チョンが糞雑音をマトモに書きも発音もしなくなっているらしい。
これは実は糞舐め汚い嘲賤の様な知能のないゴキブリ民族にはよく見られる傾向で、実は虫獄の漢字は乗っけから「正態」が無かった。
基本、魏や周(地名ね)で書かれているのが「本家」の筈なのだが、実は、斉や韓や趙に行くと変わってしまう。
実は蛮族と言われている呉や秦の方が古代の「正態」が残っていたりした。
これが実に不思議な事に虫獄に統一した「漢字辞典」が作られたのは7世紀になってからで「科挙」の為に文字の基準が必要だったのである。
では日本ではどうだったのか?
これが不思議不思議で、日本には「先ず外国語」だから「辞典ありき」だったのである。
だから「統一漢字辞典」は一番最初に作られた日本国の書物なのである。
これが不思議なもので、日本の仮名は変体仮名が50ぐらいあって、徹底して読みにくかった。
今日ウジ虫TVでやっていた27時間テレビで「手紙」を見られただろうが、あの中で際立っていたのが、伊達政宗である。
あのおっさんは、1000通以上手紙を書いたとあるが、そんなものではない。
伊達政宗の手紙は、一枚を三倍に使う事で知られている。
先ず、ナニもない状態で一面、そんで、裏面に書いたかと思うと、その上下左右の隙間や行間にも書き込むという「ある意味変質的な手紙の書きかた」をしたのである。
また伊達政宗は息子よりも娘や嫁、妾によく送ったので、当時武家が用いた「崩し字」を使っていなかった。
だから楷書で書いていたのは伊達政宗だけだったでしょう?
また「草書体」程度で、分かりやすい文字を選んで書いていたという点で、実に凄い。
付け加えると単なる白い紙ではなく、出始めた「唐紙」(美の壺にもあったが、薄く模様の入っている半紙)も使っていたのは武将では正宗だけだった。
私は「崩し字」のテキストを持っている、これは「崩し字テキスト」で検索すると、地方自治体のHPに存在する。
これを見ても分かるが候や為、殿、旨などは、チョンチョンと筆を跳ねている程度しか書かれていない。
つまり、前後の関係から、これは候?為?殿?と言う状態でした。
そして、その当時漢字混じりの文章の中で更に面倒臭かったのが、変態仮名があり、ヰ、ゐ、ヱ、ゑなどの文字が50もあったのだ。
因みに悪筆の場合臣下しか分からない書状もあったとの事だ。
だが、糞舐め汚い嘲賤は、この逆の方向に収斂していく。
つまり言語が広がらず知能に合わせて縮小していくのである。
人間は生きている限り多様性や個性の広がりが出てくるので、文字は増え、言葉は増えるのである。
漢字はいろいろ含めると20万程度あるが、チョンは1/4000程度の「文字」しか存在しない。
加えて同音異義語が一つの音で4つ程度あるとのことだ。
これでは、何も話せない。
また漢字を昔読めたらしいが、その時に糞記号に入れられた語彙が無ければ、それは糞記号の概念に無かった事になる。
つまり今の30%程度の意味しか無い。
そして、それがドンドン小さくなるのである。
今後、糞舐め汚い嘲賤は北も含めて「情報が伝えられない吠える程度の鳴き声」に成り下がるのである。
…っま…良いか…、元々野獣みたいな糞舐め汚い嘲賤だから、しょーがない!
おーしまい!
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