ぽかぽかと行きましょう

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いろ波13・茜色

2007年08月11日 | 色の世界

茜色(あかねいろ)

赤を指す茜色は、大昔から知られていた植物染料、アカネは赤い根ということで、アカネ草の根が茜染めに使われてきた。

アキアカネは、赤とんぼのこと。

秋空に飛ぶ赤とんぼ、日本の秋の風物詩。胴体の赤いトンボは、♂

「洞然(とうぜん)と大戦了(おわ)り赤蜻蛉」  瀧井孝作

焼け野原になった終戦の年の秋にも赤蜻蛉飛んでいたのであろう。

「赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり」   正岡子規

「肩に来て人懐かしや赤蜻蛉」    夏目漱石

赤蜻蛉を秋茜というくらいだから、日本の赤の原点は茜色か。

日本の基本色名は、茜からきた赤で、漢字の国の中国では、赤は紅(ホン)になる。

アカネの根の染汁に糸を染めて赤くするには、くり返し染める手間が大変だったらしい。茜よりももっと赤く染められる紅花(べにばな)からとられた植物染料の色が、紅の字で表され「くれない」と呼んだ。

韓紅、唐紅と「からくれない」。呉の国の渡来染料「呉藍」(くれない)である。この場合の藍は藍色でなく、染料のことである。

この紅に対し、茜は藍と並んで人類最古の染料といわれてきている。

茜は日本の山野にも自生している蔓草で、その根は黄赤色している。この東洋茜に対しヨーロッパには西洋茜がある。英語でマダー、フランス語でガランスといわれ品種改良により綺麗な紫みの赤を18世紀になって染められるようになったそうだ。

あかねさす紫野行き標野ゆき野守は見ずや君が袖振る」は、万葉集巻の1 額田王の歌はあまりにも有名で、いまさら引く事もないが、色づくさまや、「日」、「紫」にかかる枕詞である。


橋と救出作戦

2007年08月11日 | 日常・身の回り

先日、アメリカでミシシッピに架かる橋が崩落しました。あの工業大国のアメリカの橋も弱いものです。

かの「マジソン郡の橋」は、いかならむ。すだれをかかげて見る。なァんちゃって。

映画で、クリント・イーストウッド演じるカメラマンが、汗になった体をポンプの水で洗って拭くシーンで、人妻がクラクラとなって不倫する。

そんな映画の、「マジソン郡の橋」。木製で屋根のある橋。あの橋も数年前に火災にあって、その後どうなったか。

これも映画「戦場にかける橋」の”クワイ河マーチ”も印象深いメロディだ。

近江の生まれで、育ちも近江ながら琵琶湖大橋も、近江大橋も知らない。東京に出てから出来た橋だ。

何の話しょうと思ったのか。

そうだ「蜘蛛の大事業」のつづきをやるんだった。

例の蜘蛛の「トム」が作った長大な橋は、今日も健在だ。

五メートル余の銀色に光る糸の大橋はところどころ支点でつなぎ雨風に耐えてきた。幸田露伴の「五重塔」を作った大工の棟梁のように暴風雨の後、「トム」は自分の作った橋とネットを、葉陰から見守っているに違いない。

そんな橋にも、巣にも毎日危機が来る。

日に、一、二匹の大小の蝉がかかる。トンボも蝶も飛び回っているのに、なぜ蝉だけがかかるのか。目が悪いのか、飛び方が悪いのか。生まれたての蝉は、まっしぐらに飛び立ち体当たりだ。あの不幸な戦争の特攻隊の若者をしのび、やるせない。吉天の五、六歳先輩の人たちが、お国のためにと一途に飛び立った。

巣を守る蜘蛛にとっても、激突する蝉にとっても双方が被害者であり、犠牲者だ。

蜘蛛は如何するかというと、餌にもならない蝉を、夜のうちに巣の半分とともに切り落としている。蝉の落ちたあたりの草叢を見ると、幾匹かの屍骸が蟻などに食われて胴、羽、頭ばらばらで、塚をなしている。

そして、朝を迎える前に、巣は修復されている。

ある朝、修復されたばかりのネットに、若蝉が今かかったばかりでバタバタもがいている。特に右羽がくっついて、左羽で飛ぼうとしている。左の羽がくっつく前に助ければ生還できる。

いざ、救出。吉天爺の出動だ。地上から3.5メートル。植木の支えに使う棒を持ち出し、蝉をネットから取る。右の羽に蜘蛛の糸がついたまま、蝉はタコ糸を引いて飛ぶ凧のように舞い上がった。

手元に残った粘っこい糸をたぐり寄せ、指で蝉をつまむことが出来た。指先でボンド付けになった羽から粘着糸を取り去り、薄い羽の点検を済ませ、梨畑の空に向けて思い切り投げてやった。

格別の礼を言う事もなく蝉は飛び去ったが、まだ今日ぐらいはどこかで元気で鳴いていることだろう。

「情けは人のためならず」か。ブログのネタになる。

隣の梨畑は、3,000坪。蝉の数は万といる。いっせいに鳴きだすと騒音に近い。短い一生の間に蜘蛛の巣にかかるような事故にあう確立は、万分の一。ロト・シックスの宝くじに当たる確立は600万分の一。

トムの作った橋は、夜間工事で直し続けている。たぶん彼女との愛の巣も捕虫網の巣とは別にあって、こちらは昼間ベタベタしていて、そのうち「蜘蛛の子を散らす」の言葉どおりに子宝に恵まれることであろう。

                                 おしまい


W孫ご一行様

2007年08月11日 | 日常・身の回り

上野駅に出ると、母子の皆さんがいっぱい。夏休みになるとまるで人口の半分は子供で、少子化はどこの国の話かと思わせる。

わが吉天の家でも、週はじめの三日間W孫姉妹のご一行様ご来訪で賑わった。

下町とはいえ、都会からこの田舎にやってくると幾分夏休みの気分にひたれる姉妹。年は少し離れていても双子のように仲がよいが、ともに負けず嫌いで張り合って、ときに眼からにわか雨のこともある。

さて、都会で見られない星を見たいと夕食後、おばあちゃんと表へでた 

「星を見るお椅子はどこにあるの。」「?」

星は先日プラネタリウムで見たそうだ。生の星空も椅子にかけて仰いで見ると思っているらしい。星と星の間に線は引いてないよ。星座の解説もないよ。残念ながら、この夜は薄雲がかかっていて生のお星様はよく見られませんでした。

姉は、このほどめがねをかけて、視力を補っている。小さなめがね美人になった。夏休みといえば、宿題。爺、婆のうちにくるのも、ドリルだなんだと、山のよう。妹は宿題ないので好き勝手に遊べる。

これをやってからと思うと、思わず泣けてくる。にわか雨、通り雨ひとしきり雨を降らして、鉛筆握って漢字の書き取り。

おじいちゃん、石像になるの巻。

爺の今年の出し物は、「石像」になって固まることだ。パントマイムよろしく、コッキと固まって、突然動き出す、また一瞬不動の姿勢で顔の表情も、お面のようにとめてしまう。この芸が意外と笑いを取ってW孫とも打ち解けて和やかに過ごした。遊んでもらっているのは、爺の方らしい。ほかに、今風のいろはカルタにも、入れてもらった。

かくして、孫達との短い夏は終わり、立秋となった。が暑いのは、当分続く。