-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

廃品利用して二重サッシ(素人技術講座)

2017-02-08 15:40:56 | 近況報告

 肺炎球菌のワクチン接種して3日目です。左の肩に注射し、接種した当日に肩が筋肉痛のような痛みました。注射して下さった看護師さんの話によると、「接種後、2、3日すると肩が筋肉痛のようになる」と説明して下さったのですが、その日のうちに痛くなりました。「2、3日経たなくても痛くなったのだから、きっと私の体力は若いのだろう」と勝手な解釈をして、妻に自慢していましたが、何と3日目にして今度は咳とクシャミが出て頭痛も始まってしまいました。一体、どこが若いと言えるのでしょう。何とも情けない話です。そのために、3日目も「安静」と相成りました。

 安静は辛いものです。午前中は炬燵に潜って横になっていましたが、さすがに午後も横になっているのことはできません。畑沢通信の題材は手元にありませんが、今回は趣向を変えて「技術情報」を投稿します。昨年の9月に引っ越しましたが、前の家はそのままになっています。私は寒がりですので、前の家の主要な所は、後付けで二重サッシにしました。それなりにお金がかかっているので、「もったいない」気持ちがありました。そこで、前の家の二重サッシの内窓を今住んでいる家に持ってきて使用することにしました。使用すると言っても、窓の大きさが違いますので、加工する必要があります。

 簡単に説明しますと、次の写真のように加工しました。

 そして、次の写真のように、それを障子戸を外した窓枠にはめ込みました。これで何万円もの価値があります。いや、あると思います。

 簡単すぎる説明ですが、やはり私は「安静」を要する身です。詳細を説明できる気力と体力がありません。今回はこの程度に留めておきます。加工の仕方などについてお知りになりたい方は、コメントして下さい。体力が回復次第に投稿いたします。先ずはお休みなさい。

 夕方にはさらに悪化しました。発熱です。37.2℃もあります。


古殿の石仏「南無阿弥陀仏」

2017-02-06 17:11:10 | 歴史

 私は、いつものリフォーム作業をすることができません。もう、かれこれ3年近くもその作業を続けているのですが、本日、肺炎球菌のワクチンを接種してきました。お医者さんによると、「接種した後はインフルエンザなどにかかると重症化する恐れがある」とのことで、炬燵で大人しくしています。お医者さんは、「インフルエンザが流行る時期に接種するべきでなく、夏にするのがいいのだ」と言ってましたが、そんなことは百も承知です。それよりも、私は補助を出してくれる時期を逃したくない経済的な理由に基づいています。それに、どういう訳か、私はインフルエンザには罹(かか)りにくいようです。2012年の新型インフルエンザが流行していた通勤電車で、隣でマスクもしていない高校生が咳をしている車両に毎日いましたが、全く罹りませんでした。所謂、「何とかは風邪をひかない」が証明されています。そして、注射が大嫌いです。嫌だ嫌だと年度末近くまで逃げていました。

 そんなわけで今日は十分に投稿する時間があります。パソコンの中に古殿の石仏の写真がありました。古殿には、尾花沢からの入り口に多数の石仏があります。庚申塔、青面金剛などです。

 古殿の中ほどにある実相院にも幾つかの石仏がありました。村の入口とか社の周囲と言うのは、「石仏があるべきところ」です。ところが全く想像できない場所にも石仏があることに気付きました。しかも畑沢には全く存在しない石仏です。

 古殿の集落が少し途切れた場所です。石仏は「南無阿弥陀仏」です。

 年号なども刻まれています。「享保拾七壬子年 九月十七日」とあります。西暦1732年旧暦の9月17日にあたり、江戸中期と言われる頃のようです。暴れん坊将軍の吉宗が享保の改革をしています。幕府には「改革」かもしれませんが、庶民には「増税」になったようです。

 予期しない所にある石仏でしたので、車から降りて詳しく見ましたら、石仏の奥にも杉林の中に石造物が見えました。奥に進んで間近に見ると、江戸時代あたりの古い墓石でした。板碑状の墓石や長方形の墓石です。今の時代の墓石とは大分、違う形です。この場所は古い墓地だったようです。今は別な場所に墓地が設けられています。南無阿弥陀仏は墓地の入り口に造立されたもので、邪悪なものを出入りさせない守り神の役割を担っていたものと思われます。

 ところで、石仏「南無阿弥陀仏」は、各地区でよく見かける石仏で、極、一般的な石仏です。畑沢には、他の地区に比して格段に数が多くて種類も多い石仏がありながら、この南無阿弥陀仏は一体だにありません。「無いものねだり」と言われるかもしれませんが、古殿のような南無阿弥陀仏が羨ましく感じられます。


今季二度目の雪降ろし

2017-02-05 16:18:11 | 近況報告

 前回の雪降ろしは、平成29年1月15日でした。それが第一回目の寒波の襲来の翌日でした。そして1月の末から2月3日までに再び寒波が来て、大雪になってしまいました。天気予報によると、2月4日に天候が大きく変わり、俄かに気温が上昇することになりました。まだ雪降ろしをするには余裕があるとの情報もありましたが、2月6日に肺炎球菌のワクチンを接種することにしていましたので、その前後は体力を温存する必要がありました。そこで、4日のうちに雪降ろしをやっておけば安心していられるだろうと畑沢へ出かけました。

 畑沢でも「雪降ろし」風景はほとんど目にするとができなくなりました。昔の茅葺(かやぶき)屋根なら当然、その作業が必要ですが、どこの家でもトタン屋根に替えていますので、屋根の雪は自然に落下します。しかし、我が実家の小屋はトタン葺きながらも、屋根から雪が落下しないように「雪崩止め」なるバーを取り付けています。元々は自然に落下させるため茅葺からにトタン葺きにしたのですが、そこに住んでいないので家全体が冷え込んでいるために、雪の滑りが悪くなって大量に雪が積もります。かなりの重量になってから落下すると、隣接する道路を通る人や自動車にとんでもない惨事を招く恐れがあります。そこで、雪崩止めを設置しました。 確かに雪降ろしは重労働ですが、昔のように大きな茅葺屋根を二棟も雪降ろしていたころから比べれば、大したことではありません。

 さて、畑沢の実家に到着したのですが、下の写真のように道路には高い壁ができていました。最近、米国でも「壁」が流行っています。私も流行りの壁なるものをぶち壊さなければなりません。3mには不足しますが2mは優に超えています。

 体力の消耗を極力抑えるために、1m程度の最小限の幅で階段を作って奥に入りました。

 雪降ろしは、小屋の道路側だけです。反対側は道路がありませんので、そのまま自然に落下させることができます。この場所は、中学生のころから一人で雪降ろしをしていましたので、全く危険性を感じていません。しかし、一人で雪降ろしをすると言うと周りが騒ぎます。この日は妻が山形から同行しました。もしも、雪に埋もれたら助ける役だそうです。別にそのような心配はないのですが、それで気が済むならと同行させました。

 屋根の上からの眺めは、すこぶるいいものです。道路向かいの杉林も、しばしの晴れ間を楽しんでいるかのようでした。下の写真は静寂な感じを与えるかもしれませんが、実際は大変に賑やかです。枝に積もった雪が融けだして滴と雪の小さな塊が絶えず落下し、バラバラと下の枝にぶつかって切れ目なく音を出しています。

 この日、一台の軽トラックが家の前に止まりました。私ぐらいの年齢の人が、道路脇につけられている獣の踏み跡を目で追っていました。声をかけところ、猟友会の方で、イノシシの猟をしているとのことでした。以前この近くで四頭のイノシシを目撃しているとのことで、足跡で居場所を特定できれば、仕留めるつもりだったようです。残念ながら、その日の猟を諦めて帰ってしまいました。