播州、姫路の浜手育ち ♪日々の出来事をつぶやいています

まあブログですから、覚え書きみたいなもの

私が家を継ぐことになったわけ

2015年09月26日 | よしなしごと・日々のつぶやき

22日は母の月命日

姉も娘と孫をつれて 大所帯でお経をあげてくれた。

 

お寺さんも帰り

怒涛のお昼ごはんがおわり

(小さいのが5人 大人が5人)

食後のお茶でもと

 

姉と一緒に 母の思い出話が始まる。

いつも端的に話をまとめてしまう母であった。

悪く言えば、情緒のかけらもなかった。

 

☆進路編

頼みもしないのに(ほしかったですが)グランドピアノを買ってきて

進路をきっぱり決められてしまった中学生の私。

ピアノなんてお願いして買ってもらうものと思っていた

 

私の場合

ピアノでなくて声楽科へ進みたい

「やめとき、 前向いて歌うとおまえは不細工やから 横向いてピアノ弾き!」

結果 ピアノ科へ

 

姉の場合

絵やデザインに進みたい

「やめとき、 絵なんてのは死んでから売れるもだ」

結果 デザインもちょっと描く 洋裁の専門学校

 

☆結婚

姉の場合

いつもは何かと 賛成したことのない母が

特に反対せずに結婚して家をでるのを許した

なんで?

反対しても 他に話がうまく進むとは思わなかったそうだ。

姉が家を継ぐと、そのときまで 両親も姉も思っていたはず。

継がなくていいの?

「美恵子(私)がいる!」

その一言だったらしい

私は大学で家を離れていたからそのいきさつはまったく知らなかった。

 

そして卒業した私に白羽の矢が。

「あんたには 大学までやって相当お金かかったから

これで家を出て行ったら 泥棒や!」

 

なんとも えげつない母。

これが 母の進め方でした。

 

なんだ かんだと母の描いたように進み

まあこれで なんとかやっていけているのだから

よかったのでしょうが。

 

しかし、なんとも えげつない母。

これが 母の進め方でした。

 

私も姉も母のようになれないし

なりたいとも思いません。

 

 

コメント
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