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PAP-JAPAN代表、川井眞理のお仕事(以外もてんこ盛り)日誌

こんな手強い文章、見たことない!

2008-09-29 | 仕事
手強いの意味は完全に反語である。

頼まれてちょっとした文章(インタビュー記事らしい)の、本人修正文を反映させて原文を手直ししたのだが、これが何とも形容しようもないほどものすごい文章だった!

今まで、これほどひどい日本語を読んだことがない。

日頃物書きとして、いかに物・事を人にわかりやすく伝えるかに腐心している身にとって、主語と述語がはっきりせず、前後のつながりがめちゃくちゃで、「。」を打つべきなのに「、」で延々と続く文章ほど恐ろしいものはない。

しかも、文章スタイルは女性の話し言葉そのままなので、普通は゛ケバ取り゛と称して削除してしまう余分が全て有効なのだ。
詳細は省くが、何とか仕上げたものの、目と頭にカビが生えたような気分。

格調高い簡素な文章を読んで、リフレッシュする必要を感じたといったら言い過ぎか…。

大事なのは自分ならどうするか考えること

2008-09-28 | Weblog
朝から久しぶりにキャリアカウンセリングの勉強会に参加。
今年お初。
思いがけず懐かしい面々とも再会、私を含めCoを目指すような人は皆勉強熱心だ。

が、参加は体と心と時間に余裕がないとできない。
2月以降、今日までその余裕がなかった自分を思う。

本日はセカンドライフの過ごし方について皆でディスカッションするプログラムがあったので参加したのもあるが、残念ながらこちらはあまり興が乗らず。

「あれをやりたい」「こう生きたい」と思うのは自由だし私自身も充実して暮らしたいとは思うものの、半年間の特養での体験が強烈過ぎて何の理想を掲げても虚しいだけのような気もするのだ…。

30代後半と思しき人の言う、「定年退職してから平均寿命の80歳までに、40年間の会社での労働時間に匹敵する10万時間の自由時間があるんですよ!」の言葉や、50代前半で働き盛りの企業人男性の言う、「退職したら若い頃の趣味だった○○活動を再開して…」の将来像に水を差す気は毛頭ないが、現在の体力・知力・気力が10万時間(継続して)あるわけではないのだ。

彼我の世界へ行くまでに失い、捨てねばならない物は余りにも多い。
年をとるほどに他人のお世話になる自分を潔く受け入れ、感謝し、一方、排他的で、欲深く、物欲のかたまりである自分を出来るだけ脱却したいと願うが、まだまだ。
これが生きてるということかもしれないが。

自分の意にそまぬ見苦しい終焉も十分あり得ることをしっかり認識した上で、高齢期の生き方を考えるのでないと嘘っぽい、と思う私がいる。

したいことがあれば手を挙げる

2008-09-27 | メガネ
メガネにはまって間もなく4年。
メガネはここ数年、若い男性を中心にブームになり、゛メガネ男子゛を取り上げた本が何冊も出ているほど。
ファッション雑誌にもしばしば登場するようになってきた。

しかし女性、特に大半の中年以降の女性にとっては、メガネは未だに仕方なくかける視力矯正具の位置づけから変わってないようだ。
メガネをかけてイメチェンする楽しさを知って欲しくて、いつかメガネコラムを素人の立場で自由に書きたいと願っていた。

そして、ついにその機会がやってきた!
何年か前から籍を置いてるシニア組織が隔月刊で発行している会員誌に、数回掲載しても良いとOKが出たのだ。

ひょんな話の流れで、記事には実際にイメチェンしたモデルにもご登場いただくことに。
ところがなかなか写真を撮ってもいいと言ってくれる人がおらず選考に難航、しかし何とか見つけた。

今回のモデルは男性なので、記事は多少シニア男性の目も意識する必要がある。
さぁて、゛殻を破ってみたい゛と思ってくれる人がどれだけ現れるか?

二匹目のドジョウ狙い

2008-09-26 | 読書
昨日、書店で平積みされていた、『まだ、そこにいるの?――変化と成長の物語』(福嶋宏盛著、サンマーク出版)を見っけ。
一息入れたい気分だったので、カバンに入れていたシリアスなルポ物はちょっと重すぎ、童話気分で読めそうなこちらに手を伸ばしたのだが…。

2000年に大ヒットした『チーズはどこへ消えた?』と趣旨はほぼ同じ。
小柄な一匹の黒アリが、蜜集めを通じて人生への姿勢を学ぶまでを、絵本のような易しい言葉とイラストで描いた本。

読者へのメッセージに「『突然の変化』が訪れたとき、『今までどおり』が通用しなくなったとき、読んでください。誰も調べたことのない場所に、隠れたチャンスは存在するのです。」とある。

ぬるま湯に甘んじるな、既に次の変化は始まっており、それに気づき自分が変わることを恐れず挑戦した者だけが変化を乗り越えて次の高みへと行ける――。著者が伝えたいメッセージはこんなところだろう。

ちなみに主人公のアリの名前はノーチスという。
notice(注意、警告)からつけたのではないかと思われる。
しかしながら、『チーズ…』にインパクト・洗練度共に劣るのは二番煎じの性格上、仕方ない面も。

一箇所、「…目標ができると張り合いが出る。それが生きがいになる。…」というところに線を引いてみた。
内容は既に知っているが、こんな風にまとめられないかと思ったのだ(↓)。

(先日知人が送ってくれた、著名人?の残したらしい言葉)
1.心(考え)が変われば、態度が変わる
1.態度が変われば、行動が変わる
1.行動が変われば、習慣が変わる
1.習慣が変われば、人格が変わる
1.人格が変われば、運命が変わる
1.運命が変われば、人生が変わる
(1.そして自分が変われば、相手も変わる)

ここへ上の一文をあてはめると、
1.目標ができると、張り合いが出る
1.○○
という具合に作っていけそう。

話弾みすぎ!?

2008-09-23 | メガネ
梅田を歩いていて今まで気づかなかった場所にメガネ屋さんを2軒発見!

普通のメガネしかなさそうだったらそのまま通り過ぎるのだが、ちょっとだけカラフルなセルフレームが目に留まり、吸込まれるように中へ。

不勉強で、量販店や最近若者に人気のオシャレな安売り店以外で「made in china」があるとは知らなかった。
結構オシャレな感じでびっくり。
(質と使い心地は未知数)

が、きれいな半透明の若草色セルフレームは西洋人の白い肌、彫りの深い顔立ちの方がずっと似合いそう。
気になるが、まだ自分に合わせる自信はない。

もう1軒には夜7時過ぎ頃寄ったはずだが、これが閉店の8時を過ぎ、さらに9時も過ぎ、さらにさらに10時半頃になって、「これは大変、すごい時間になってる!」ということでやっとこさ帰った有様。

店主が一人でやってるその店はごく普通っぽい店構え。
が、彼が自分のために選んだというメガネは実に個性的で、彼の雰囲気によくマッチしていた。

ちょっと珍しいブランド、わざとレトロに作ったモデルが多く、私には似合わないデザインと色が多かったが、店主と私は個性派メガネが好きという点で共通の趣味を持つことがわかった。

よって話は尽きず、ついでに検眼もしてもらってああでもないこうでもない、眼科医にはここが不満だ、メガネ屋さんもこんなサービスをしてくれたらいいのにとか何とか楽しくメガネ談義を交わしていると時間はあっという間に経っていた。

私が飲める口だったら、きっと夕食にも誘われていたに違いない。
残念ながら下戸なのでひとまず断って帰ったが、メガネ好きの人との会話は実に楽しいのだった…。



閑話休題。
先日来、゛夜のキャリコン゛として支援してきた人から報告メールあり。
いよいよこれから就職支援だ。
自分が不安定な立場でも人のために役立てることはある。
これがキャリコンの真骨頂のようだ。

あるがままに

2008-09-14 | Weblog
例会参加者が少なくなったので設立26年の歴史にいったん幕をおろし、メンバーの゛卒業゛を祝って明るく散会しようという趣旨のパーティ企画が進みつつある。

私がその異業種勉強&交流会の会員になってからでも早17年。
大阪でもかなりの老舗グループなだけに残念だ。
しかし当時青年だったメンバーは皆壮年になり、設立当初とは社会情勢も個々のメンバーのニーズも変わりつつある中で、仕方のない選択かとも思う。

昨年4月から月例会は中止しており、昨日、久しぶりにメンバー10人ほどが集まってホテルランチを楽しんだ。

あと数ヶ月で定年を迎える人、定年後の生きがい作りに新たにカメラ(撮影)を始めた人、早期退職して介護施設にいる親を見舞いつつ、仔猫を飼い始めた人、単身赴任中?の人…。

もちろん状況があまり変わらない人もいるが、皆子育てが中後期に入ったか、親の介護が避けられなくなったか、あるいは自身の老後を考えるステージに入りつつあるのは共通だろう。

猫を飼い始めた人は生涯独身(主義?)で、およそ生き物とは縁がなさそうに見えたが、ある日、天井から赤ちゃん猫が落ちてきたという。

ドラマチックなペットの出現に、一同「神様が飼えと遣わされた仔猫やね!」と盛り上がったが、真相は天井裏に野良猫が入り込んで子どもを産み、その1匹がたまたま落ちたということのようだ。

元から動物は嫌いではなかったという彼は今ではケータイで仔猫の写真をいっぱい撮り、「可愛いやろ」と皆に見せて鼻の下を伸ばす見事な゛親バカ゛ぶりを発揮している。
ちょっとほほえましくて羨ましい。

私はというと会場に着く直前に原因不明の腹痛に見舞われ、「今日は食べるなってことね…」とガッカリしていたのだが、これが少し食べ物を口に入れた途端、見事に復活。
お陰で寂しい思いを味わわずに済んだ(^^)。

実は一昨日来、不思議なタイミングが重なり、久しぶりの再会を果たすことになった人・なる人が現れ、「これも何かのメッセージね」と受け止めているところだ。

話すクセ、聴くクセ

2008-09-12 | Weblog
先日、大手企業・健康管理室勤務の看護士さんとの模擬傾聴場面で。

CLこと私:「あのぉー、最近○○な気がして自分でもちょっと困ってるんです。」
COこと看護師さん:「……」
私:「……。それでね、△△かと思いまして××したんですけど――。」
看護師さん:「……」
私:「……」

彼女は多分カウンセリングの基礎訓練を受けたことがない(はず)。
自分でも「相談にくる社員さんの話をどう受け止めていいかわからない」と言っていたが、頼むから何か言ってくれぃ。

重い気を何とか相談する方向に向けてしゃべり出そうとしている身には、相手の柔らかな笑顔や頷き、問いかけが何よりも励みになるのだ(とCLとして実感)。
ずーっと黙っていられると「ちゃんと聞いてくれてるのか?」と心配になる。

別の日、知合いとの会話はさんざん。
言いたいことを言いあえる間柄とは認めていたが、この日彼が口にしたのは゛自分はOK、相手はNO゛の典型会話ばかり。

私が思いついたことを口に出すと「そんなん誰でも考えてるわ!」「何メモしてるねん?ムダや!」等々、言いたい放題。
不愉快になって自然と無口になる私。

他人を攻撃するしか自分を守る術がないのかと勘ぐりたくなった。

しかし、「他人のフリ見て…、というメッセージかも」と日頃のわが身を振り返って謙虚に反省しとこう。

自分が日頃何気なくしている話し方・聞き方(聴き方)のクセを知るのは辛い。
知って直すのはもっと辛くて難しい。
けれど大事だ。

食い気負け

2008-09-01 | Weblog
生まれて初めて阪堺電軌阪堺線なる電車に乗った。
1両だけの電車に、いかにもひなびた感じのする、改札もない不思議な駅舎。

電車を降りると戦禍を免れたのか古き良き大阪を偲ばせる古い町並みがくねくねと続き、このところ路地裏探検が大好きになった私を大いに刺激してくれるのだった。

で、帰りにゲットしたのがコレ。
まさか取材先でこんな気を使う果物を買おうとは夢にも思わなかったが、近所のスーパーと違い、昔ながらの八百屋で無造作に売られていたのに誘惑されてしまった。

実は2Lぐらいのサイズなのに妙に安かったのが一番の動機だったりして(^^;)。
親切な店主が空き箱に詰めて紐をかけてくれ、残りは袋に入れて手持ちに。

ところが他に荷物もあって、うっかり桃を入れたカバンをぎゅうっと押してしまった。
潰れていても不思議じゃないのに、これが不思議なことに見事に無事。

それもそのはず、十分熟れてそうな色合いにもかかわらず、この桃はいずれもしっかりと硬いのだった!

゛硬い桃゛とはこれいかに。
しばらく常温放置して、食べる直前に冷蔵庫に入れるといいそうだが、大丈夫か?

最悪、シナモンまぶしてピーチパイかも。
(実は皮こそつるりとむけなかったが、種は小さく、非常にジューシーで甘かった。300円(2Lの桃2個)ですごーく幸せになれる私ってエライ?)