、神主さんも、かなり早めに到着しました。神主さんは、いつも荒町の八幡神社の宮司さんが来てくださっています。今年は宮司さん本人ではなくて、その娘さんでした。宮司さんが体調を崩されたそうで、代理として来てくださいました。若い女性ですので、プライバシーに配慮して、画像を処理しています。御容赦下さい。

 神主さんの吹く法螺貝が畑沢の村中に響き渡りました。熊野神社は高台にあり、前が広く開けていますので、目でも耳でも神社での法螺貝が分かります。神社の直下には県道が走っています。

 法螺貝が終わり、神社の中で祝詞をあげお祓いが行われました。若い女性による祝詞は初めてでしたので、その張りのあるお声には、何だか「とても有難い気分」になりました。後で聞いた話ですが、私以外の出席者にも大分、評判が良かったようです。畑沢では女性に限らず、若い人たちの声を聞くことが極めて少なくなりました。畑沢に、若い人たちの声が聞こえるような日常を取り戻したいところです。最近、全国的に「田舎暮らし」を求めて、田舎に移住する人たちが多くなっていると言う記事などを目にしますが、畑沢に移住した方はいません。PR不足と努力不足です。

 

 熊野神社を昼過ぎに失礼して、上畑沢の延命地蔵堂を訪ねました。

 今日は、畑沢のお祭りなので、入口が開け放たれていました。こちらは「地蔵」を祀っていますので、仏教です。神主さんのお祓いの対象にはなりません。しかし、昔の宗教の良いところで、神も仏も一緒です。神仏習合に大賛成です。一番大事なことは、人を大切にすることです。神が一番大切なのではありません。仏が一番大切なのでもありません。最近、世界では神のために人を傷つけることを正当化しいます。これでは何のための神なのでしょう。神はそのようなことを教えていないはずです。人を救うためには、神は黙って踏みつけられても喜ぶでしょう。どこかが狂っています。宗教を騙った強欲者の仕業でしょう。強欲者は宗教を上手に利用します。その点、畑沢に残る石仏の素朴さは実に心を和ませます。ただひたすら村人の安寧を願っているように見えます。

 延命地蔵堂の中は、きれいに掃除されていました。捧げ物も見えます。千羽鶴は何方が下げたのでしょうか。どんなお願いをしていたのでしょうか。村の人達の様々なお願いが伝わってきます。

 延命地蔵堂にお参りした後で、昔、小学生時代に見た縄文式土器を探して周囲をしばらく眺めていたところ、遠くで私を呼んでいるような姿が見えました。腰を曲げながら懸命に私に近づいてきます。間近になると、どなたであるかが分かりました。古瀬K氏の奥さんでした。お祭りの赤飯をお土産にと持ってきてくださったのです。

「おさいどを手伝ってけだり、写真持ってきてけだりしてありがど様」

と言うのです。私は個人的に好きでやっていることなのに、何とも律儀な方々です。私は涙が出るくらいに嬉しくなりましたが、さすがに涙を流すことができないので、ぐっと堪えて感謝の言葉を申し上げました。本当に嬉しいことです。嬉しいお土産を貰って山形へ帰り、赤飯が大好きな妻と御馳走になりました。畑沢の米と真心に溢れた赤飯は格別でした。


明日も真面目に投稿します。

 

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ザッコ突き

2015-04-02 10:58:38 | 思い出

 畑沢のまとめ(仮称)からの抜粋を続投します。

 


 水が温んでくると、釣りだけでは満足できなくなり、水の中に直接入ります。釣りとは格段に違う面白さがあります。釣りで川を上から覗いても、見えるのは極、わずかです。ところが、水に入れば、箱メガネのガラス越しに視界いっぱいに水中世界が広がります。大画面の水族館と同じです。どこを向いても、必ず視界には様々な魚がいました。魚は逃げるのが普通ですが、アブラハヤの幼魚は逆に足に寄ってきて突っつきます。可愛いものです。


 ザッコ突きの対象は、殆どがカジカです。川底にいますので、突き易いと言うこともありますが、何よりも食べて美味しいのです。一般に川魚は生臭さがありますが、カジカにはそれがありません。まるで海魚のようです。カジカは石の下に隠れていますので、手に持ったヤス(一種の銛)で石を静かにひっくり返すように取り除いて、現われたカジカを一突きにします。カジカの他にも稀ですが、ウグイを突くこともありました。これは、難しい技術が必要です。川底から離れた場所で泳いでいますので、横から突く形になります。大抵は逃げられます。


 普通の良い子は、日中にザッコ突きをするのですが。夜にザッコ突きをする大人もいました。これを「夜突き」と称します。私も一度だけですが、夜突きの成果を見たことがありました。夜中、兄たちが魚で満杯状態になったバケツを持ち帰りました。どこかの家からカンテラを借りてきて、暗くなって川に出かけたそうです。カンテラとは、カーバイドと水を化学反応させて発生したアセチレンガスに火を点ける携帯型の照明器具です。カンテラで川を照らしても、魚は眠ったままなので、たやすくザッコ突きできると言うのでした。確かに、日中のザッコ突きとは比べものにならないくらいの魚を捕ってきました。しかしこれは、どう見てもザッコ突きの道に反します。勿論、現在は法律で禁止されているはずです。私の小学生の時でさえも、夏休みの規則として、「夜突きはしないこと」を児童会で必ずあげていました。都会の子ども達に「夜突きはしないこと」を聞いても何のことかさっぱり分からないでしょうが、当時の常盤小学校の子どもは直ぐに分かります。

 さて、夜突きで捕ってきた魚のバケツに赤く目立った魚が入っていました。バケツに手を突っ込んで掴むと、泣き叫ぶほどの激痛が走りました。魚は「アガメロ」と呼んでいたアカザ言う魚でした。鰭に毒を持った針があったのです。夜突きを行った非道の大人が刺されるならまだしも、無垢で小学校前の何も知らない子どもが刺されてしまいました。

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