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PAP-JAPAN代表、川井眞理のお仕事(以外もてんこ盛り)日誌

雑感(2)

2009-09-21 | 勉強
当日の男性ベテラン講師について。
大阪人は他府県人に比べて「人を笑わせよう」とするサービス精神が旺盛らしい。
この講師も然り。
しかし東京では全然受けなかったと言う。

コトの是非、及び内容が本当に面白かったのかどうかはさておき、そのエピソードを語る時の講師が皆に笑いを期待しているのは明らかだった。

ところが私は何故か猛烈な違和感を感じた。
なぜだろう――と考えて、面白いネタと本人が言ってる割に、目が全然笑ってないことに気づいた。
口は笑みを浮かべているのに目が全然笑ってない人の顔は、相当不気味だ。
それならいっそ笑いを取ろうなどと思わぬ方が良い。

その講座では午後から3人1組になって3回(30分ロープレ×5分フィードバック×10分3人での話合い)、コーチングもどきのロールプレイをしたのだが1回30分ものロープレは必要なかったのではないか?
この長時間設定は講師がサボりたいからではないのか?

その上、講師の模範試技とやらを見て、さらなる違和感を感じた。
コーチングの落としどころ(帰着点)が、やたら褒めてCLを勇気づけることなのか(いい気持ちにさせることなのか)、あるいはキャリアコンサルティングをして時には対立概念も言う必要があるのか(講師の意図が)不明なまま。

模範試技では将来EAPで起業したいという女性に、講師がやたら褒めまくって終わったのだが、起業へのコンサルティングも含めているのだとしたら、褒めることしかしないのは危険過ぎる。

(終了後、私のグループから私を含めて2人が同じ質問をしたが、講師は答えられなかった。質問の意味をよく理解出来なかったようだ。)

また、真面目にキャリコンをするなら、まだ人間関係が出来ていない間は危険だ。
事業へのコンサルティングをするなら、コンサルタントには自ら起業して成功しているか、経営コンサルタントばりの能力が求められる。
いずれにせよ、講師の指示および意図したところが不明なのに、「では始めてください」と言われても……。

その世界ではベテランとして多くのセミナー講師をしているH講師だったが、かように私の中での評価はさんざん。
こんな講師でも(後日自社に招こうと思うのか)名刺交換に行ってる男性が何人かいたが、私は自分の感じたものしか信じない。

この講師は反面教師としてのお手本を示してくれた格好になった。
安からぬ費用を払ってキャリコンの技能を磨きに行ったのに、反面教師のお手本では寂しすぎるというのが本音だ。

雑感(1)

2009-09-19 | 勉強
久しぶりに交流分析を受ける機会があった。

実はこれ、テキストにより設問の日本語が微妙に違っており、それをどう解釈するかによって結果が違ってくる。
また結果を男女別になったグラフに書くか、男女一緒の尺度グラフに書くかによっても微妙に折れ線具合が異なる。

ゆえにそう神経質にならずに結果を見、いつも変わらぬところが自分の特徴であり、前回と変わったところは成長の証し?ぐらいに思っておくのがよい。
大抵は個人主義と言われるアメリカ人型の「A」の高い「へ」の字になる私だが、今回生まれて初めて少し横に広がった「N」字型になり、日本人らしくなった。
(一応「へ」の字型が理想とされている。)

また、常に低い「従順な子ども」度「AC」が少し高くなり、人への思いやりを示す「NP」も大幅に増したように見えた。
一方、無邪気な子どもらしさを示す「FC」はかなり低くなり、リーダーシップを取る資質である「CP」も少し低くなっていたのはあまり嬉しくない。
(頑固さが取れたとも解釈できるが)

低いといってもいずれも通常値の範囲なので何ら問題はないが、これを成長と見るか、退化と見るか?
カウンセラーや看護師など対人援助の仕事をするには「NP」の高いことが望ましいが、今回その数値が初めて高くなったのを手放しで喜べない私がいた。

性格改善には今低いところ(弱点)を上げる努力をするのが手っ取り早い。
総量は同じなので、そうすると自動的に高すぎるところも改善されるというわけ。

ただし、若干の違いはあれど常に同じライン傾向を描くことこそが自分の特徴だから、人とのコミュニケーションはその自分の長所と短所をきちんと自覚した上で行うことが大切だ。
これも「自己理解」の一環。

ところで、人のフリ見てわがフリ直せというが、当日の講師のあり方に違和感を持ってしまった。
かなりその世界では重鎮らしく、話も上手だのに、何故か?
後学のために考えてみた。
「雑感(2)」へ続く。

9月の最大課題、終了

2009-09-17 | 勉強
あとは社福士の国資に向けて勉強あるのみ!
思わぬハプニングで焦る場面もあったが、今日ようやく最後のレポート3科目を提出した。

これでよほどのことがない限り、10月末の卒業はほぼ確実(のはず)。
これからは今まで時間がなくて出来なかった過去問に本格的に取り組む。

9月からの新しい仕事。
9月からの新しい講座対策。
9月末からの受験勉強本格始動。
来春に向けた勉強もしておかねば。
あと、単行本出版を視野に入れて動きたい。

いつものことながら自分のキャパを超えてちょっと欲張り気味。
しかし゛引き寄せの法則゛とやらに従えば、願えばいずれも数年内に叶うのだ。
(と強気で)

「希望学」の教えるもの

2009-09-14 | その他
夕方見たTVで「希望学」という学問分野が4年前に立ち上がったことを知った。
学会のメンバーは東大の法律や心理、労働分野など各分野の先生たち。
発起人は「ニート」を日本へ紹介したことでも知られる、労働経済が専門の玄田有史先生だ。

TVでは4年かけて学会が調査した希望についての結果を報告しており、いくつか興味深いものがあった。
(人生に)希望を持つことが出来る人についての調査で、年収1000万円以上の人は300万円以下の人よりも希望を持っている割合が高いという。
大学・大学院卒の人は、中卒・高卒の人よりも希望を持っている割合が高い。
そして友人や知合いが多い人は、少なかったり孤独を感じていたりする人に比べて希望を持っている割合が高い。

この辺までは常識で考えても゛選択肢の多さ゛から、そうでない人に比べて人生が多少生き易くなっているだろうことが予想される。
心理学から見ると「人は(仕事を)やってもやっても先が見えないと希望をなくし、一方で(仕事の)先が見えても希望をなくす」という。
まこと、人とは贅沢で厄介な生き物なのだ。

ところが地域という視点で見ると、貯蓄率・持ち家率が日本で最も高い福井県民で将来に希望を持っている人の割合は全国第44位という低さだったという。
(個人的には「危機感があるからこそ貯蓄額が高く、持ち家率が高いのではないか?」と思う。社会保障が整っていれば個人が頑張って備えしなくても済むからだ)

玄田先生は言う。
「貯蓄や持ち家という、一般に人が憧れるものを沢山持っているからといって人が希望を持てるとは限らないことをこの調査は教えてくれる。
人が希望を持つためには物語が必要なのではないか。
人生はうまくいくことばかりではなく、挫折や無駄も多い。
それらを乗り越えて、自分ならではの価値観を持ち、それに邁進することが出来て、初めて人は希望を持てるようになるのではないか」と。

1989年まで鉄鋼の町として栄えた釜石市も町の縮小を経て、今規模は小さくなったものの若い世代のUターン組を迎えて確実に元気を取り戻しつつあるという。
若い世代が戻ってきた大きな理由として、地元市役所が企業誘致を行い、雇用の確保に奔走してきた経緯がある。

なぜ企業誘致に成功できたのか?
かつて工業都市として栄えた釜石市の、他地域にはない強みを徹底して活かしたことが希望再生に大きな役割を果たしたという。
ローカルアイデンティティの再構築というそうだ。
(ヒトで言えばパーソナルアイデンティティの再構築だ)

Uターン組の中には地元へ帰って父親のやっていた水産加工?の零細企業を継ぎ、高校時代の後輩との縁で事業を拡大し、発展している事例が紹介されていた。
ごくたまにしか顔を会わさないような、価値観や持つ情報が違う人との緩やかな繋がりをウィークタイズというが、発展のきっかけになったのがこれだったという。

イギリスには人口減社会の中、人口が減るからダメという発想ではなく、発想をコンパクトに変えていくというコンパクトシティという考え方があるそうだ。

玄田先生は町の希望再生のヒントとして、「Uターン組が地域に風を起こす」という表現をしていたが、個人レベルでは苦しい経験を乗り越えるヒントとして、先の水産加工会社社長の言葉を引用、「(自分をわかってくれる人が)3人いれば大丈夫!」とまとめていた。

つまり、希望を持つためには゛棚ぼた゛はあり得ず、一人ひとりが希望を持とうと行動し、それぞれの人が繋がっていくしかない。
挫折、失敗を乗り越えてきた人だけが本当の意味で希望を持っている、つまり希望は挫折や失敗を乗り越えた先にしかないということだ。

「それを模索し、見つけていくべき時代なのでは?」というのが玄田先生の結びの言葉だったが、挫折・失敗の前でベソをかいて引き返すことばかり考えているのが現代人の姿のようにも思える。
乗り越えようと真剣に取り組まないから人生は面白くないし、希望を持てないのだとも言えそうだ。

楽しい妄想が膨らむ

2009-09-10 | 日記
有限実行というから、ここに証拠を残せば実現するかもしれない(と期待)。
早くて来年、遅ければもっと後になるのだが、今漠然と猫か犬を飼いたいなーと妄想中。

今すぐ実行しないのは、(病気など)何もなくても月額3万円だかかかるという彼らの養育費を出す算段がつかないのと、生き物を飼うと迂闊に家をあけられないことへの恐れから。

「もう少し先の楽しみでもいいか」と先延ばしにしているのだが、猫か犬がいれば家へ帰るのがもっと楽しくなるはず。
(外出が億劫になるという弊害も出てきそうだが…)

猫派でも犬派でもない私は家では猫と遊び(同衾し)、街歩きは犬と楽しみたいが、スペース等の制約から自ずとどちらかを選択せざるを得ない(だろう)。

そんなことを思いながら街を歩いていたら、続けさまにプードルを連れたオジサンに出会った。
いたいけなプードルとむくつけきオジサンの取り合わせは今いち。
でも思わず手を出してむくむくの体に触らせてもらった。

どちらのコもしっかり服を着ており、゛動くぬいぐるみ゛そのもので非常に愛らしかったが、多分推定20数万円。
しつけの学校へもやるとなるとさらに物入り。
散歩も要らず、野生のまま放っておける猫の方がいいかも。

多分、こういうことをあれこれ夢想している間が一番幸せなんだろうな…。

受けなきゃ良かった…

2009-09-05 | 日記
突貫工事の試験勉強だったが、重点項目は押さえたつもりだった。
だが、産業カウンセラー協会のCC試験の何とも意地の悪いこと!

最初の90分が4択の問題40問だったのは――かなりひっかけの入った問いで、手応えはもひとつだったが――まあいいとして、次の試験は45分で20問の記述式。

それがなんと言うのか、ごく普通の文章から成る穴埋め問題で、そのくせ適切な用語(単語)が入らないと×になってしまうようなしろものばかり。

「どこかにこんな文章があったかな?」という程度の記憶しかなく、まさかこんな普通の文章が問われるとは夢にも思わなかった設問がズラリ。
よって数問しか自信を持って答えられたものがなく、悲惨な結果に。

次の40分は論述問題、「CCとしてCLに接する時に心掛けておかねばならないことについて、360字以上400字以下で述べよ」という何だか書きにく~い設問。

同協会は産業カウンセラーの試験時とはうってかわって、過去問はもちろん、正解も一切公表せず、毎年の合格ラインも明示しない。
合格基準は「学科試験1・2・3及び実技試験においてそれぞれおおむね7割程度得点したもの」という、超曖昧な文章に頼るしかない。

゛おおむね゛が曲者、もしかしたら内部調整していることが伺える文言だが、それにしても70点も得点できた自信は限りなくゼロに近い。
こんなことなら4時間も費やして試験を受けなきゃ良かったと悔やみたくなる。

敗者復活は来年また同試験にチャレンジするか、技能検定2級に合格して名誉挽回するしかなさそう。
ヤレヤレ。
3カ月に1回の楽しい?勉強例会を休んで受験したのに成果はなく、疲ればかりが残る結果になってしまった。

その上、最後の試験時に終了時刻より早く外へ出たら、試験官の1人が早々と受付の机の上で試験2を採点しているのを見てしまった。
いくら時間を無駄なく使うにしても、そういうことはせめて受験生の目に見えないところでする配慮が欲しいと強く強く思った。