奥出雲を代表する鉄師(たたら製鉄師)・山林地主であった絲原家より寄付を受けた資料館です。広大な敷地に建ち並ぶ建物群を見るとこれが住宅かと思えない程の規模でした。たたら製鉄の繁栄振りを肌に感じました。
絲原家の母屋です。この建物は、十代目徳右衛門が植林した材を用いて十三代武太郎が、5年の歳月を費やして大正十三年(1924)に完成させたものです。設計は京都帝国大学の佐藤作造、大工棟梁は平田市の長谷川松太郎だそうです。
豪快に組まれた小屋梁は圧巻ですね。ここ出雲地方においては、梁に桁天からの数値を記入するならわしがあるそうで、写真に写っている梁にも数値が記入されていました。
現在、建物の屋根は瓦葺きなのですが、建築当時は栗そぎ葺きだったそうで、約三尺(91cm)の雪が三ヶ月積ったままでも各部が狂わないような頑強な造りとなっています。三間続きの部屋ですが、建具も綺麗に納まっています。
蔵も大きいですね~。軒の出が深く、雪深いことを実感しますね。
敷地奥の方には、茶室もありました。茶席は二畳台目の席で、京都大徳寺真珠庵内にある金森宗和作の『庭玉軒』をそのまま模したものだそうです。昭和十一年(1936)に近衛文麿公の紹介により、模する許可を得たそうです。
今回はさらっと見学しただけですが、もう少し季節が良くなった時にじっくりと見学してみたいですね。
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絲原家の母屋です。この建物は、十代目徳右衛門が植林した材を用いて十三代武太郎が、5年の歳月を費やして大正十三年(1924)に完成させたものです。設計は京都帝国大学の佐藤作造、大工棟梁は平田市の長谷川松太郎だそうです。
豪快に組まれた小屋梁は圧巻ですね。ここ出雲地方においては、梁に桁天からの数値を記入するならわしがあるそうで、写真に写っている梁にも数値が記入されていました。
現在、建物の屋根は瓦葺きなのですが、建築当時は栗そぎ葺きだったそうで、約三尺(91cm)の雪が三ヶ月積ったままでも各部が狂わないような頑強な造りとなっています。三間続きの部屋ですが、建具も綺麗に納まっています。
蔵も大きいですね~。軒の出が深く、雪深いことを実感しますね。
敷地奥の方には、茶室もありました。茶席は二畳台目の席で、京都大徳寺真珠庵内にある金森宗和作の『庭玉軒』をそのまま模したものだそうです。昭和十一年(1936)に近衛文麿公の紹介により、模する許可を得たそうです。
今回はさらっと見学しただけですが、もう少し季節が良くなった時にじっくりと見学してみたいですね。
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綺麗なとこですね。
こんなところでゆっくりしたいです。
ようこそいらっしゃいませ。
気分が穏やかに落ち着き、とても癒されますよ~(^^)v
今後ともよろしくお願いします~
それを支える柱も。
見上げたとき、幾重にも重なる小屋組が圧巻を通り越して、ものすごい重量感がありましたねー。
此処までしないと雪の重さに耐えられない地方の暮らしを物語るようです。
今年は雪も多いしきっと大変だろうなー・・・。
温暖な香川に住んでて良かった!!
ほんとしっかりとした豪快な造りなのですが、繊細な心配りで柱・梁の隙間も見られなかったですね。いい建物を見ることが出来ました。