「手段」を「目的」と間違えた指揮者 = ウルフ の初登場
このところ
- 11月 → ヴァンスカ
- 12月 → 下野
と素晴らしい指揮者が続いた読響だが、新年早々に指揮者で「スカ」を掴まされたようだ(泣
読響としては、事前発表したコンサートマスター = 小森谷巧 から、ノーラン に変更してまで、力を入れた公演であり、何1つ破綻無く演奏されたのだが、感動は何1つ無かった。全ては「指揮者 = アンティ・ウルフ」の所業だ!
- 「ピリオド奏法」を(弦楽器中心に)蔓延させたい
- 「ピリオド奏法」さえ実現できれば、全ては(モーツァルト音楽では)バラ色になる!
- と勘違いした指揮者がウルフ
わずか2ヶ月前に客演した ヴァンスカ のベートーヴェン も「ピリオド奏法色」の強い演奏であったが、それは素晴らしい感銘があった。
その差は歴然である。
- ヴァンスカは「ベートーヴェンの求める音楽」を再現しようと努めた
- ウルフは「ピリオド奏法を広めようとだけした」
これだけである。コンサートマスター以下、読響のみなさんが「できる限りの努力」をしてくれたことは、聴衆が認めた。この『ジュピター交響曲第4楽章のフーガ』が全く「入りが聞こえて来ない」指揮で、破綻なく演奏してくれたことに(特に弦楽器の皆さんに)感謝する。 これだけ「声部進行に無頓着なモーツァルト指揮者」は初めて聴いたような気がする。
ちなみに、ピアノの シーララのモーツァルト も全く魅力無い。楽譜をただただ「ミス無く弾く」に終止した演奏。装飾音の追加があっても、何も魅力無かった。 ダイナミクスが 「p ~ mf」では、モーツァルト音楽は表現できないと思う。
ウルフ指揮の 今後の演奏は、ショスタコーヴィチとかバルトークを含め、(特にモーツァルト含みは)私高本としてはお薦めできない。
来月の「指揮のホーネック」をじっくり待ちたい。今月の「ヴァイオリンのホーネック」も、指揮に邪魔される可能性が極めて高い。 来年をじっくり待って聴きたいと思っている。