おさかな’sぶろぐ

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明石城

2023年08月01日 23時45分49秒 | 建物
JR明石駅北側に位置する明石城は、明石松平家8万石の居城でした。明石松平家の治世は、天和2年(1682)からで、それまでは越前国大野藩の領主でした。江戸幕府当初は、明石は姫路藩池田家の所領でしたが、元和3年(1617)池田光政が鳥取藩に転封となり、信濃国松本藩より小笠原忠真が10万石で入封したことから明石藩が始まります。その際に明石城を築城しました。寛永9年(1632)に小笠原家は、豊前国小倉藩に転封、以降、戸田松平家・大久保家・藤井松平家・本多家と藩主家が変わり、明石松平家からは10代の藩主の変遷を経て明治に至っています。江戸期の遺構建物としては、下の写真の2つの櫓が現存しています。坤櫓(左)と巽櫓(右)になり、いずれも三重櫓で、重要文化財に指定されています。坤櫓は、伏見城から移築されたと伝えられていて、天守が築かれなかった明石城では天守の代用として使われていました。巽櫓は、船上城から移築されましたが火災により焼失し、現在の櫓はその後再建されたものです。最初に移築された櫓は、船上城では、天守であったとの記録もあるようです。江戸期の三重櫓は全国で12基しか残ってなくて、明石城はそのうちの2基になります。