京都府福知山市の福知山城です。天守閣は昭和60年(1985)に復元されたものです。構造は鉄筋コンクリート造です。
現在残っている城郭の縄張りは明智光秀によるものです。織田信長が畿内を押さえ中国攻めに着手した際、豊臣秀吉が山陽側、明智光秀が山陰側から進行する作戦を立てて、明智光秀が拠点としたのがこの福知山城です。江戸期になって有馬家→岡部家→稲葉家→松平家と変遷していき、寛文9年(1669)に朽木稙昌が藩主になってから明治に至るまで朽木家が藩政を行うことになりました。
現在残っている城郭の縄張りは明智光秀によるものです。織田信長が畿内を押さえ中国攻めに着手した際、豊臣秀吉が山陽側、明智光秀が山陰側から進行する作戦を立てて、明智光秀が拠点としたのがこの福知山城です。江戸期になって有馬家→岡部家→稲葉家→松平家と変遷していき、寛文9年(1669)に朽木稙昌が藩主になってから明治に至るまで朽木家が藩政を行うことになりました。