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館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

イトウ・イワナ・鱒の燻製。

2019-11-25 04:43:32 | グルメだ!
旅の前の仕事だったが、これが今年の最初で最後の燻製だったので、記録として残す。

いつもは冷蔵庫で、溜まっていたイワナを最後に燻製でやっつけるのだが・・・今年はコンサートの打ち上げで、見事に35匹、食べて頂いたので、知り合いから頼まれなかったら、やらなかったかもしれないな。

自慢するほどではないが、燻製を始めた時「ハーブを育てる」から、始めたあたりが、俺の属性かもな?

さて、記事だ。





知り合いにイトウ・鱒の燻製を頼まれた。俺の冷凍庫にもイワナが残っていたので、引き受けた。
燻製作りは2日間に渡る。

前日まず、ソミュール液を作り、魚を一晩浸すことから始まる。

ソミュール液・・・タイム・ローリエ・黒コショウ・・・・塩・砂糖・酒だ。

秋なので、塩少なめにした。



ふっとさせたお湯に、上記ブツを入れ、1煮立て・・これを冷まし、ジップロックで魚にヒタヒタに入れ、一晩味をしみこませる。

美味しく作るコツは、魚を血合いまできれいにし、全体をたわしでこすってヌメリを取ることだ。



翌朝、干し籠にならべ、6時間はたっぷり干す。つまりは、晴天の日が大事!



七輪でじっくりなので、色々な道具をそろえる・・・・




チップはヒッコリーを使う。

ダッジオーブンの底にアルミホイルを敷き・チップ。アルミホイルを丸めた足を作り、網は底から5・6センチ浮かせる。

鍋全体が暖まる(正確には、触るとやけどくらいに熱くなる)のに15分はうちわで扇ぎながら、の作業が一番疲れる。



約20分で一鍋完成。



やがて、2鍋完成。



今回は、量が少なかったので、2回で終了。

型が揃って、大きめが多かったので、旨いのが出来た気がする。

釣りも、燻製も、今年は終了だぜ。




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ミッキースペシャル・2019秋の沖縄旅・・2日目・・集団自決の島を反芻す。

2019-11-24 05:28:43 | 旅は続く
長いぜ・・・とにかく、まとめることのヘタな俺の文章は長いぜ!
興味ない人はパス!!!!

ツブク観光で参加の3人は、反芻の意味で読むべし!!!




那覇も遠くの島影になって、やがて、渡嘉敷島が立ち現われ、その渡嘉敷をぐるりと回れば、座間味の波止場が見えてくる。
デッキ最後尾に立ち、遠くを眺める・・・(トラベルミンも飲んだし)これが、とりあえずの船酔い防止策であった・・・




本土へ米軍がなだれ込む前に、米軍は座間味含む慶良間の島々を砲弾の嵐でずたずたにして、前線基地にする。座間味島はまさに「米軍一歩の地」なのだ。



民宿に行き、各部屋に荷物を置き、まずは座間味の「戦跡」をめぐるべく、「じいさま暴走族」で出発したのだった・・・



自決を免れた(意図せず)当時19歳の宮平春子さんの証言を頼りにそこを回る(実際・ほとんどが証言の場所しか残されていない)。
1・25日は、産業組合壕の近くにあった、家族壕に居たが、、助役だった兄から、「明日は艦砲射撃が始まり、敵の上陸は免れないので水杯で乾杯し一緒に死のうと言われる。
2・兄の子どもたちに、晴れ着を着せ、白いオニギリを食べさせる。子どもたちはお祭りのように無邪気に喜ぶ。
3・村人の多くは「忠魂碑」前に向かうが、艦砲射撃激しく、たどり着けず、大きな産業組合壕に向かう。
4・組合壕には村民も入っていて満杯状態だったが、兄は「ここは役人だけで自決するので住民の皆さんは出て行ってください」と促す。(組合壕では村長含め行政の役人67人が自決している)
5・ここで兄と別れる・・・・さ迷った彼女は、生き残る・・・

読者諸氏はあたりまえのことだろうが、集団自決は、あの曽野綾子が言うように「美しい愛の姿」でも何でもない。
天皇制とその所産である。天皇のために命をささげるとか、「生きて虜囚の辱めを受けず」と言った、皇国教育の洗脳の行きついた悲惨以外の何ものでもない。
天皇のために死ぬことが美化され、捕虜になれば女子は強姦され、男は惨殺されると教育された、馴れの果てである。

その忠魂碑を訪ねる。畑のあぜ道・・その奥・・まったく不親切な(ある意味踏み入れることをどこか拒むように)場所さ。



碑の台座は、今も当時の砲弾の跡が生々しいのだ・・・・



つぎに向かったのは「教職員壕」・・ここも集団自決の場所だ。校長が手りゅう弾を爆破させ、集まっていた職員がすべて亡くなっている。
ここは、先の証言にない場所だ。



道路際に建つこの碑の崖下に豪があった。産業組合壕である。67名の方が自決している。一杯で入れず、彷徨った人が助かったりしているのだった。



坂道を進むと「平和の塔」に行き着く。座間味の平和の礎である。座間味関係者で、沖縄戦で亡くなった、軍人・軍属・そして住民の名が刻まれている。



塔からは座間味のが一望できる。小さな島は、眼下の座間味地区が一番大きな集落だが、歩いて15分もすれば、村内を回れる小ささである。ここは、港を有し、島の真ん中に位置する。向かって西(右)方向の山を越えて阿真地区、東(左)に阿佐地区があるが、戸数は少ない。



高月山という山を僕らは登っているのだが、やがて展望台がある。そこからは、座間味地区・阿佐地区が良く見える。
写真は阿佐地区・・・・当時眼下の崖下に「従軍慰安所」があった。皆、朝鮮慰安婦達だ。



こうして戦跡巡りを終え、後半は自然史的座間味に突入した。2つの展望台をめぐり、豊かな青い海・・・東シナ海を満喫し、地層の露出など眺め、うっとりする。




ビーチにやってきた。刺すような日差しに、のどはカラカラ・・・おばぁの店でビールを調達。ギンギンに冷えていて至福だった。



バイクを返し、島に1軒だけある「ジェネラルストア」で酒・食い物・氷など買う。



民宿の屋上で、時間を気にせず、飲み明かすのが、俺の座間味のお決まり。皆もそれでいいと、宴が始まった!2時間以上飲み続けたか?



夕方の1・2時間・・・自由な時間があって(ほろ酔いで、よく覚えていない・・)島の祭りに参加する。

座間味は11月の毎週土曜日は「感謝月間」と称し、島中で祭りのようなものが開かれる。今年は11月の土曜日は5回あるので、毎週5回行われるのだった・・・・店は閉まり・民宿も夕食は無い。だが、村民総出で、波止場に集まり、店はそこへ出店を出す。食べ物も飲み物も種類豊富に購入でき、いろんなジャンルの出し物(しっかり1年かけ練習した!!)が繰り広げられる。手は抜かない・島を盛り上げたい熱気が結集する。

俺は、この島の祭りにこそ、島人(しまんちゅ)の肝心(チムグクル)・・・心・心意気・打たれてもあきらめない・・オール沖縄の原点があるように思えてならないのだった。何度も参加しているが、いつも1人なので、乗り切れないのだが、今回は、ゲスト3人の見事な溶け込み様に、最後まで初めて楽しめた気がした。
さらに言えば、「しーぶん」(沖縄方言・島言葉・しまくとぅば)という、文化が沖縄には脈々と生きている。しーぶん・・・おまけという文化だ。
例えば、おばぁスナックに行く・・・やがて、おばぁと気心が通うと、「これ、**さんが持ってきたさぁ・・」と、頼んでもしない、つまみが仰山出てくる。もちろん、無料だ。
こんな場面に何度も出くわす。6月にはせいごうさんやミネさんは、巨大な冬瓜と泡盛人瓶持たされた・・・

この「しーぶん」精神が、この村民あげての祭りに僕は脈々と生きていると思っているのだ。

テーブルは民宿が確保してくれていて、前列の特等席だった。




空手・中学生の(たぶんこの人数が島の中学生のすべて)エイサーだ。学校は複式で、同じ敷地に、幼稚園・小学校・中学校だ。高校生になると島を離れる。



ステージからの客席の眺め。村民・観光客一体で、300人は超えているだろう・・・



すでに序盤から、のりのりのお二人・・・(ツブク観光の名を辱めないよう注意はした・・・)




やがて、大人のフラダンス・・・彼女たちはハワイまで行って習っている。最後は、ステージに上がって一緒に踊りましょう・・などとなるのだが・・言われなくてもあの3人は登ったに違いない・・

写真、せいごうさんと、ミッキーを探せなのだが・・・ど真ん中にいるわな~




フラも終わり、突然、R&Bに乗って、フェリーの梯子から3人が現れる・・・ドリームガールズである。




こうなると、3人・・・席に座っているはずがない・・・・ステージ下になだれ込み・・・・



やがて、ステージへ駆け上ったのだった・・・・わしゃ、この島で「プラウドメアリー」を聴くとは思わなかったぜ!



そして、「ミルクムナリ」の音楽に乗って、すもうダンサーも登場・・・なぜか男なので、3人はステージには駆け上らない・・・




祭りは最高潮になり、トリの出し物、大人たちのエイサーが始まる。見事に本物のエイサーだ。



もう、お分かりだと思う・・・・いくつかの聴かせる出し物のあとは・・島はお決まりの「カチャーシー」タイムに突入するのだ・・・



動画を撮りまくるミッキー・・・ミネさんとせいごうは、溶け込んでどこにいるやら・・・・
こうして、「感謝月間」3週目は終わったのだった・・・



まぁ・・このまま終わるはずがないのはわかっていた。ミネさんは、祭りでも開いている呑み屋を民宿ベーベーから聞き出し、やつらは向かったのだった・・・写真・・店の前のお別れの図。
せいごうさんとミッキーから聞いた後日談は最高だった。

ここは「おばぁスナック」ではない、居酒屋である。どこで調べたかミネさん・・島におばぁスナックがあるはずだと・・・ミネさん、居酒屋の店主に「おばぁスナック」の場所を教えろと、迫る。

ミネ「**って、おばぁスナックの場所どこ?」
店主「そんな店ありませんよ?」
ミネ「いやあるはずだ?」・・・ここは、しつこく迫る・・・

店主「ないいんだよなぁ・・・おばぁがいいなら、俺の母親呼びましょうか?」

こうして、座間味の夜は更けていったのだった・・・・



翌朝の朝飯・・・・

3日目は、いよいよ、米軍本土上陸である。

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干し柿・乾燥芋。

2019-11-23 05:42:20 | グルメだ!



今年は芋類が豊作。

サツマイモは5本掘ったが、まだ、畑には8本の苗が育った場所が掘ってない。

芋はそんなに食えるもんじゃないなぁ・・来年は作付け減らすかなぁ・・・

ってわけで、蒸かす。



まずは、乾燥芋で保存。



柿で一番好きな「百目柿」・こやつは不完全甘柿って種類なので、渋柿と甘いのが混じる。

ヘタのところをちょいと傷つけると、甘柿はゴマ目が出てくるので、まずは、甘いのと渋いのを選別する。



こやつらは、渋柿。見た目も、オレンジではなく、レモンイエローなので、およそは分かる。



洗い・ヘタを取り・皮をむき・・・35度の焼酎の中をくぐらせ(殺菌)・・・・干し柿にした。



剥いた皮は、たくあんに使うので、干すのだった。
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ミッキースペシャル・・2019秋の沖縄旅・・初日。

2019-11-22 05:45:17 | 旅は続く


ガイドする場合、質を下げず、安く抑えるを基本としている。3か月前にアクション起こすも、いつもの8時台後半は取れず、11時のフライトというやや中途半端な出発だった。2時ころ那覇なので、初日は、市場の見学やら、お土産の購入をメインにした。何度もご一緒の2人は、土産も手慣れて、初めての方は、日本かぁ?と思うような、アジアンな沖縄に、スジグワーや市場を歩くのも、楽しいだろうと思う。

写真・出発前の羽田で乾杯!




何をさておいて、焼けた首里城のために、那覇市役所で募金。




沖縄の行政の中心地。西から、那覇市役所・県議会・県庁と特徴的なビル群が並ぶ。





沖縄県民の「首里城焼失」への嘆き・悲しみは、ひしひしと伝わった旅だったが、この新聞の記事は、妙に腑に落ちた。

油断してるとまさに「辺野古に苦しむ政府首脳にしてみれば、復興支援を名目に、沖縄の政治状況にヒビをいれて、くさびを打ち込むことは目に見えている」だよな~~



焼けた首里城には向かう気にまだなれなかった・・・写真は昨年の首里城だ。




酒屋・市場・土産物をいつも購入の店・鰹節の松本商店と、滞りなく回り、発送もすませた。



さらに本屋も回って、各々数冊購入。ホテルチェックイン・・・少し部屋でまったりし、いよいよ夜の那覇初日となった。

いつもの「コマネチ」!



まずは、乾杯だんべ!







お通しのマグロも・いつもの串揚げも・島豆腐揚げも上等!

沖縄に行ったら、この「島豆腐揚げ」を食べてほしい。本土なら厚揚げだが、本土は出来合いをあぶるだけ・・・島は、豆腐から揚げるので、美味い!



ミッキーはネーネーズをご所望。皆、がってんしょうち!



第六期の今、今年2人のメンバーが卒業。中心で支えた上原渚のもと3人新加盟で現在だが、上原さんがこの日は、出産で休み(13日に無事生まれたらしい)で、新メンバー3人であった。




僕の案内する者共は、ノリは抜群・はじけるのも属性だ。



2軒目に向かう途中、馬頭琴の路上ライブに聞き入る者ども。

沖縄では有名らしく、上手!!!その名も、馬頭琴かおりさん、あちこちのライブハウスで出演したり、お祭りに出演したり、らしい・・・



やがて、タンパラヤ!



おれの連れてゆく客は、まじ、タンパラヤが似合うなぁ・・・・こじゃれたとこは、似合わんなぁ・・・



今のところ、那覇で一番うまい!軟骨もラフテーも上等。



店主の写真を撮り忘れたので、前回ミネさん・セイゴウさんとの旅の写真をアップ。
店主セイボーと俺の付き合いも10年を超える。基地賛成派の面白いやつだ。何故か、新基地建設には反対。



ホテルは朝飯は、無料のバイキングが付く。初日は東横インおもろまちだった・・・3日目ははやり東横イン美栄橋なのだが、朝飯バイキングはおもろまち店のほうが、品数が多い。




2日目はいよいよ、米軍が最初に上陸・集団自決の島「座間味島」に向かう。
泊港から高速船で行は50分・帰りは1時間だ。
泊港の前には沖縄で有名な「外人墓地」がある。

大きな、ペリーの記念碑があるが、ウイリアム・ボードというペリーの船の船員の墓もある。
ペリーは江戸に開国をせまるため、日本にやってくるが、その寄港地として、沖縄には5度も訪れている。琉球が日本の支配下にあると知っていて、1853年にはアメリカに「日本が開国を拒めば、琉球を植民地にするつもり」と手紙を送っている。
やがて、1854日米和親条約。同年沖縄に寄港。その折、船員の上記、ボートが酔っ払って、50過ぎの沖縄の女性をレイプする事件を起こし、島民に追われたボートは誤って海に落ち溺死する。
この事件を口実に、ペリーは琉球王朝に開国をせまりやはり「琉米条約」を結ばせるのだった。不平等条約の押し付け・・・・160年前から、侵略者むき出しの姿で沖縄にやってきたアメリカ・・・今も、日米地位協定という、不平等な条約でこの島は苦しんでいるのであった。



船酔いが心配おだが、とりあえず、出航前の客室・・・・

いよいよ、島の島に向けて出発だ。
今回旅の2つのメイン企画の1つに向かうのだ!

しかしまぁ・・・相変わらず、長い旅日記だぜ・・・・
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11月のはななライブに行ってきた。増田さんだったぜ!

2019-11-21 04:59:42 | 音楽を思う
島行き前、茨城くんだりまで、このコンサートを聴きに行ってきた。

せいごうさんの、島だ!

考えると、やはり、僕、そしてロストは、雑花塾に続けることの大切さを、学んで、今がると思うのであった。





主催者、皆の、心が残っている場所に、ライブを聴きに出かけた。

庭には、沢山の草花が植えられ、季節が巡るごとに、花が咲いたか?



しかしまぁ・・・毎月続けている、せいごうさんの「Hnana マンスリー Live」だ。

ファーマーズのメンバーも加わり、各自がソロを取るのは、妙に新鮮だった。



地元で結成されたという、若いグループも1曲披露した。

覚えたての楽器、必死なボーカル・・・・続ける・独りよがりにならずたくさん聞いて、ミュージシャンと交わってと、続けて行けば、そして、愛する音楽が見つかれば、素敵になるだろう・・・・





ゲストは増田康記氏である。

僕は今回は、このために2時間かけ、茨城くんだりまで行ったのかもしれない。

相変わらずの、増田節であったが、ちと、体調が悪そうなのが気になった。

まだまだ、元気に、存在してもらわなければ困る方である。

そういえば、大ちゃんが、あなたが夜明けを告げる子供たちで、手話で参加していたぜ!

入手したての「ギブソンJ-35」など弾いていたが・・・やはり、彼には、ギャラガーが似合うなぁ・・・



最後は、みんなで「豊かな青い海」であった。

刺激をもらったぜ!

来月は思わぬゲスト!

参加・・・・思案中!



ほほえましく、記念撮影!



しかしまぁ・・・僕は、この窯で焼いた、ピザおうとう食わずに終わってしまった。

それだけは、心残り


きっと、ここに来るたびに、そう思うに違いないなぁ・・・
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