今朝の空気は、おいしい。
多分昨夜10時前に就寝したから。
秋の空気そのもの。 喰う気も増してくるか。
少し経ってしまったが、先の9月18日に当ブログで紹介した、喜如嘉の芭蕉布「平良敏子展」東京展(銀座時事通信ホール)は、九月三十日に終了し、会期中大勢の来場者で賑わった。
先行した京都会場では無かった、平良敏子さんのお話が聴かれることで、関係者や一般の人たちも毎日、席に溢れ立って聴くほどであった。
平良敏子さんは、八十八歳で、今なお作品の制作をされ、米寿を記念してのこの会は、今までの創作の集大成でもあり展示された170点の作品はどれも心血を注いで制作された芭蕉布の逸品であった。
製作過程は、場内のビデオでくり返し流されていたので、糸芭蕉から、糸にし、織り上げるまで如何に大変であるか良く分かるのであるが、加えてご本人のお話も制作の仕事について、丁寧にご説明された。
もう、芭蕉布を織ることに、ひたむきに今日までやってこられた人だけに、仕事以外の話は一切無く、一途な気持ちだけが伝わってくる。
制作工程の詳細は、ブログでは紹介できないので、代わって会場入り口のご挨拶を写してきた。
>ごあいさつ
昔から 何もかわらず喜如嘉の おばあさんたちや 母におそわったことをまもって 芭蕉布づくりを つづけています
ひとつひとつ昔と同じ方法で芭蕉布をつくって今にいたっています
しかし たくさんある仕事の作業工程の ひとつも息がぬけません
仕事は正直なもので あとから どの様な仕事をしたのかが 布に現れてきます
ですから偽りのない仕事をすることで これまでお世話になった方々に ご恩かえしをしたいと 毎朝心の中で祈っています
米寿を迎え 喜如嘉の芭蕉布を 皆様にご覧いただけますことは大変な幸せです
平良敏子
また会場の数ヶ所に、平良敏子さんの気持ちを詩(うた)にして飾ってあった中から、二つばかり紹介する。
・
「米(ゆに)ぬ年(とし)なていん
肝(おむ)やなき音(わらび)
沙汰(さた)さりる苧芭蕉(うばさ)
残(ぬく)ち いかな」
敏子
訳 (米寿を迎えましたが 私の気持ちはまだ若いつもりです
世の人々に評価される美しい芭蕉布を これからも残していきたいものです)
・
「親父母(うやふじ)ぬ手技(てぃわざ)
守(ま)てちゃる証(あかし)
今(なま)や我が村に
花ゆ咲から」
敏子
訳 (祖先から守り受け継がれて来た手技を ずっと守って来た証しである芭蕉布は 今では我が村に花咲かせていることよ)
沖縄独特の絣模様は、数百種になるという。また、糸芭蕉を育て、糸にし織り上げるまでの高度の技術と、熟練の手技は、常人には気の遠くなるような話であった。
(平良敏子さんの、芭蕉布の本は会場で売られていた。詳しい工程と作品、ご本人が掲載されている。書店でお取り寄せできると思う。)
月、日が飛んでゆく。
飛んでゆく。
10月も、月半ば。
デパートから、お歳暮の案内。
㈱JP郵便局から、年賀状の売り込み。
来年のカレンダー、手帳。そして暦。
飛んでゆく、クリスマス。お正月。
ケーキや、おせち料理の予約売り込み。
飛んでゆく、月、日が、飛んでゆく。
新幹線の、車窓の景色のように、後へ、あとへと飛んでゆく。
誰も止められない時の流れ。
流れ星のように、飛んで、とんで、消えてゆく。
昨日、今日、明日、昨日今日明日、昨今明、ききょあ、キキァ--・・・~
このたび、英国の女性作家ドリス・レッシングさん(88歳)が、ノーベル文学賞に輝いた。
もとより、外国文学に疎い吉天、レッシングさんの作品を読んだわけでは有りませんが、88歳での受賞は凄いと思います。
現在までに、50作以上の作品を発表され、しかも大作ばかりと言う。ノーベル賞に値するに充分で、遅きに失したと言う受賞。
歳からすれば、吉天も前途洋洋、無限の可能性があると思うが、積み上げてきたもの何も無いので、88歳はおろか、100歳でもとどかない。
しかし、地べたから少しでも積み上げる気持ちで、PCのキーボードを撫で回している吉天です。(陰の声「ムリムリ、昨日の夕飯 何食べたか憶えているか?」)フゥ~。
ところで、あの芭蕉布の平良敏子さんも、88歳です。
田畑を耕すのは、農業。
頭脳を耕すのは、脳業。
文化や教養は、cultyure(カルチュアー)
カルチュアーは、cultivate(カルチベート)「耕す」から、来ている。
大地を耕すのも、脳を耕すのも出どこは、一緒。
ゆえに、農業と脳業は同義語となる。
農業や、脳業で将来介護を受けなくて済むように励みましょう。
ブログも、立派なノウギョウですぞ。
毎度、困ったもんだ。
北海道の「白い恋人」のあとを受けて、三重県の「赤福」。
白と赤と揃って、「紅白菓子合戦」。紅白と言えば目出度い祝儀のもの。これでは、目出度いに「お」をつけ、「おめでたい」経営者だ。
いずれも、菓子屋だけに消費者を舐めてかかっている。
冷凍して、解凍したあんこを、舐めてみればよい。水っぽくて風味の無い味に誇りも何も無い。
300年の老舗が、創業者や、歴代の社長も泉下で、泣いておろう。
食品のこういった「客を舐めた話」が、後を絶たない。
もういい加減に、やめてくれ。「赤福」改め「赤んベー」だ。
「ありがとう」
この時代、栄養補助食品というのかな、いろんなサプリメントが出回っている。食事しないで、数種類のサプリメントで済ます人もいるという。
栄養は、普通の食事から自然に摂るのが良い。どうしても足りないものを、補完するのがサプリメント。
近年、人間関係が、とかくギクシャクしがち、職場でも、家庭でもそして社会全般が変だ。
大事な栄養素が、不足している。潤滑油であり、活性化を促す「アリガ糖」だ。
ひとこと、「ありがとう。」と言うだけでよい。
これが、究極のサプリメント「アリガ糖」だ。
糖は、糖でも糖尿病を気にする事もない。特別お金もかからない、一円からの領収書添付する必要もない、本当に有難い「アリガ糖」だ。
日常に、気軽に感謝の気持ちを言いあうだけで良いのだ。
人間関係に、不足しがちな感謝の気持ちを「ありがとう」で、てれることなく、上長からも気軽にどうぞ。
書類や、郵便物、書籍などどんどん積み重ねたままの、身辺。
袋に入れて、箱に入れて、取り出すこともないもの。
整理して片付けないとと、毎日思いながら手が付かずそのままにしてあったものを、意を決して体育の日休日、一日かけてやりました。
捨てるもの、捨て、ばらばらだったもの、同類はまとめてどこに何があるか確認できる体制にまで整理整頓しました。
昨日今日と、外出して戻ってデスクに座って、ほっとして何かに手をつけ様として、 「むなしい」気持ちで何もする気になりません。
やること、まだまだ一杯あるのにです。
A型気質で、完璧を期した結果の「むなしさ」です。
もっと、ええ加減にしとけばよかった。
「ええ加減」とは、良い加減。
玄関出ると、秋雨の中にいい香りがただよってきます。
いつの間にか金木犀が咲いていました。
ところで、近所の梨園の生垣、「お茶の木」が半月ほど前に、大量の毛虫が発生して、葉っぱを食い荒らしました。枝と堅い実を残して、20メートル全部丸坊主にしました。
昨日、郵便物を出しにポストへの通り道、その茶の木の生垣に、緑の芽をふいて若葉が出ているのを発見しました。丸裸のまま冬を迎えるのかと思っていた矢先のことです。
摘めば新茶かな?
おまけにところどころに、白い花さえつけています。
植物の生命力の強さをあらためて知りました。
今朝も、弱い雨が降っています。
今夜、NHK・BSで映画「雨に歌えば」を、午後10時から放送です。
(ちなみに、木犀は晩秋、茶の花は初冬の季語となっている)
昨日7日は、晴天の運動会日和。トンボスイスイの校庭。孫の幼稚園、年中さくら組。
プログラムの出場種目どれも手抜きしない真剣勝負。W爺婆の応援に応えて、組体操の途中で片手はなして手を振ってました。この余裕。
終わって全員に、良くガンバッタご褒美と、金メタルを貰いました。
幼稚園は、どの子も一生懸命、素直に演じて公平に褒めてのびのび育つ、家族は自分達の子供を大勢の中から見つけ出すのに必死ですが。
なお、小学3年生のお姉ちゃんは、卒園生の徒競走に特別出場。一等でテープを切り生まれて初めてと、今後の自信につながった様子。
なんでも、ゴールの先までを目指して、全力で走れとのアドバイスを活かして、一等になったと取材に答えておりました。