庭の手入れが好きだったというか
あれは好きより、あるから使命でしていたのかもしれない。
主人に、もうこれからはあんたにみんな任せるからといいながら
主人や、私が庭の手入れらしきことをしていると
必ずやってきて、指図を事細かにする。
もう辟易であります。
母の言うとおりにしないと後で大変なことになる。
ここで、とてもすばらしい母語録!
「うちは植木屋さんに来てもらったことはあまりないけれど
こんなの、職人がみたら『やり方がまちがってる!』とはっきり言われるで。
あとになって『どうしてあのときにお母さんはやり方を教えてくれなかったのやろ』と
後悔しても知らんで、
あんた(主人)が恥かかかんように、いま言いたくないことを言ってるんや!」
任せるといいながら、剪定の仕方から片づけまですべて完了するまで口出しをする。
しかしそんなことがいえる口があるなら、
なんで 私に「通帳を預けた」とはいえないのだろう。
事あるたびに私が「巻き上げた」と言う。不思議だ。
そして口出しに疲れ切って
挙句の果てに
「もっと優しく、『お母さんすまんね』とかいえないのか」とか
「勝手にやっていると思っているんやろ!」と怒り出す。
(その通りナンやけど。頼みもしていないのに)
「お願いだから疲れる前にもうやめてね」の頼み方はNGなのです。
ほんと庭はなくてもよいと思うこのごろ。
私の作ったグリーンカーテンを咲いている頃は
人が褒めたら、うれしそうにしていたけど、
片付けだしたら
「あんなしょうもないもん、来年はつくらないやろな」
「いや 作るけど。 あれで随分エアコン代節約してるからな」
その会話を聞いていた主人。
「どうせ 忘れるのだから、もう作らないと言っとけばいいのに」
いえ これって私のささやかな反抗。