今回旅の目的は・・
➀とにかく沖縄の空気が吸いたい。
②コロナ下、那覇の街は?行きつけの店は?生き延びているだろうか?を確かめる。
➂一体沖縄は、本土からの客にどのような思いでいるか、取材してみたい・・
が、テーマだった・・・
そこに、➀行っていない史跡巡り・・・②昨年来温めていたマイ企画・・「普天間基地を可能な限りフェンス沿いを歩いて1周してみる・・を、重ねた。
いよいよ(って、皆さんにはあきれられるに違いないのだが・・)普天間基地を歩くぜ!
出発時間は8時15分くらいであった。


何処にかは、酔狂で変わり者はいる。マイ企画・・ネットであさったら、同じことを考えて実践した方が居た。その旅日記をまずは参考にして、地図も揃え、いざ出発だった。
(しかし、おおむね16キロ・・歩きのこの企画に、良くもまぁ・・ミネさんが乗ったものだ・・)
参考の方に同じく、宜野湾市佐真下の「佐真下公園」を出発・・第二ゲート前からだ。

ほんの少し舗装・・

やがて、道なき道になるはずだった・・


さっそく、アメリカにやられる・・(茂みを超えたら、アメリカセンダングサにやられた)

ばかやろうな、看板はいたるところに張られている。

ヘリが墜落した「沖縄国際大学」前、通過・・・ここらから、道はなくなり、道路へ出たり、また。フェンスのある場所に入ったり、の繰り返しのはずだが・・


昨年下見に来た時、道路の工事らしいことをやっていたのは見ていたが、まさか!!!!
工事中区間が何か所もあり、まだ開通していないが道路ができ始めていて、全行程の3分の1は直線・快適な出だしとなったのは、驚きと共にありがたかった。

何と!上原公園までフェンス沿いを来れるとは・・・


隣は「佐喜眞美術館」!いよいよ、フェンスとはお別れ・・



路地から330号線に出ると、すぐに、宜野湾市役所。

国道沿いがフェンス・・・

やがて、第三ゲート。
第三ゲート前で、アメリカは帰れ~~などと、シュプレを揚げていたら、基地内から米兵の乗ったパトカーがやってきたぜ!
わしゃ、地位協定外の、おれの国に立ってるのさ。


やがて、基地の半分・折り返し地点・普天間南到着。ここまでほぼフェンス沿い直線だったので、予定時間より1時間は早い。
しかしこれから、右左と進むことが予想され、100mフェンス沿いを進むのに300mかかるような行程が予想され、ある意味覚悟する。


普天間小学校通過!



やっとフェンス沿い発見!

したすら(ひたすら)フェンスなど見えず(基地沿いは高台でお墓群になっている)、なんで俺はこんなところを歩いているんだ?と、自問自答が続く、そんな苦行が続いている。お互い、無口になる・・・行程の5分の3ほどか?大山辺りで、海が見えてきた。
歩いている道路は58号線に並行した、裏道。車の通りはあるが、お店などほとんどない。

歩いてきた道は、左へ折れる広い道とのT字路っとなる。直進せず左へ・・・
見覚えのある、高台に通じる広い道。メインゲート、第一ゲートに続く道にやってきた。
道沿いに史蹟!


史蹟・「マヤーガマ」・このような遺跡だ。「大山マヤーガマ洞穴遺跡の発掘調査では土器が出土していますが、約3000年前、約2300年前、約800年前と年代に幅のある出土物となっています。他には人骨やその副葬品と思われる貝輪がありました。また約200年前の蔵骨器(ずしがめ)もあり、古くからここが墓として使われていた事が分かる遺跡となっています。前庭部からは石斧や小穴等の生活跡もありました。墓の移り変わりが分かる貴重な場所として市指定史跡として指定されています。」
避難壕としても、使われたろう。よく基地建設で壊されなかったなぁ・・・



さて、第一ゲート!まっすぐ車が進めないように、ブロックされ、その奥に守衛所がある。
ゲート前で、シュプレヒコールは上げず、元に裏街道に戻る。


へたばっていた・・・・
これだけの行程で、水しかもたなかった準備不足を反省した。行動食はもつべきだった・・・シャリバテ!
やっとコンビニに出くわし、行動食。






考えていた道とは外れるが、看板では150mほど(これが大ウソで、150mほどの目印は撤去されていた)なので、貝塚ときいちゃ、寄り道・・
これが、実は大ウソで、500mは優にある急峻な坂道であった。かなりばてるが、これがこの後の幸運となった。
貝塚は碑のみ・・・奥に拝所(大山御嶽)だ。



貝塚からは、フェンス沿いに幅1mほどの手入れされた沿道があった。たぶんフェンスのメンテナンス用だろう・・・
これが続いて、やがての道に通じたら・・・と、妄想は膨らみ・・意を決して進んだ・・・
1キロ弱か・・・・
もし、この道が途切れたら、アウトだ。戻らなければならない恐怖に包まれつつ、とにかく歩いた。



なんと!右はずっと亜熱帯の森(ハブが住んでいるに違いないジャングル)だったが、森の隙間から公園らしき場所が見えた。
ブッシュをかき分けると、「森川公園」だった!
やった!!!!!ヤッタ!
わりわりは、小躍りし、心の中で叫んだ・・
しばらくぶりに、2人に会話が戻った。ここまで3時間半。

こののちは、住宅街がしたすら続き・・出発点、佐真下公園を目指した。ネットで道など検索すると、3分・・・と出たが、これは車で3分であった。

ついに、佐真下公園到着!!


第二ゲートだぜ!
4時間強・・・3万1000歩だった。
疲れ切っていた。
2人で歩く・・・互いに自分のペースで歩いたが・・
どちらかがめげそうなとき、相手は気力が続いていたりと、ある意味2人だったから、出来たように思う。
1人だったら・・・1人だったら「ここで止めて、また後日、ここから最後までやればいいか・・」などと、タクシーを拾ったかもしれないぜ。
歩かないとわからないこともある。
沖縄第五の都市、宜野湾。19,8平方キロの町に、9万9000人が暮らしている、
宜野湾の総面積の25%の一等地に、普天間飛行場がある。
単純比でも、2万5000人が暮らすことのできる場所だ。
普天間基地・・確かに広大で、人々の暮らしの場の只中に毒を吐き・牙をむいて立ちはだかっていた。

用意した地図は、ボロボロになった。
帰ってから、通った道をなぞった・・・緑がそれ。オレンジの部分はフェンス沿いだ。ほぼ半分はフェンス沿いを歩けたか・・・
22日の2m圏内接触者。
濃厚接触・・女房・長女・孫・長男・その彼女?・・・・5人。
➀とにかく沖縄の空気が吸いたい。
②コロナ下、那覇の街は?行きつけの店は?生き延びているだろうか?を確かめる。
➂一体沖縄は、本土からの客にどのような思いでいるか、取材してみたい・・
が、テーマだった・・・
そこに、➀行っていない史跡巡り・・・②昨年来温めていたマイ企画・・「普天間基地を可能な限りフェンス沿いを歩いて1周してみる・・を、重ねた。
いよいよ(って、皆さんにはあきれられるに違いないのだが・・)普天間基地を歩くぜ!
出発時間は8時15分くらいであった。


何処にかは、酔狂で変わり者はいる。マイ企画・・ネットであさったら、同じことを考えて実践した方が居た。その旅日記をまずは参考にして、地図も揃え、いざ出発だった。
(しかし、おおむね16キロ・・歩きのこの企画に、良くもまぁ・・ミネさんが乗ったものだ・・)
参考の方に同じく、宜野湾市佐真下の「佐真下公園」を出発・・第二ゲート前からだ。

ほんの少し舗装・・

やがて、道なき道になるはずだった・・


さっそく、アメリカにやられる・・(茂みを超えたら、アメリカセンダングサにやられた)

ばかやろうな、看板はいたるところに張られている。

ヘリが墜落した「沖縄国際大学」前、通過・・・ここらから、道はなくなり、道路へ出たり、また。フェンスのある場所に入ったり、の繰り返しのはずだが・・


昨年下見に来た時、道路の工事らしいことをやっていたのは見ていたが、まさか!!!!
工事中区間が何か所もあり、まだ開通していないが道路ができ始めていて、全行程の3分の1は直線・快適な出だしとなったのは、驚きと共にありがたかった。

何と!上原公園までフェンス沿いを来れるとは・・・


隣は「佐喜眞美術館」!いよいよ、フェンスとはお別れ・・



路地から330号線に出ると、すぐに、宜野湾市役所。

国道沿いがフェンス・・・

やがて、第三ゲート。
第三ゲート前で、アメリカは帰れ~~などと、シュプレを揚げていたら、基地内から米兵の乗ったパトカーがやってきたぜ!
わしゃ、地位協定外の、おれの国に立ってるのさ。


やがて、基地の半分・折り返し地点・普天間南到着。ここまでほぼフェンス沿い直線だったので、予定時間より1時間は早い。
しかしこれから、右左と進むことが予想され、100mフェンス沿いを進むのに300mかかるような行程が予想され、ある意味覚悟する。


普天間小学校通過!



やっとフェンス沿い発見!

したすら(ひたすら)フェンスなど見えず(基地沿いは高台でお墓群になっている)、なんで俺はこんなところを歩いているんだ?と、自問自答が続く、そんな苦行が続いている。お互い、無口になる・・・行程の5分の3ほどか?大山辺りで、海が見えてきた。
歩いている道路は58号線に並行した、裏道。車の通りはあるが、お店などほとんどない。

歩いてきた道は、左へ折れる広い道とのT字路っとなる。直進せず左へ・・・
見覚えのある、高台に通じる広い道。メインゲート、第一ゲートに続く道にやってきた。
道沿いに史蹟!


史蹟・「マヤーガマ」・このような遺跡だ。「大山マヤーガマ洞穴遺跡の発掘調査では土器が出土していますが、約3000年前、約2300年前、約800年前と年代に幅のある出土物となっています。他には人骨やその副葬品と思われる貝輪がありました。また約200年前の蔵骨器(ずしがめ)もあり、古くからここが墓として使われていた事が分かる遺跡となっています。前庭部からは石斧や小穴等の生活跡もありました。墓の移り変わりが分かる貴重な場所として市指定史跡として指定されています。」
避難壕としても、使われたろう。よく基地建設で壊されなかったなぁ・・・



さて、第一ゲート!まっすぐ車が進めないように、ブロックされ、その奥に守衛所がある。
ゲート前で、シュプレヒコールは上げず、元に裏街道に戻る。


へたばっていた・・・・
これだけの行程で、水しかもたなかった準備不足を反省した。行動食はもつべきだった・・・シャリバテ!
やっとコンビニに出くわし、行動食。






考えていた道とは外れるが、看板では150mほど(これが大ウソで、150mほどの目印は撤去されていた)なので、貝塚ときいちゃ、寄り道・・
これが、実は大ウソで、500mは優にある急峻な坂道であった。かなりばてるが、これがこの後の幸運となった。
貝塚は碑のみ・・・奥に拝所(大山御嶽)だ。



貝塚からは、フェンス沿いに幅1mほどの手入れされた沿道があった。たぶんフェンスのメンテナンス用だろう・・・
これが続いて、やがての道に通じたら・・・と、妄想は膨らみ・・意を決して進んだ・・・
1キロ弱か・・・・
もし、この道が途切れたら、アウトだ。戻らなければならない恐怖に包まれつつ、とにかく歩いた。



なんと!右はずっと亜熱帯の森(ハブが住んでいるに違いないジャングル)だったが、森の隙間から公園らしき場所が見えた。
ブッシュをかき分けると、「森川公園」だった!
やった!!!!!ヤッタ!
わりわりは、小躍りし、心の中で叫んだ・・
しばらくぶりに、2人に会話が戻った。ここまで3時間半。

こののちは、住宅街がしたすら続き・・出発点、佐真下公園を目指した。ネットで道など検索すると、3分・・・と出たが、これは車で3分であった。

ついに、佐真下公園到着!!


第二ゲートだぜ!
4時間強・・・3万1000歩だった。
疲れ切っていた。
2人で歩く・・・互いに自分のペースで歩いたが・・
どちらかがめげそうなとき、相手は気力が続いていたりと、ある意味2人だったから、出来たように思う。
1人だったら・・・1人だったら「ここで止めて、また後日、ここから最後までやればいいか・・」などと、タクシーを拾ったかもしれないぜ。
歩かないとわからないこともある。
沖縄第五の都市、宜野湾。19,8平方キロの町に、9万9000人が暮らしている、
宜野湾の総面積の25%の一等地に、普天間飛行場がある。
単純比でも、2万5000人が暮らすことのできる場所だ。
普天間基地・・確かに広大で、人々の暮らしの場の只中に毒を吐き・牙をむいて立ちはだかっていた。

用意した地図は、ボロボロになった。
帰ってから、通った道をなぞった・・・緑がそれ。オレンジの部分はフェンス沿いだ。ほぼ半分はフェンス沿いを歩けたか・・・
22日の2m圏内接触者。
濃厚接触・・女房・長女・孫・長男・その彼女?・・・・5人。
普天間基地(周)を徒歩取材・報告…さすがオ・ツブクさんと峰さん…報告会を開いてくださいね!
宜野湾市役所の横断幕に共感です。
「普天間飛行場早期返還!」「オスプレイ配備反対!」「日本政府は日米地位協定を抜本的に見直せ!」…その通り!
歩くとわかることもある!
峰岸がよくまぁ・・この企画ににりましたねぇ・・
ひやひやながら、沢山の学びがありました。