歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

コロナに負けない「埃と誇りの文化」元々、日本は3密文化だった。剣客商売に見る「頭巾文化」などの装束に3密を生活に溶け込ませる文化が有る。それは苦行ではない。

2020年05月29日 13時40分16秒 | 世界一ちゃんとした国家日本と嘘ばかりの左翼

まぁ時代劇は壮大な歴史歪曲の舞台であり、近年の織田信長像が、司馬遼太郎による「嘘信長像」が半世紀日本を騙していたのが、その象徴だろう。
昔はそうじゃなかった。例えば清水次郎長の時代劇では、宿屋に入る時、桶が人数分出てきて先ず客の足を洗い、水気を取るものだった。
これは「靴」の文化でないので、当然だが「靴文化」は「水虫の文化」でもある。
マリーアントワネットも雲南の民族間の異種族婚は、輿入れする嫁は決して足を地に付けない事が強制された。
これは土の中に病気が隠されているという人類共通の文化による。その意味では日々汚れるものの、毎日足を洗う日本の草履・草鞋・下駄文化の方が健康的だったと言える。
今の糞馬鹿文化系大学出が監督をやる時代劇には、その次がない。
水戸黄門で全員が「頭巾」をしているのは何故か?それは大河ドラマ「龍馬伝」で福山雅治がざんばら髪で見せてくれただろう。
埃である。これを避ける為に、頭巾と羽織、道中カッパは、誇り避けで、毎日洗濯できない旅人の七つ道具の一つだった。
足を洗うのは、今では手を洗うに替わっているが、立派な清潔文化である。また埃をウイルスの混ざった飛沫と考えると、羽織に変わる何がしかを着て、それを毎日交換はしないでも、掃除機で軽く吸わせるなどの心遣いも良いのではないだろうか?
また剣客商売の「頭巾」は、本当に良く出来たものだった。あれこそ口周りや目の周りを防護するに足る立派な頭巾である。
私は、最近マスクを見てつくづく、色気が無いなと思う。何か良いのはないか?と思ったら、時代劇で気障な奴がよくやる「扇子で口を隠す」ってのは、どうだろう?
口を隠すのも好し、相手に風を送るも好し。この様な、今も有る道具の活用は良いと思う。
そう思ってみると、江戸時代の究極の3密装束は「虚無僧」ではないだろうか?
中でも圧倒的に安全な「虚無僧笠」である。
だが、平安時代に話を戻せば、3密防止が徹底されていた。牛車で動く貴族は感染の恐れはない。それもだが、牛車を降りて歩くにしても、傘に薄絹をかけたものや、女の人が薄絹を持って、歩く姿は「優雅であるが、ウイルス対策100点」である。
フランスもツバの広い帽子に薄絹をかけているものを着用しており、これもマスクより、遥かに優雅である。
私は基本的に思うのは、マスクで覆うより、扇などで吐いたり、吸う空気を口より下の方から得るのが良いのでは?と思う。正面から飛沫は来るが、それを防げば良いだけだ。電車通勤は、それだけでも結構効果が有るかもしれない。
何れにしても、試みを所作に組み込み、その後もインフルエンザ対策にもなりうる、生活文化をつくり上げるよう皆が心がけるべきだろう。無理なく・自然に・優雅に。



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