パパさんとは毎年
正月に都内各所の七福神を自転車で巡るのが恒例でした。
初めは千住の近く、向島七福神だったような記憶。
向島の翌年は浅草、次は都心の六本木で東海七福神では
品川過ぎて青物横丁辺りまで行ったと思います。
集団の中でパパさん最年長にしてスタミナもパワーも
皆ほどは持ってなかったけれど、長老として最終的な
判断をするのには絶対的な決定権を持っていたんです。
パパさん子供の頃から何不自由無く育ち、
欲しい物はほぼ手に入れてきた人生に思えました。
パパさんが教習所で知り合った友人は以前話した人。
その人は運転免許受け取った試験場から車屋さんに寄り、
ホンダS600運転して帰宅したパパさんと
同じような境遇で育った類は類を呼ぶ関係?
パパさん大きな病気したんですが、奇跡的に生還。
それから10年、医師の予言?通り桜満開の春、
2人の子供、3人の孫、ママさんとやたら綺麗な猫をのこし
おだやかな寝顔で旅立ちました。
「好き」「嫌い」「YES」「NO」がハッキリしいて
ワガママにして優しい人でした。