3月は1年中で最も自殺者の多い時期だという。
期末で事業がうまくいかなかった人、4月からの新年度に向けて希望が持てない人などが自殺するかららしい。
私は自殺の原因の一つに視野狭窄があると思っているので、もし誰かから自殺したいほどの悩みを打ち明けられたら一応親身になって話を聞き、止めはすると思う。
だがそれでも本人が死にたいと思った場合、どうすればいいのか。
(もちろんリファーはするが、それ以上わからないという意味)
それはさておき、日本人が何かあるとすぐ自殺しようとする背景に文化的なものが大きいと指摘するのは31日付の日経新聞にあった2人の識者によるコラムだ。
こういう視点はこれまで考えたことがなかったので新鮮。
精神科医で作詞家でもある北山修氏は古事記のイザナギノミコトとイザナミノミコトの物語から、「見るなの禁を破った男はなす術もなく立ち尽くし、異類であることを知られた者(日本の神話等では女性がこの役割を担う)は消えるのが潔いという考え方が、日本人の深層心理として表れていると思えてならない」と述べている。
一方、同志社大大学院教授の佐伯純子氏は、「(舞台で)武士が一度切腹を始めたからには、(観客は)途中でやめるとは思わない。むしろ、理不尽な理由であるにもかかわらず、死を選ぶ姿に、潔さを見いだして感動する」と、武士の精神文化に死を尊ぶ発想のあることを指摘する。
つまり、「死んでご奉公」「死んでお詫び」という発想が日本人の琴線に触れる芸術的モチーフとしてあるというのだ。
忠臣蔵があいも変わらず人気なのは、この物語を貫く思想が見事にこの日本人の琴線に触れるから。
(ときは春。日本人が桜花を好きなのも゛散り際が潔いから゛という説もある。
さらに言うなら、戦争時の特攻隊こそは自死による犠牲の美学を強いたものに他ならない。)
しかし佐伯氏の知人の外国人(多分西洋人)は、「罪が晴れて死なずに済めばハッピーエンド」と予想し、死の犠牲を払うことに重きを置く日本人とは全く違う反応を示したそうだ。
自殺の美学とでもいう精神文化がある限り、日本人はこれからも何かあるとすぐに死のうとするだろう。
そして、それはしばしばそれまで挫折を知らなかった年配男性に顕著に現れると私は見ている。
北山氏は言う、「社会的に役に立たなくなったと感じると姿を消そうとする人々が余りにも多い。異類と知られても、立ち去らずに居続ける生き方があってよいと思う。そうすれば禁を破った側に<なぜそのような状況に至ったか>の自問が深まり、悲劇的な別れとは違った展開が生まれるかもしれない。それには、長年潔いと考えられてきた人生の物語を変えることが必要である」と。
佐伯氏も「切腹(自殺)の美意識に距離を置くことも必要」と言う。
いずれも人生の物語を書き換え、日本の国花にも、咲いた後汚くなってもいつまでも枝にしがみついている花を選ぶことが必要と思える(笑)。
期末で事業がうまくいかなかった人、4月からの新年度に向けて希望が持てない人などが自殺するかららしい。
私は自殺の原因の一つに視野狭窄があると思っているので、もし誰かから自殺したいほどの悩みを打ち明けられたら一応親身になって話を聞き、止めはすると思う。
だがそれでも本人が死にたいと思った場合、どうすればいいのか。
(もちろんリファーはするが、それ以上わからないという意味)
それはさておき、日本人が何かあるとすぐ自殺しようとする背景に文化的なものが大きいと指摘するのは31日付の日経新聞にあった2人の識者によるコラムだ。
こういう視点はこれまで考えたことがなかったので新鮮。
精神科医で作詞家でもある北山修氏は古事記のイザナギノミコトとイザナミノミコトの物語から、「見るなの禁を破った男はなす術もなく立ち尽くし、異類であることを知られた者(日本の神話等では女性がこの役割を担う)は消えるのが潔いという考え方が、日本人の深層心理として表れていると思えてならない」と述べている。
一方、同志社大大学院教授の佐伯純子氏は、「(舞台で)武士が一度切腹を始めたからには、(観客は)途中でやめるとは思わない。むしろ、理不尽な理由であるにもかかわらず、死を選ぶ姿に、潔さを見いだして感動する」と、武士の精神文化に死を尊ぶ発想のあることを指摘する。
つまり、「死んでご奉公」「死んでお詫び」という発想が日本人の琴線に触れる芸術的モチーフとしてあるというのだ。
忠臣蔵があいも変わらず人気なのは、この物語を貫く思想が見事にこの日本人の琴線に触れるから。
(ときは春。日本人が桜花を好きなのも゛散り際が潔いから゛という説もある。
さらに言うなら、戦争時の特攻隊こそは自死による犠牲の美学を強いたものに他ならない。)
しかし佐伯氏の知人の外国人(多分西洋人)は、「罪が晴れて死なずに済めばハッピーエンド」と予想し、死の犠牲を払うことに重きを置く日本人とは全く違う反応を示したそうだ。
自殺の美学とでもいう精神文化がある限り、日本人はこれからも何かあるとすぐに死のうとするだろう。
そして、それはしばしばそれまで挫折を知らなかった年配男性に顕著に現れると私は見ている。
北山氏は言う、「社会的に役に立たなくなったと感じると姿を消そうとする人々が余りにも多い。異類と知られても、立ち去らずに居続ける生き方があってよいと思う。そうすれば禁を破った側に<なぜそのような状況に至ったか>の自問が深まり、悲劇的な別れとは違った展開が生まれるかもしれない。それには、長年潔いと考えられてきた人生の物語を変えることが必要である」と。
佐伯氏も「切腹(自殺)の美意識に距離を置くことも必要」と言う。
いずれも人生の物語を書き換え、日本の国花にも、咲いた後汚くなってもいつまでも枝にしがみついている花を選ぶことが必要と思える(笑)。