屋島の東にそびえる『五剣山』。香川県民の中では八栗山と呼ばれている山です。山頂部が剣のように割れた5つの峰があることから五剣山と呼ばれています。五剣部分は、江戸時代の宝永4年(1707年)に起きた宝永地震で割れて出来たそうです。それぞれの剣の山頂部分にはいくつもの祠が点在し、また中腹部分には岩窟があり、修行場となっています。かつてはそれぞれの剣に登れたそうですが、風化が激しくなり危険なので、入山禁止になっているようです。
この写真は、屋島から撮影したものです。山裾手前に見えるのが現在は相生川と呼ばれています。川の両岸の住宅地はもともと海で、源平合戦当時は入り江となっていました。この入り江が、源平合戦の主戦場となった場所です。ここで敗れた平氏が、下関の壇ノ浦へ敗走し、最終的に滅亡したのです。
この写真は、屋島から撮影したものです。山裾手前に見えるのが現在は相生川と呼ばれています。川の両岸の住宅地はもともと海で、源平合戦当時は入り江となっていました。この入り江が、源平合戦の主戦場となった場所です。ここで敗れた平氏が、下関の壇ノ浦へ敗走し、最終的に滅亡したのです。
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