扱われているのはテレビにでもよく出る「日本ポリグル」のコロイド水溶液の凝集しているだけであり、汚染の素性が「穏当」(難しくない、素直な性質)だから、浄化されているように見られるだろう。
だが日本の浄水設備でも、この凝集をした後、富栄養化の石鹸質を消費する微生物処理を行うのである。平和ボケの長崎市のゴキブリ市長群は、この手の問題を放置してMICE(会議施設とホザクがacronymじゃなく単語で言うと「鼠の群れ」である)ばかりを作りたがる、所詮前の市長を射殺して握った権力だ。
さて浄化問題に関して虫獄が外国に依頼を出しているが、この浄化はほぼ絶望的である。日本の通常の河川の汚染は虫獄の汚水基準で言えば「劣後1類」か「劣後2類」程度である。
糞舐め汚すぎる虫獄・嘲賤ゴキブリは見境なく投棄する。それがプラスチック製品であろうと、感染症で死んだ豚であろうと、化学物質であろうと見境がない。
例えば環境管理基準が丸で無い。だからPCB(ポリ塩化ビフェニール:分解が特殊な炉でしか出来ない一級の危険物)に対する基準も無い。
基本的に化学物質処理は、予め極めて厳しく分別し、それぞれの処理項目に沿って専門業者が処理をするのである。
これは先進国では当然で法治主義なら当然だが、基地外底酷である、糞舐め汚すぎる虫獄・嘲賤の無法底酷では、これが「馬鹿の利口」で放置されている。西条秀樹を殺したのは、結果論として糞舐め汚すぎる嘲賤ゴキブリの無能・低能・無責任品性そのものである。
西条秀樹の健康が害されたのは糞舐め汚すぎる嘲賤のゴルフ場の水を飲んだ後だそうだ。思うらくに、ゴルフ場は水道代をケチる為に地下水を使っていたのだろう。それを日本と同じ感覚で西条秀樹は飲んだのだが一切除染されていない糞舐め汚すぎる嘲賤の地下水には①農薬汚染②建築廃材汚染③山岳部に投棄されたゴミによる汚染が想定される。
ただ虫獄の水は虫獄の分類である「劣後5類未満」の汚染である。これは「どんな処理をしても使用に耐えない」=劣後5類廃水より「酷い汚染=未満」なのである。
何度も糞舐め汚すぎる虫獄の汚水で言うのだが、虫獄凶惨盗(ちゅうごくきょうさんとう)ゴキブリは海水をイオン交換樹脂膜で脱塩したモノを飲んでいる。川の水は除染が到底不可能である。だからマシな海水から脱塩をする方法を使っている。
ただ渤海は海水も強烈に汚染が進み、海水の脱塩でも危なくなっている。虫獄の上海より北側の緯度にある海水は危険である。
さて、この虫獄と言う虫の地獄を当てるのが実に正しいと思わせる狂惨盗のパラダイスを構成しているのは
①ジアゾ染料、爆発性もあるが、炭素化合物のメジャーな猛毒、主に服飾、髪の毛の染めるのに使われる。色は紫が多い。
②重クロム酸、酸化触媒として使われる。化学の授業で見たことが有るだろう。クロムを含んでおり、一時期日本で騒がれた六価クロムが、この物質で、六価クロムの被害(接触した体の細胞を溶かす)を起こす。主に山吹色
③フェノール類、手の消毒に使っていたフェノール液である。発がん性もあるし、個体では昇華し爆発する恐れもあるし、それ自身が毒ガス。主に青・紫色
④ホルム・アルデヒド:シックハウス症候群を引き起こすアレルギー物質として有名。気化すると麻酔作用もあるが、基本的に脳に後遺症を残す恐れあり。透明無色。
⑤ケトン類:万能溶媒のアダ名が有る程溶融性能が高く、手に触れると綺麗に皮膚が解ける。
⑥エステル類:これも溶媒、やっぱりケトンと似たような害が有る。
⑦イソ・n・アルコール:毒性のあるアルコールと溶融性で他の溶媒と同じもの。
此等を摂取すると血中に溶け出し、全ての体内酵素の動きを破壊して多臓器不全で死亡する。
此等は、分類して処理しないと混ぜると分離が出来ない。今日本の企業が請け負っている浄水だが、正直無理であるのはわかっている。
糞舐め汚すぎる虫獄・嘲賤ゴキブリに、この問題の深刻さは理解する脳の部分が欠落しているので分からない。所詮は人ではないゴキブリの亜種程度の知能しか無い。
同じ人もどきのゴキブリの亜種は同じ地獄に堕ちる運命である。
馬鹿の役立たずの分際で「利口」を吹聴するのに、いい加減アメリカも付き合いかねるのが本音でしょう。
好き放題に言葉を言うべきでない存在なのを「糞舐め汚すぎる嘲賤ゴキブリ」は、50%の支持率を得ているので、これは完全に「手に負えない」と言う事だろう。
まぁそれを加速しているのは「マスゴミ」であり、本来言わねばならない事を放置している。それで「御機嫌伺い?」のつもりだろうか?
最近CGSで「じっくり学ぼう!闘戦経【CGS 家村和幸】」を見て、出来損ないの戦略論ゴキブリに辟易していたが、やっぱり自大馬鹿の寝言より、古典が正しいと思っていた。
「呉氏の説く事は総じて合理的である」との回では、正しく、孫子の伝える通りの事だった。
件の低能無用な自称「戦略論の大家」とホザク自大馬鹿の「虫獄のスパイは放置した方が良い」とスティーブ・バノン直伝の負け犬を晒して兵器な連中と糞舐め汚すぎる嘲賤ゴキブリは同じ領域である。
さてG20の閣僚会議が始まったが、糞寅の分際は、御自慢の吹聴を否定できず、下手な事を国際舞台では言えないので、ニート状態である。片一方は50%の支持率、片一方では経済失策を論った20万超の弾劾申請と、左右に振れて止まらないで、ただ虚しくウォンとKOSPIの下落を見ているだけの状態である。
北嘲賤からも嫌われる「敵しか作らない無能」を領袖に頂いて、一体糞舐め汚すぎる嘲賤ゴキブリは何をしたいのだろう?とは「当のトランプ大統領」の「疑問」である。
そこで流石に「嘲賤扱い」に慣れた安倍総理大臣は「分からなくて当然です。分かったら終わりです」とでも言ったのだろう。物分りが早く鋭い上に果断な決断をするトランプ大統領は「破談」を決定したのだろう。
実際、トランプ大統領の本筋は、①イラン問題②国境偽装難民問題③大統領選である。これに対して①イラン問題の口利きをする安倍総理大臣に比べるとイランと金銭問題を醸し出している糞舐め汚すぎる嘲賤大統領なんぞ、切ってしまって当然と思うだろう。
実は問題緩和の手段は単に政府レベルだけではなく、民間との繋がりも多く、今何かと目立たない三菱重工や三井物産などのイラン通は多く、草の根の繋がりを引っ張って来る事も可能である。
これは宗教問題が存在しない日本だけの強みである。日本はサウジとの間も実に良好で、加えてトルコにもコネが強力である。トランプにとって何よりの存在であるのは間違いない。
糞舐め汚すぎる嘲賤ゴキブリに使う金をトルコに使えば、問題は大分ハードルが低くなるだろう。
今「便りが無いのは良い便り」を地で行っていれば、安倍総理大臣の問題解決能力は世界的に注目されるだろう。
総理大臣が行政担当官を使って経済政策を引っ張って成功している上に、最大の外交通となり、一番の問題イスラムとのコネクションとまで来れば、世界中からの要請は引きも切らないだろう。ただ下らない持論を通している老い耄れニートとは根底から立場が違う。
何れにしても、何の実力もない糞舐め汚すぎる嘲賤ゴキブリは、バルサンでも焚いて抹殺すれば良いんだ。
今世の中では、2つの戦いと2つの足を引っ張りが、見られる。足を引っ張る連中は、結局タカるだけしか能がないので、これは自然消滅するだろうとトランプ大統領は見ている。
結論はとっくに出ている。問題は行動するタイミングで、今は下地作りなのだろう。このトランプ大統領の仕掛けは、発効する時には連鎖的に繋がるだろう。その線を切って回っているのはトランプ大統領より、糞寅の分際である。好き放題に言えて、好き放題の行動をとった分の責任はその時に帰ってくるだろう。
江戸末期から明治初頭に日本を訪れた外国人は「日本は子どもの天国である」と言ったというが、それは納得の行けるものだろう。ヨーロッパの宗教では、子どもはモノ扱いだったから。それはイスラム教でも同じであり、大人の宗教の面倒臭い決まりを押し付けられていた。
加えて、大人が欲望を満たす為だけに動いていたから、環境悪化、子育て放棄は、ヨーロッパでは当然だった。
江戸時代、大人が子どもを如何に注視していたか?それは守貞漫稿の第4巻を見れば明らかである。まぁ守貞の博覧強記と緻密な記録自身が常人のそれを遥かに超えており、日本には風俗を記録するにも図抜けた逸材がいたと言う事も然ることながら、それは入れ物であり、入れるものがなければ、それは膨大な空虚なものとなるだろう。
守貞漫稿に一杯に詰められた、子ども文化の山は、それが詰め込めるほど存在していた理由である。
童謡と言うか、昔からの子守唄や、その他の誰が作ったか分からない歌の多さに万葉集の国家であると思い知る。
そりゃぁクラシックは凄いだろう、だが、それは然程楽しいものなのか?と思う事が多い。クラシック音楽は過酷である。
何やら階級社会と言う点では日本も同じだろうが、階級を超えた繋がりは日本には存在しており、その幅の広さやおおらかさは、ヨーロッパとは比較にならないだろう。
ヨーロッパでは、高度技術と民集技術の間の隔絶があるが、日本では「手遊び(てすさび)」での製作が多く、それは金持ちが頼む事は出来ず、先ずは、それが評判となってお呼びがかかるものである。
それは上流の定まったコースがあるのではなく、下から積み上げていくのである。
何とはなれば、子どもは何でも遊びにする。木の棒でも人形と見立てるし、竹の切れっ端でも想像力を高めて使うものである。
それに対して不憫に思った親や大人の細工が、新しい民芸品を作ってゆくのである。
ブリブリやギッテウや竹馬など、子どもが勝手に色々工夫しているものも多い。
それもだが、寝物語の世界についてガリレオXでは扱っていなかった。
昔の長屋では、夜が長い冬の夜は子どもが集まって、寝物語をしたものである。
これが凄まじい文化的成長を広く日本中に及ぼし、三国志から始まり太平記、水滸伝は、人冬で終わってしまう。史記列伝や古典などの記憶を辿って伝えられる。興味のある事を、延々と3時間ぐらい毎夜行われるのである。
今の糞みたいな狂惨咒擬調教とは「文化のレベル」が比較にならんのだよ!
その中でもキラーコンテンツは「論語」だろう。何しろコイツにかかったら、寝ない子どもはいない。
この様な朝昼夜の時間を過ごした子供達の情操教育は比較にならないだろう。
今の子どもは、遊んでいるのか?遊ばれているのか?と思ってしまう。
私は「教育」とホザキたがる糞馬鹿文化系大学出の「狂惨咒擬調教」よりも「遊び・ゲーム」を楽しくする為の方法論としてのプログラムや理科教育が必要だと思っている。
だが困った事に、ITやコンピューター、数学、人工知能などどれも糞馬鹿文化系大学出の塊である憎狂阻(にっきょうそ)には全く理解不可能な領域である。
完全な馬鹿が、先ず子どもをダメにする訳だ。
何ともしがたい問題である。
「じゃがいも」は最近良質なものが出ているが、外人からすれば「野菜化」しており「新ジャガ」の本当の味を分かっていない!とこっ酷く言われるが、それも仕方がない。
北海道物産展で「ジャガ餅」と言う名で売られているものが、粘り強い新ジャガ料理なのである。「美味しんぼ」では「新ジャガのパンケーキ」として紹介されているもので、粘りの強い歯ごたえ無くして、ジャガイモを語るなかれ!と言うらしい。
ただ男爵いもに代表される「煮崩れる」タイプのジャガイモは、これに適さない様である。ヨーロッパでは、この蒸して、練ると粘りが出るジャガイモの品種が特に重点的に作られているとの事で、我々には知らない世界である。
だが、本来ジャガイモ、さつまいもは「新大陸」からの「もたらしモノ」であり、本筋はアメリカ大陸である。
ただ、このジャガイモと蕎麦が無かったらヨーロッパの人口は30%が無かっただろうと言われる程である。
もう一つ言うと「カソリック」の無茶教義が生産活動を停滞させていたのは明確で、特に「塩税」(これは何故か馬鹿みたいに取る)は、食文化を「完全にスッカスカ」にしてしまった。
塩が無いと「干物」が出来ず、往々にして腐れてしまう。これは、カソリックの食文化を徹底的に悪化させた。また塩が無い為に「パンの発酵」を悪くさせたりと、何の為の宗教か?と思えるほどである。
イタリアなどはパスタの国であるが、小麦を練るのに塩は不可欠であり、マシなパスタが食えなかったのもカソリックの所為である。
今「小さな村の物語イタリア」を見ていると美味しそうなパスタが出てくるが、これは1900年台にならないと見られなかったのである。
また一般的に蕎麦は、様々なものに利用され、糞舐め汚すぎる嘲賤ゴキブリおっ死んだハンガリーでは「カーシャ」と言い、実を蒸したり、蕎麦がきにしたり、また麺を打ったりもしたようである。
蕎麦はネパールが原産であり、これは練ってまとめたものを押出機で絞り出すやり方をしており、日本の様に伸ばし棒で広げるやり方は日本でしか無い。
他方で「野菜」はヨーロッパ・オリエントに全く劣っている。
彼の地には、多数の麦が原種として存在しているが、野菜の原種もオリエント文明の発祥の地に重なっている。
歴史教育では、オリエント文明を支えたものに野菜の種類と量を教えていない。
今でもヨーロッパの野菜に比べて、品種が少ない。ただ、江戸時代の品種輸入は恐ろしい勢いで行われる一方で明治時代の大量品種輸入が拍車をかけた。
驚くのは、菜っ葉の類は、殆ど存在せず、というか当時生産された原産種は今は殆ど生産されていない。特に菠薐草(ほうれんそう)や白菜は明治時代の輸入であり、白菜は日清戦争後の輸入品で「餃子を食べたいから」と言う要求に依るものだった。
また大根は室町時代に輸入されたもので、それが進化して、守口大根や練馬大根、遠野の辛味大根、青首大根、桜島大根などの品種が根付いた。
つまり奈良時代には「梅干し」はあっても「沢庵漬」は存在していない。
またネギも長ネギは存在したが、玉ねぎは明治時代である。
今日本は美食、各国の料理などが、多種多様に存在しているが、戦国時代以前の食事を思い出すのに窮する。
我々は魚介には多種多様に恵まれたが、農業は実に貧相なものだった。
ただヨーロッパも新大陸からの「もたらしモノ」で、実に大きく変化した。実際今イタリアではトマトの無い時代を想像できないだろうし、唐辛子の無い世界を想像できない。
糞馬鹿文化系大学出の欲深間抜けの吹聴する空虚な成功・豪華さと比べ、この様な文化の深みは、到底理解できないし体現すら不可能だろう。
此等は、一般的に土や山や海に触れている人間が作ったのである。
糞馬鹿文化系大学出は歴史・文化の発展に何の役にも立たない。
藤吉久美子主演のNHKの朝ドラ「よーいドン」の中で、道頓堀の芝居茶屋の板長で栄市の父(:大木実)が芦屋雁之助に向かって「包丁の引き方でお造りの味が違う」ところを見せるのは、この番組が初めてで「なっ?シャキッとしたのが分かるだろう?」と大木実が言うと芦屋雁之助が「ホンマですわ、これがシャッキリ味でんな?研ぎ方一つで、こないに味が変わるんでんな?」と言うシーンをまだ覚えている。
これは魚のおろし方であり、実は野菜でも味が変わる事が知られている。
それは切れる包丁で切った断面が細胞を潰さずに食材を細かく切れる効果を遺憾なく示しているのである。
この包丁と言う言葉自身が人名で、中国古代の名調理人「包丁(ほうてい)」から由来する。
この頃の包丁は仕上げに砥石を使ったのだろうか?砥と言う言葉が有る所を見ると、我々と同じ砥石文化があったのだろう。
今の所、硯や砥石にこだわりが一番有るのは日本だろう。
特に戦国時代が日本の全てを変えてしまったようで、刀を研ぐとか武具を研ぐ技術は、戦国時代に急激に発展し、江戸時代の円熟へと向かっている。
ブラタモリで「銚子」の話があったが、醤油文化は、銚子で拡大した。
ただ、醤油は1750年代に発生しており、それは鰹節や清酒の発生とほぼ時を同じくしている。
それまで、出汁は煮干しのようなものでとり、醤油はなく、溜り醤油などを使い、その前1700年頃までは醤油の代わりに味噌をお湯で溶かした「すり流し」を使っていたと言う。
包丁も両刃から魚専用の片刃の「出刃」包丁が生まれ「お造り」や薄身の魚用の「柳刃」包丁が生まれ、鰻を裂きやすいように「鰻裂き」包丁が生まれた。
食べ物ではないが畳を作るのに畳包丁も時代の要請に寄って生まれたのである。
此等は、やっぱり砥石を使って研がれており、その鋭さは、欧米の包丁とは比較にならない。
また大工道具の鉋(かんな)とノミは毎日研ぐものである。
砥石は粗砥、中砥、仕上げ砥石と3段階が基本であり、それ以前に砥石を先ず研ぐ。
砥石を研ぐ石もそれ同士を3個互いにすり合わせると自然に平面が出るので、月に一度は、これを行う。
今、自動で「荒研ぎ」までする「自動研ぎ機」は、往復運動から、円形の砥石を回転させるものに替わり、グラインダーで削った後、シャープナーでタッチアップするだけの欧米の砥石とは、この時点で雲泥の差となっている。
また日本の包丁は、鋼の調質が絶妙であり、見てくれは悪い古い包丁も、驚く程の切れ味を示し、この辺は「ステンレス包丁」など、幾ら頑張っても「鍛造包丁」には敵わない。
それは「セラミック包丁」も同じで、微妙な柔らかさが無いと刃が身に吸い付かないのである。研いだ後切れ味を見るのに親指の腹で刃を触るが、硬いだけだと、親指の皮膚が弾かれる感じがするものである。
この日本人独特の切れ味に対する拘りが半導体製造で切断カッターを作り上げたのである。
此等、鉄の技術は石の技術が支えており、木の技術は鉄が支えている。木の技術の洗練は、模型技術を高めており、その結果、試作を金属でやる前に木や粘土でつくり上げる。
この様な技術の下地があって、初めてモノづくり日本が存在するが、それを糞舐め汚すぎる虫獄・嘲賤ゴキブリに幾ら言っても分からない。
何故なら日本人出ない上に人ですら無いからである。
だから自分を支える自然を破壊しても全く違和感を感じない。
これに浄水技術に拘る「日本ポリグル」や「タカギ」の技術への拘りも当然全く理解できない。
だから汚物は、自らの吐き出す汚物に因って全滅するのである。