江戸時代初期の承応2年(1653)に天満青物市場が設立されました。当初、乾物品は青物商の店先に青物と一緒に並べられていましたが、次第に独立した乾物専業の店が出来てきたと考えられています。菅原町にも、乾物問屋街の一角があり、いまも往時の風景を感じることが出来ます。下の写真の、手前の蔵が和田萬の倉庫で、奥の蔵がバーで活用されているVAGRANTです。
菅原町は、大阪天満宮の祭神菅原道真にちなんだ町名だと考えられています。江戸期には大坂三郷天満組に属していました。場所は、堂島川に架かる難波橋から少し東に歩いたところになります。
菅原町は、大阪天満宮の祭神菅原道真にちなんだ町名だと考えられています。江戸期には大坂三郷天満組に属していました。場所は、堂島川に架かる難波橋から少し東に歩いたところになります。