記憶ではもっとコントラストが強かったような
気もしています。
かつてニッサンはバイエルンのプロペラマークの付いた
自動車のサスペンションを目標としていたらしいのですが、
いすゞにはイルムヒャーモデルもあったからやはりドイツ車に
目標を置いていたのでしょうか?
運転した赤はシフトレバーを前後に動かすだけのシーケンシャル
チェンジのセレスピードで大げさに言えば全開走行中にでひねった時の
べスパのようなチェンジショックを感じましたが、それはさて置き
曲がるのは楽しめました。初めて運転したべレットも爆音とは別に
曲がる感じは楽しかったような気がします。
日本もドイツも整列や集団行動は得意分野だったように
思いますが、イタリアの人達は苦手なんじゃないかと
勝手に想像しています・・・