館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

神の島「久高島」に渡る。

2012-07-02 05:50:17 | 旅は続く
がはは!!

今日は、長いぜ!

まあ、興味ない人は、写真だけでもどうよ?

な・な!





朝7:30、ホテル前でタクシーを拾い、東へ縦走するように「安座真港」に向かった。
目的は、神々の島「久高島」だ。

海岸総長8キロ。最高点17m。自転車を借りて回ったら、2時間で十分村内を回れる島だ。しかも、平坦な道路で、実に走りやすいのであった。

琉球の創世神アマミキヨが天からこの島に降りてきて国づくりを始めたという、琉球神話聖地の島。今も沖縄の精神性の芯をなす信仰の、聖地なのだ。

この点を感じたかった・・ということも有るが、離島の美しすぎる海・吹き抜ける風・豊かな緑の中、まったり・「黄昏たかった」のだった。



高速船で20分弱・フェリーで30分強の旅だ。
さっそく、貸し自転車・・・1日1000円な。



何処までも続く「コーラルの白い道」・・・・



ここは、聖地であると・・・優しく、「入ってはいけない場所には入らないように」と、告げられる。



久高島の土地は村有地などを除いてすべて共有地であり、琉球王朝時代の地割制度が唯一残っている。「久高島土地憲章」により分配・管理を行っている。
島内は観光開発がほとんどされず集落は昔ながらの静かな雰囲気を残しているようだ。


漁業では、主にモズク、海ぶどう等があるが、イラブー(エラブウミヘビ)を燻製し、沖縄の他の地へ供給しているのだ。
女性は主に農業に従事し、男は海で働いているようである。




アダン・・・そして、家の壁・敷物・宗教の道具と、様々に使われる「ビロウ」の木だ。アダンやビロウ、シャリンバイ・などの植物が小さな森を作り、そこが聖なる場所として、大切にされている。



バナナな!

水源は雨水と湧き水を貯める井泉(カー)にたよっている。島のあちらこちらに、溜め水がる。その水場は、また、神の宿るばしょでもある。



オオハマボウの大きな花・・・海岸沿いでよく見かけるのだが、花が落ちると、違う花の様な色彩になることが、初めて分かる。何故かうれしい!



ところでな・・・
高速船でやってきたオラ含む30名程度の客が、大半自転車・少しだけ徒歩で、島を回るわけよ。このベーベーとは、いつしか回るタイミングがあって、しばらく一緒に回っただよ。

根室の出身で、住んでいるのは利尻。3ヶ月ほど前に沖縄に来て、働きながら過ごしたらいい。二十歳代・・・30過ぎた年齢かしらん?
「来た時は40度の気温差でした」とか「もう、帰るので、最後に観光している」とか言っていたぜ。

花を一緒に眺めたり、美ら海を一緒に眺めたり、楽しかったぜ!

な・こうした出会いも大事だよな!




たまらない美しさだよな!

南部沖縄の海は、少し汚れてきた?海なら、離島かもな。

「特に、旅行社等による募集型ツアーの予約はご遠慮下さい。」

と、島の宿泊施設は語る。そんな島は、美しい!




島内には御嶽(うたき)、拝み所(うがんしょ)、殿(とぅん)、井(かー)などの聖地が散在しており、中でも島中央部にあるクボー御嶽は久高島第一の聖域であり、男子禁制である。

その、クボー御嶽。入り口のみ眺めただよ。



その後ベーベーと分かれて、誰も居ない海岸に行った。
40分ほど、優しい風の中、昼寝しただよ・・・気持ちよいったら、なかったな。

しばし、黄昏、反省もしたのだった。



昼時。3軒ある食堂の1つにたむろ。




オラ、このために自転車漕いだと、実感のビールが旨いったら無かった。
で、チャーハン。



高速船・フェリー6便の往復がある久高。

慶良間諸島、観光スポットの座間味島などでも、1日フエリー合わせて4便の往復だ?

これほど小さな島になぜ?と疑問をタクシーの運転手に聞いた。

「ここは、今でも、本島などから、節々に拝みに来るからね~」とのこと。

ウミヘビの捕獲人と、燻製時(バイカン)の作業者を募集していた・・・・



良い島だった・・・帰りはフェリー。




那覇に帰る道すがら、見たかった「城跡」を訪ねた。

1406年、佐敷の按司(地方豪族と考えればよいかな?)であった尚巴志は中山王武寧を攻め滅ぼし、父、尚思紹を中山王位に即ける。これが第一尚氏の始まりである。第一尚氏は1416年、尚思紹在位中に北山王国を、2代尚巴志即位後の1429年に南山王国を滅ぼし、沖縄本島を初めて統一{ウィキ・(内)は、俺)

かなり、雑然として、当時の面影は厳しい・・・・




同じ時代に、覇権を争った、南山王・島添大里按司の城跡に最後に行った。

当時に石垣・柱の土台の石・拝所・墓など残るが、放置状態。
予算を付け、発掘調査、復元など行なえば、見事な観光資源だ!

グスクを巡るのは、その時代に、想いが至って、なんとも素敵なのだった。


こうして、2日目の、明るい時間は過ぎていったのだった。


長いのが、まだまだ、続く・・・・・


与太な記事だ。興味のない方は、写真だけでもお楽しみください。




コメント (6)
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