
ガイドする場合、質を下げず、安く抑えるを基本としている。3か月前にアクション起こすも、いつもの8時台後半は取れず、11時のフライトというやや中途半端な出発だった。2時ころ那覇なので、初日は、市場の見学やら、お土産の購入をメインにした。何度もご一緒の2人は、土産も手慣れて、初めての方は、日本かぁ?と思うような、アジアンな沖縄に、スジグワーや市場を歩くのも、楽しいだろうと思う。
写真・出発前の羽田で乾杯!


何をさておいて、焼けた首里城のために、那覇市役所で募金。


沖縄の行政の中心地。西から、那覇市役所・県議会・県庁と特徴的なビル群が並ぶ。



沖縄県民の「首里城焼失」への嘆き・悲しみは、ひしひしと伝わった旅だったが、この新聞の記事は、妙に腑に落ちた。
油断してるとまさに「辺野古に苦しむ政府首脳にしてみれば、復興支援を名目に、沖縄の政治状況にヒビをいれて、くさびを打ち込むことは目に見えている」だよな~~

焼けた首里城には向かう気にまだなれなかった・・・写真は昨年の首里城だ。


酒屋・市場・土産物をいつも購入の店・鰹節の松本商店と、滞りなく回り、発送もすませた。

さらに本屋も回って、各々数冊購入。ホテルチェックイン・・・少し部屋でまったりし、いよいよ夜の那覇初日となった。
いつもの「コマネチ」!

まずは、乾杯だんべ!



お通しのマグロも・いつもの串揚げも・島豆腐揚げも上等!
沖縄に行ったら、この「島豆腐揚げ」を食べてほしい。本土なら厚揚げだが、本土は出来合いをあぶるだけ・・・島は、豆腐から揚げるので、美味い!

ミッキーはネーネーズをご所望。皆、がってんしょうち!

第六期の今、今年2人のメンバーが卒業。中心で支えた上原渚のもと3人新加盟で現在だが、上原さんがこの日は、出産で休み(13日に無事生まれたらしい)で、新メンバー3人であった。


僕の案内する者共は、ノリは抜群・はじけるのも属性だ。

2軒目に向かう途中、馬頭琴の路上ライブに聞き入る者ども。
沖縄では有名らしく、上手!!!その名も、馬頭琴かおりさん、あちこちのライブハウスで出演したり、お祭りに出演したり、らしい・・・

やがて、タンパラヤ!

おれの連れてゆく客は、まじ、タンパラヤが似合うなぁ・・・・こじゃれたとこは、似合わんなぁ・・・

今のところ、那覇で一番うまい!軟骨もラフテーも上等。

店主の写真を撮り忘れたので、前回ミネさん・セイゴウさんとの旅の写真をアップ。
店主セイボーと俺の付き合いも10年を超える。基地賛成派の面白いやつだ。何故か、新基地建設には反対。

ホテルは朝飯は、無料のバイキングが付く。初日は東横インおもろまちだった・・・3日目ははやり東横イン美栄橋なのだが、朝飯バイキングはおもろまち店のほうが、品数が多い。


2日目はいよいよ、米軍が最初に上陸・集団自決の島「座間味島」に向かう。
泊港から高速船で行は50分・帰りは1時間だ。
泊港の前には沖縄で有名な「外人墓地」がある。
大きな、ペリーの記念碑があるが、ウイリアム・ボードというペリーの船の船員の墓もある。
ペリーは江戸に開国をせまるため、日本にやってくるが、その寄港地として、沖縄には5度も訪れている。琉球が日本の支配下にあると知っていて、1853年にはアメリカに「日本が開国を拒めば、琉球を植民地にするつもり」と手紙を送っている。
やがて、1854日米和親条約。同年沖縄に寄港。その折、船員の上記、ボートが酔っ払って、50過ぎの沖縄の女性をレイプする事件を起こし、島民に追われたボートは誤って海に落ち溺死する。
この事件を口実に、ペリーは琉球王朝に開国をせまりやはり「琉米条約」を結ばせるのだった。不平等条約の押し付け・・・・160年前から、侵略者むき出しの姿で沖縄にやってきたアメリカ・・・今も、日米地位協定という、不平等な条約でこの島は苦しんでいるのであった。

船酔いが心配おだが、とりあえず、出航前の客室・・・・
いよいよ、島の島に向けて出発だ。
今回旅の2つのメイン企画の1つに向かうのだ!
しかしまぁ・・・相変わらず、長い旅日記だぜ・・・・