館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

田中正造と福島・・CDの録音はほぼ終わったのだった。

2013-07-04 06:21:50 | ロスト シングアウト


CDなんて、館林でロストを作って歌い始めて、考えたことも無かった。

33年・・・ここで、暮らしながら、仲間と歌い、時にコンサートなど開いて、人を寄せて、その高揚感を抱きしめて、また歌う。それで、僕らアマチュアは満足だったし、それ以上望むものは無かった。

写真・・・必死の体育会系アツコのボーカル録りの場面。



昨年、日本のフォークを根底から覆し・支え続けている笠木透氏から手紙が届く。

「田中正造没後100年をもうすぐ迎える。日本で最初にして甚大な被害をもたらした公害に、立ち向かった正造。そして21世紀の今、福島、そしてこの国は原発の爆発という、驚愕の公害の只中に居る。わたし達は、いま、あらためて、国とはなにか、人びととは何か、を問うべきだろう」

田中正造・・・僕らは、この名前を節々に聞いて、洟をたらした頃から育ってきた。
正造を歌えることは、誇りだ。

写真・・川崎草太君とお父さん。石川からやってきたのだ(美味しい酒つきで・・♪)。



そんなわけで、地元アマチュアの我がロストと、佐野のウッドランドそして、笠木透と雑花塾の怒涛の録音が行われたのだった。何と4日連続・朝9時から夜10時までのハードなスケジュールであった。

昼夜は炊き出し・・・さすが7期の議員生活を支えたAさんのまかないの指揮は完璧だったなぁ・・




空いている時間には、どこかで誰かが練習をしていて、時には、始めてあった人たちと、突然セッションが始まったり、実に楽しい時間も、あったのだった。



連日連夜・・・10時半ごろから我が家で「打ち上げ」が続く・・・

居酒屋「オ サム」とも、パブ「オ サム」とも・・・・


一期一会・・・僕は数日で10年分の音楽との格闘をしたような感じ?

次回があるのか?と問われれば、僕らのスタイルでは無いかもしれない・・・

でも、ここで出会った全ての人たち、その出会いは、鮮烈で・豊かで、素敵だった。

やなやつは誰も居ない・・・ピークは40人・・同じ釜の飯を食った彼を、彼女を僕は忘れることは無いだろう!


  ♪ 長く続く道を ずっと歩いてきた 振り向くこともしないで

    出会った人すべて 悪いわけじゃない 勇気をくれた人も居た


      長い道を歩く 歩く ただ1人 歩く  ♪

              「あてない旅路」・ SONG By オ サム
コメント (14)
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