その昔、私の身内に高齢者がいなかったので
主人のおばあちゃんに、年齢を聞いたことがあった
「忘れた・・・」の一言で、えっそんな・・・と自分の年を忘れられるものなんやと
戸惑いと、不思議さと、なんか時間を超越したみたいで尊敬と・・
複雑な気分になりました。
50歳を越えるともう年齢なんて、思い出そうとしないと忘れていることがある。
カーネーションの糸子さんが、自分の引き際を演出しようとして
なんだかそのまま、仕事を続けているように
(とびとびしか見ていないのでよくわかりませんが)
私も引退は何歳かな、60歳かなそれとも
なんとなくずるずるやってるのかな。
やりたくても顧客がいないとしかたないよな
どんな老後になるんだろうか・・
それより孫の成長を楽しみにしてたほうがいいのかな・・
な~んて 濁った思考をしていると
「今日は何日や」とばあさんの声
ボケないためにもカレンダーは気にして欲しい。
それに答えず
「私の誕生日や」というと
「なんぼや」
「53や」
「ふ~ん 半分とちょっとやな」
「そんなもんやな」
「あの時は寒かった 氷が張ってた」とばあさんは53年前を思い出していた。
温暖化だから 今はもうこの時期に氷も張らないのかもね。
この「氷が張ってた」は、回顧のたびに言っているばあさん。
たぶん私も壬生娘の時は稲刈りで父さんは会社を休んだもののせっかくの晴れだから
稲刈りに行ってた・・なんて気候と併せて毎年回顧するんだろうな。
ゆるゆると命があってなんぼのもんと
生きてるだけでも感謝したくなる3月です。