『新しい説得力あるカルメン像』を打ち立てた 井上道義 X 小宮正安「カルメン」
井上道義は若い時から「舞台音楽」に極めて意欲的に取り組んで来た。2年振りの「東京芸術劇場」でのオペラ について、チラシを読んで不覚にも私高本の猫頭では理解できなかったことがある。前回までの「演奏会形式」」ではなく、幕こそ降ろすことができないが
井上道義のカルメン = 『通常のオペラ、しかもオペラ・コミーク様式』
と言う点だ。チラシにはごくごく小さな級数で「Alkor版」とあるから、「オペラ・コミーク」を想定する必要があった。あぁ! 「老眼」がこれほど恨めしかったことは無いかも知れない(涙
井上道義の舞台音楽は、神奈川県立音楽堂のバレエなども含めて、随分聴いて来た。発想が豊かで面白いのだが「超一流の感触」には達した、とは言い難かった。これまでの「オーケストラアンサンブル金沢の東京芸術劇場オペラ」についても、面白いのだが、あくまで「日本人歌手で井上道義が選んだメンバーのオペラ」であり、新国立劇場に限らず、二期会、藤原歌劇団、東京オペラプロデュース などに比べて、「オペラが専門」団体に比肩したとは感じられなかった。
小宮正安 と言う名パートナーを得て、『井上道義の目指す方向性』を万全に具現化した!
公演となった!
井上道義 X 小宮正安「カルメン」骨格像
オケは「オーケストラアンサンブル金沢」で弦楽器が、8,6,4,4,2 なので、音量拡大は追求しない。「和音で響かせる」
主要3役は、欧米で活躍している「脂の乗っているソリスト」を3名当てる。ミカエラ は小川里美
オペラ・コミーク用にビゼーが作曲した「唯一の版 = アルコーア版」を用いる。
『初演当時のパリ』を「21世紀初の東京(或いは金沢などの4都市)」で『雰囲気を再現』するために、舞台設定を「スペイン統治時代のフィリピンの首都 = マニラ」に設定
主役陣の歌う「歌詞」は全て「オリジナル通り」で、「字幕」は「セギリヤ → マニラ」などと表記。これならば主役陣の歌唱の妨げには一切ならない
「幕が無いオペラ」としての公演
「合唱だけ」の箇所に「日本語訳詞」で歌わせる箇所作成。第4幕のように「途中からソリスト参加」の曲では合唱団員だけ「2重の歌詞」になるが、それは実施してもらう。
合唱団は(大人も子供も)演技は一切求めない。歌唱だけに集中してもらう。「ローマのコロセウムの聴衆」の位置にて歌う「コーロ」の原語の意味を問い糾す。合唱団に「声の質」「ディクションの正確さ」は求めない。「音程命!」
演技は「ソリスト(= プロ歌手) + ダンサー」だけで実施。ダンサーには助演的にも動いてもらう
演出は「大道具は大きくは動かせない」を前提に、「マニラ」の設定で作成。衣裳も東洋風に「エスカミーリョだけスペインからの招聘戦士(= ヨーロッパ風で浮き立っている)」とする
「重唱」重視。フラスキータ(鷲尾麻衣)以下の「レジスタンス(← 井上道義版の解釈)」4名は「音程&音量バランス」を最高までにチューニングする
「光」は最高のパフォーマンスを狙い、成功した!
井上道義の棒は「歌」最重視の「流れる棒」で、歌手陣の最高を引き出していた
私高本が受け取ったことは以上。
「大道具が貧乏くさい」「しかも第1幕から第4幕まで基本変わらない」「合唱団のディクションが物足りない」「弦の響きがもっと欲しい」などなどの意見は休憩時に耳にした。あぁ、休憩は第2幕の後までしか無かったから、「第1幕と第2幕の大道具が基本変わらない!」だった(爆
ここで、「響き」について、いくつか述べたい。
1階席前5列の座席を外し、「オーケストラピット」にした!
基本的に「客席に向けての歌唱」で統一。合唱団は「向き」も変わらないが、ソリスト陣も正面向いての歌唱が9割超
音程は「ミカエラの第1幕アリア」以外は全て良かった。ミカエラ(= 小川里美)は第3幕アリアは素晴らしかったこともここに報告する
井上道義 と オーケストラアンサンブル金沢 は「東京芸術劇場の響き」を熟知して来た。座席数を減らす = 収入減 だが、それでも「響き」優先だった!!!
「今後の 井上道義のオペラ」は見逃せない。
・・・と同時に「小宮正安のオペラ」も見逃せない。この人があっての公演の成功だった、とはっきり確信している次第である。