1人の歌手による「決定的名盤」が存在しない「幻の名曲 = 子供の不思議な角笛から」の謎を解く(4)
不人気原因その4
歌手が全力を注げない曲集=「子供の不思議な角笛から」
う~ん、言い難いが言う。「歌手が全力を尽くせない曲集」である。私高本は、フィッシャー=ディースカウ の信奉者の1人であり、この曲の演奏も大好き。
・・・で、
大概のヒョーロンカが「1押し」にするのが、フィッシャー=ディースカウ も加わっている「セル指揮盤」だ。
もちろん、持ってます、ハイ。これが「良くない」んだよね、フィッシャー=ディースカウ も シュヴァルツコップ も。「EMI の マーラー箱16枚組」にも入っている「名盤扱い」なんだが(苦笑
私高本は、マーラー「子供の不思議な角笛から」については「犬のサンダル集め」癖が出ている。「シューベルトピアノソロ」「グルダ」「1957以前のマリア・カラス」「マーラー:子供の不思議な角笛から」「グールド」「1991年以前のブレンデル」くらいか? これは(過去の演奏から類推して)「おそらくスカだろうな?」と思うものまで全部収集してしまう!! あぁ、「犬のサンダル集め」じゃん(泣
犬もきっと「ヤバい!」と思ってサンダル集めているんだろうなぁ。
フィッシャー=ディースカウ の「子供の不思議な角笛から」セッション録音一覧
1959.06 Karl ENGEL(p):"Des Antonius von Padua Fischpredigt"のみ
1968.03 George Szell/London Symphony Orchestra 4曲をソロで、5曲を Schwartzkopf と共演で
1978.02 Barenboim(p):全12曲
1989.04 Barenboim/Berliner Symphoniker:全12曲
これが全てである。これから「ライブ録音」はマリア・カラスのように「膝上録音」が雨後の筍のように出てくるかどうかはわからん、「フィッシャー=ディースカウが「残したい」と思ったものは上記が全て。
・・・で、聴いてみると、「セル指揮盤」って、全部の4録音中、演奏水準が最も低いんだよね、「録音技術上」でなく、「演奏水準上」で。ちょっと前までは「何故だかわからん、オレはピアニストのマネジャーだから、歌手の状況まではわからん」と思っておいたのだが、何回か聴いていて、(錯覚かもしれないが)思い当たる節があった。
フィッシャー=ディースカウの立場(&シュヴァルツコップの立場)では、「本番でどの曲を採用されるか?」の権限が全く無かった!
盲点である! 私高本は「猫頭」なので当初全く解らなかった。「何で9年前のエンゲル共演盤よりも表現が後退しているか?」が(爆
「予定されていたレコーディングがリリース前に流れる」ことはあっても、「他の歌手に切り替えられる」ことは他の曲では皆無
である。出来不出来やギャラの配分やら(以下省略)で、リリースされないことはある。だが、「他の歌手に切り替え」されることはあり得ない > マーラー「子供の不思議な角笛から」以外では。世界一流の歌手が控えていないからなあ(爆
セル指揮盤について考えてみよう。フィッシャー=ディースカウもシュヴァルツコップも「一応この曲のこの箇所歌って来てね!」とセルに言われて集まったハズ。だが、最終テイクと同じかどうか? これは当事者しかわからん。マーラー指示よりも「2名歌手への配分」が多いし。
ここで考えてほしい。
歌手が「ここをこのようにしてほしい」と言えたか? どうか?
ごちゃごちゃ言えば、「もう1人の歌手」に即チェンジである。「セルの言うがママ」になっただろう、ことは(猫頭の私高本でさえも)理解できた。この録音の「全貌設計」は『セル1人』である! セルは元々「独裁者」の評判高いし(爆
歌手が全力を注げない曲集=「子供の不思議な角笛から」
残念ながら、これは真実である(泣