歌手とピアニストの『資質』:マーラー「子供の不思議な角笛」の場合
まず、歌手に必要な資質は、作曲家別に全く異なることを明記する。
モーツァルト「魔笛」の「夜の女王」 : 3点F(ハイF)をきちんと出しながら、コロラトゥーラを正確に転がす。アンサンブル不要。演技もあまり求められない
シューベルト : 「歌曲」「ミサ曲」「オペラ」全てで、「技巧的な難しさ」は少ない。歌詞を深く読み込んだ歌唱が高い水準で緻密に求められる
J.シュトラウス2世「こうもり」 : 声量はそれほど求められない。演技派であると同時に「アンサンブルがうまい!」が求められる
ワーグナー「楽劇」主役 : 大オーケストラがフォルティシモで「鳴る」中を突き抜ける「太い」声。アンサンブルは不要。「ワケわからん演出でも歌える」は必須事項
「ドイツ派巨匠」から数名選んで見て時代順に並べたが、「作曲家の要求」は全く異なっていることがお判り頂けることだろう。
では、マーラーの場合はどうなのだろうか?(歌手についてである。)オーケストラ伴奏について見てみよう。
「さすらう若人の歌」「リュッケルト歌曲集」「亡き子をしのぶ歌」「大地の歌」 : 哀愁などを抒情的に歌い上げる
「子供の不思議な角笛」(1899年版13曲と「最新の7つの歌」から2曲) : 異なった15場面を舞台にした喜歌劇調のオペラアリア
交響曲第8番「千人」 : 重唱中心の「突き抜ける声」を持つ7名のアンサンブルの第1部。基本的に「オペラアリア」の第2部
「嘆きの歌」は習作なので抜いた。「子供の不思議な角笛」(「角笛交響曲」含む)と「千人交響曲」以外は「抒情的」な方向の音楽作り。声量はあるに越したことは無いが、「子供の不思議な角笛」「千人交響曲」ほどは不要。
「千人交響曲」は第1部のアンサンブルの難しさがあるものの、「オペラアリア」の第2部では「第2ソプラノ」以外は、「場面転換による心の準備」はほとんど無い。
連続して次から次へと「異なる場面のオペラアリア」の連続 = 「子供の不思議な角笛」。これを「歌い切る」が歌手の「必要資質」である
では、ピアニスト はどんな資質が必要なのだろうか? ちょっと一風変わった視点から覗きこんで見よう。
「子供の不思議な角笛」ピアノ版全曲録音(歌手が1人か2人かは問わない)で、最高のピアノを演奏しているのは、バーンスタインの「ウィーンライブ」
一発ライブ なので、ミスタッチは多いが、この「ピアノ版世界初録音」が圧倒的にうまく、他を寄せ付けない。フィッシャー=ディースカウ と「ピアノ版」「オーケストラ版」を共演している バレンボイム でさえ、随分と差を付けられている。
主として3点が重要に見える。
マーラー「子供の不思議な角笛」ピアノ版 の ピアニスト にとっての重要点
次々と移り続ける「オペラアリア場面」に気分転換がすぐに出来る「指揮者気質」ピアニスト
休憩までの30分以上を「楽章間の休み」程度で、オーケストラ版並みに込み入った『音符の数が多い曲』を弾き切る「大曲弾き」ピアニスト(シューベルト後期ピアノソナタ とか ブラームスピアノソナタ が弾ける技巧が必要)
「教会に人が来ないから魚へお説教」と言うハチャメチャな場面設定を「面白おかしく」弾けるピアニスト
ここで秘話を1つ。
バーンスタインは自作オペレッタ「キャンディード」第21曲で、「奴隷船でいやいや漕がされている奴隷の情景」にマーラー「子供の不思議な角笛」の「歩哨の夜の歌」の伴奏音型をそっくりそのまま引用した!
それほど、マーラー「子供の不思議な角笛」を心の底から愛していたのである。
佐伯周子は、私高本について、「高き知性の持ち主だからねえ、イヤー」と(2オクターブ+半音では無く)1オクターブ+半音 の音程(歌手訓練受けてないからしゃーないわな!)で、茶化す(爆
その程度の「猫頭ヒョーロンカ」だから、茶化されて当たり前じゃん(泣