時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

世代ごとの事情

2007年08月27日 | 
先日Webで、「住宅は「賃貸」と「購入」のどちらが良い? 」という特集を発見。以前は圧倒的に「最後は持ち家」的ライフプランが主流だったが、ライフスタイルに合わせて「購入」か「賃貸」かを選択する時代にシフト中、「賃貸派」増加傾向も続いている、という趣旨。これを見て、数年前、仕事上の知り合いと通勤電車内でした話を思い出しました。

当時の私は仕事の都合で、東京世田谷区の成城学園前駅から1Kmくらいのアパート暮らし。一方、サラリーマン生活の大先輩であるその人は、東京から1時間以上電車を乗り継いだ地の持ち家に帰るところ。たまたま家の話に。「キミも将来はいいところに家を持てるんじゃない?」(まさか!)という問いに私は、そのつもりはなく、むしろ借家で暮らし続ける選択にもう少し目を向けた施策を望んでいると述べたんですが、話すごとにその人は不愉快になったようで、こちらも当惑。彼の主張は、けっきょくみんな最後は持ち家が欲しいと思うものだということ、借家も選択可能な社会にというのは、お前の個人的な意見にすぎないということ(そのつもりで言ってますけど…)。同僚に聞かせると「キミは彼の人生を否定したんだよ」。どうして?

話は変わって、以前NHKで中国の老夫婦にスポットを当てた番組を見ました。夫妻はかつてともに×州料理(どこだか忘れた)の名料理人で、番組中、現役料理人の厨房を訪れるんですが、自分たちの受け継いだ「伝統」が守られていないことに憤慨し、「×州料理がだめになる」と嘆く。現役たちも「客の好みを考え、工夫した結果こうしました」と弁明してましたが。

上記の先輩の不愉快の理由は今となっては不明ですが、忖度するに、下の世代も彼と同じ達成目標を持っている、という前提で話していたら、相手の私がそれには乗らず、彼が「劣るもの」と見なしてきた生き方を語り出したからでは。でも、だからといって不機嫌にならなくても。その人の人生を否定するつもりは毛頭ないのです。

料理の話も同じことで、現役の彼らは、前世代に反抗したり、否定したりするつもりで変更を加えてきたわけではなく、生き残りをかけ、試行錯誤の末、必要な変更を加えただけなのでは。そもそも「伝統」と呼ばれるものも、そういう工夫の積み重ねの末に到達した「ある時点の姿」であって、次世代はまたそこを基点に、変容させつつ「伝統」をまた次につなげる、そういうことだと思います。老夫婦にとって自分たち世代が築いた「ある時点の姿」は特別で、それが変容を受けてしまうのは辛いかもしれませんが、自分たちもそうして来たということも思い出し、後輩を応援してやってもいいのでは。番組の趣旨は老夫婦の人生を描くことなので、伝え方に異を唱えるのは適切ではないでしょうが、気になりました。

住宅や職業選択だけでなくて、料理も、(あるいは研究も)同様で、前世代の蓄積や達成が出発点となる後世代にとって、同じことの繰り返しじゃ上手く行かない場合は少なくない。「伝統」や「過去の栄華」と心中というわけには行かない。まだ何も達成していないし、その先の人生は長いのだから。二十以上歳の違う彼と私では、たんに生まれ、生きる時間の違いのせいで、所与の条件が全く異なるし、個人的な状況も違う(私は、すでに辞職・留学を考えてました)。その結果至った考えが「持ち家より借家」だっただけ。若造が違うことをやったからといって、彼の人生の「達成」の価値が劣ったものになるわけはないと思うのですが。

最近「高齢者は賃貸が困難、という時代は終わり、高齢者向け賃貸住宅が整備されつつある」という記事も見ました。「一生賃貸で終わる」という選択もありになるとすれば、私には望むところ。「オレが正しかった」と言いたいのではありません。その時代・状況を生きる人が感じ、要望するように事態が動くのは自然なこと、というだけだと思います。

ちなみにBloomingtonの家賃は合衆国全体から見ればとても安く、現在住むところは日本の1LDKのような間取り(6+10畳くらい)で、$510(5万円台)です。でもIUの学生のおかげで次々借り手がつき、家賃の相場はここで得られる収入に比して高くなりがちなので、低所得者がホームレスに陥りがちなのだとか。今のアパートも500戸くらいが全部うまっているそうです。