彦根城は井伊家が支配する彦根藩の政庁でした。天守は国宝に指定されています。井伊家は、徳川四天王の一人である井伊直政を藩祖とし、譜代大名の中では最大の石高で、最大時は35万石に至っていました。徳川時代を通して多くの大老を輩出した家で、幕末の井伊直弼が一番知名度が高いのかもしれません。
慶長5年(1600)、関ケ原の戦いの後、井伊直政が石田三成の居城であった名城・佐和山城に入ったのですが、直政は気に入らず琵琶湖岸に近い磯山に居城を移すことを計画。ところが、関ケ原での戦傷が原因で2年後に死去。ですが、その意思を次いで慶長8年(1603)から築城が開始され元和2年(1622)にすべての工事が完成しました。
下の写真は、玄宮園から見た天守になります。池に映り込む天守がいい感じです。

玄宮園は、城の北東にある大名庭園で、琵琶湖や中国の瀟湘八景にちなんで選ばれた近江八景を模してつくられています。4代藩主直興により延宝5年(1677)に造営されました。
慶長5年(1600)、関ケ原の戦いの後、井伊直政が石田三成の居城であった名城・佐和山城に入ったのですが、直政は気に入らず琵琶湖岸に近い磯山に居城を移すことを計画。ところが、関ケ原での戦傷が原因で2年後に死去。ですが、その意思を次いで慶長8年(1603)から築城が開始され元和2年(1622)にすべての工事が完成しました。
下の写真は、玄宮園から見た天守になります。池に映り込む天守がいい感じです。

玄宮園は、城の北東にある大名庭園で、琵琶湖や中国の瀟湘八景にちなんで選ばれた近江八景を模してつくられています。4代藩主直興により延宝5年(1677)に造営されました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます