詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

下記の記事を書いてて突然思いだしたのはー

2007年11月26日 | 政治
一昨日テレビで観た旧徳山村(岐阜県)のドキメンタリー番組だ。
諫早湾での自然破壊やムツゴロウ虐殺も恥知らずだったが・・
徳山ダムは発電設備や放水路もないダムに数百億円の血税。
しかも、最初の住民との協定にあった水没する幹線道に代わる道路建設が反故にされてしまったので・・旧徳山村の九十数パーセントを占めるダムの奥へと行くことが不可能になってしまって、山林は荒れるがままに放置されてしまうのだという。

先日、「太田総理のー」で森永氏が言っていたのだがー
膨大な海外資産にチョコット増税するだけで、数十兆円の増収となって年金・保険料を無料にできるという。
欧米のそれらと違って、社会貢献や倫理感が皆無で、際限なく強欲すぎる日本の大企業・富裕層にはその対応しかないのではと思う。
国民の大多数が貧困や不安におびえているのに、たかだか数パーセントの富裕層がわが世の春をうたい、美酒・美食に酔っていても許されるものなのか?

さらに言うならー
社会貢献に熱心な欧米の大企業や宗教団体とはまるで違うこの国のそれらには、一切税的等の特権は不必要だと思う。
さらにその「公的存在」という特権の上にあぐらをかいては、税金隠し等の不法行為に邁進し、大企業などは人殺しも罪に問われないので・・やり放題ではないのか?

消費税をアップした時に減税されてそのままの大企業や富裕層への相続税率を元に戻すだけで、現在の国家予算に匹敵する増収となる。
これらの税金を、年金・保険料の無料化や福祉&自然回復をするNPO・NGO等の支援に回すようにすれば、現在の腐敗しきった社会保険庁や林野庁等の伏魔殿が不必要になって人件費等が大幅に節約可能だ。

従来の国家予算等は従来のように、税金ネコババにしか頭を働かせない堕落しきった政官財で取り合えばいいと思うのだが・・
国民や国家に被害を与えた度合いによってその省庁・天下り用法人の予算をカットして、それを国の借金返済へと回すべきだ。

消費税は、その使い道を問うことなく地方に分配すべきだろう。
自由に使える金が地方を数多く循環することなくこの国の未来はない。
消費税約6兆円を赤字地方で割るだけでも、一道府県あたり約1400億円となる。
それによって、戦前までの日本の伝統だった個性的な地方復権を目指すべきではないのか?

いまもっとも読みたいのはー「松下竜一全集」(河出書房新社)

2007年11月26日 | 日記
けれど、僕の利用してる図書館にはほとんど揃っていなくて残念!

《大杉・野枝の四女のさわやかな苦闘を描いた『ルイズー父に貰いし名は』のあと、松下さんは、大杉の同士で無念の死を遂げる、和田久太郎を描いた『久さん伝』へと、アナキストへの同調を隠さなくなる。それは(公害反対)運動の中での革新政党のだらしなさと傲慢さにほとほと愛想がつきていたからであろう。

市民運動といいながらも、松下さんの胸の中には、国家に対する叛逆の想いが熱くなってゆく。かって勢いのよかった論客たちが、次第に体制化してゆくのにはまるで逆行するかのように彼はますますラジカルになっていく。企業爆破事件の被告にたいするシンパシーによって書かれた『狼煙を見よ』では、警視庁の家宅捜査を受けるなどの嫌がらせに遭う。それへの怒りをバネにして、『怒りていう、逃亡に非ず』を上梓、ついに日本赤軍のコマンドにたいする共感をあきらかにするのである。

わたしがいちばん好きな作品は、ダム建設反対運動で、孤立しながらも莞爾と笑って闘う室原知幸を描いた『砦に拠る』である。主人公と松下竜一の憤怒がよくつたわってくる。》(『松下竜一その仕事19「憶ひ続けむ」ゲストエッセイ 鎌田彗)