心静かに、一方湖子庵の庵室は所狭しと散らかっております。
一気に片付けると、あとは空白のむなしい気持ちになるだけです。
思い切り乱雑の中で、庭の緑を眺めておりますと心静かに落ち着いた気持ちになるのはなぜでしょう。
散らかったまま、出かけます。
泥棒が入ったら、「あっ!先客がいたか」と思って退き帰すでしょう。
心静かに、一方湖子庵の庵室は所狭しと散らかっております。
一気に片付けると、あとは空白のむなしい気持ちになるだけです。
思い切り乱雑の中で、庭の緑を眺めておりますと心静かに落ち着いた気持ちになるのはなぜでしょう。
散らかったまま、出かけます。
泥棒が入ったら、「あっ!先客がいたか」と思って退き帰すでしょう。
毎日、毎日。
メールボックスに、迷惑メールや、メル魔が、未承諾広告の山が出来て、困っておりました。その都度すべて削除して居りましたが、間に合いません。二,三日開かないとメールが、宿便(汚い)のように溜まります。
そこで、この度OCNに相談して、メールアドレスを変更しました。
新しいメールアドレスは当分伏せておきます。
煩わしさを考えると、メール使わないアナログ爺でも良いと思います。
一度誰かとメール交信すると、そのアドレスに何処からともなく迷惑メールが自動的に送信されてきてしまいます。だからメールはやりません。迷惑メール防止の契約もしているのですが、隔離されたものが溜まっていくので、これも同じです。
しかし、ブログのコメントも入らないのかとも考えますが、どうなんでしょう。
昨日、清澄白河駅(都営大江戸線)を降りて、深川の門前仲町の方へ歩いていましたら、清澄庭園を越えたところの海辺橋渡ったたもとになにやら、たたずむ人あり。
声を掛けようと思ったら、銅像でした。笠をかむり杖をついて腰を下ろした芭蕉さんでゴザンシタヨ。
この川沿いは、芭蕉さんの散歩道と記してありました。川を覆う桜はもうすっかり葉桜になっていました。花の頃は、綺麗だったのでしょう。
奥の細道の旅にでた出発点、江戸深川の芭蕉庵のあたりになるらしい。(古地図では、隅田川にそそぐ小名木川の川口付近と言う)
近くに芭蕉記念館もあるらしいので、今度は出向いてよく調べてみよう。
本日は、朝から群馬県にに行ってまいりました。
絶好の日和で、山がとっても綺麗でした。
群馬県は、海に接するところのない県で、関東甲信越のお臍です。
吉天は、海彦、山彦に分けると山彦の方で 潮海から、隔離された山の方が性に合ってるみたい。樹木や、山野草に囲まれた土地にあこがれます。
時に、太平洋や、オホーツクの海に面したところも好きになりますが。
その時の気分とかで変わりますがね。ともかく今日は、山彦でした。
今日の話は、また後で・・ムニャムニャ・・・・おやすみなさい皆々さま。
昨日朝、ミダイが近所の農家で、筍を掘って分けてもらって来ました。
皮をはぎ、鮮度が落ちないうちに米ぬかでゆでて若竹煮に、あとは冷蔵庫で保存し毎日いろいろと調理をかえて食卓に出してくれるようです。
大き目のは、皮をはぐと十二単を脱ぎ捨てた平安の女官の初々しい肌が出てまいります。吉天の妄想を誘いますぞ。妄想竹(孟宗竹)だけあって。
さて、世の中は「雨後の筍」ように、事件や問題が次々と出てまいります。「爺問題」は、この時季に限ったことなく年中です。旬に関係ないので、ブログなどで付き合っていられないのです。
身辺の明るい話題に絞って、更新しましょ。
午後から、W孫のところに、筍を届けるようにミダイさまの仰せじゃ。
筍のようにすくすくと成長して居ることじゃろ。
湖子庵の庭のモミジも楓も、芽吹きからすっかり葉を開いて褒めてあげたい。
そのほか(名前があるじゃろ)の落葉樹も目に青葉の耀きが、さわやかです。
NHK、FM放送のアナも、今「毎日、お気持ち爽やかにお過ごし下さい」と言い終わったばかりでござる。11時の時報を打って「日本の民謡」に切り替わった。
本日は、日本画教室へ参りました。
ただ今薔薇の絵を制作中です。
スケッチ用に、大変珍しい「ハンカチの木」の枝を先生がお持ちになりました。
先生のご自宅に植わっているハンカチの木の花を、高枝バサミで切ってお持ち頂きました。
「ハンカチの木」は、15年~20年くらいしないと花が咲かないそうで、す。大変大きな木になるので、遠見には枝に沢山のハンカチを結わったように見えます。写真で見たり、話に聞いたりはしていましたが、実物を見るのは初めてです。
大桐科や、水木科とも言われますが、一属、一種でハンカチの木科でしょうか。中国でフランス人のダビット博士が発見されて、木の学名はダビディアというそうですよ。
めったにお目にかかれないので、頂いてきて玄関の花入れに活けました。多少すっぱいような、においが致します。
ハンカチ王子も、びっくりじゃないですか。
違憲も、意見も、異見も、いずれにしても人の言うことを聴かんとイケンよ。
政府与党も可哀想なくらいやっても、支持率下がって説明つかんわな。
可哀想なのは値上げだ何だと、生活直撃で国民はみんなストレスで「イケン」せなイケン。
どんな「イケン」やちゅうと。「胃検」や、胃の検査やないか。
ストレスで胃がただれて、潰瘍できるほどや。早めに「胃検」して、新しい医療制度で治癒してスッキリせなアカン。
今まで、いい加減な説明で何でもかでも通してきて、「違憲」と判決でても大丈夫だで済むのか。もし殺人犯が死刑が確定しても、「裁判所の勝手でしょ」で、死刑免れるのか?
選挙戦で、選挙違反しても選挙区をちょっと通り抜けた非戦闘地域だから違反にならないとか。
憲法にまで、トンネルほって抜け道を造るのか。
無法者!!政治や日本の未来をあずけて良いのか。
怒り心頭とは、こういう事を言う。
一輪ざしに、「ミヤコワスレ」を一輪さした。
ミヤコワスレは、東菊のこと。
遠く離れた「京」の都のこと、忘れられるかな。
(さしずめ、天子様が京に居られた頃なら、吉天は東に下りて、この四月で五十二年になるのじゃ。)
今日は、根津神社(東京文京区)のつつじ祭りに行ってまいりました。
躑躅(ツツジ)の花は丁度盛りで、燃えるような赤い花のこんもりした小山の重なりが見事でした。つつじ祭りの中日で、寄進された人々で式典が行われていました。
五月に入るとつつじ祭りも、後期に入り花の賑わいも衰えてくるものと見られます。
長寿社会も、高齢者の括りの中で、前期、中気、好期の三段階に勝手に、GO-ごォー。
コウキコウレイシャは、元気であれば好期好麗奢と読み替えて、「老いて益々盛ん、医療制度何するものぞ」と行きたいところですが。
75歳以上、1千万人以上の人たちが全部元気で医療が必要でないと言うわけにはいかないのですから。
後期だからといって、医療切り捨てられては困ります。聞くところによると、終末医療を抑制しようとの政策という。医学が発達して延命の為にはあらゆる手立てが尽くされるようになり医療費が増大するからだそうです。
さて、吉天の子供のころは、村に一軒か二軒のお医者さんが頼りで、どんな重病人も、定番の治療で済まされました。
お医者さんに、往診を頼むと、大きな革鞄と、看護婦さん(いま、看護士というらしい)一人。あるいは先生一人で、自転車で来る。
診療が終わり、洗面器で出した井戸水でさっと手を洗い帰る。
あとで、家のものが診察料と薬代を持って届ける。
(ここで問題)もう一つ一緒に届けるものは?
(答え)御菓子料と書いた金封。
貧富に関係なく、風習として菓子料を添えた。
健康保険が無かったので、診察料、薬代、そしてこの菓子料は実負担。
たいてい、病名も治療も単純で治るか、死に至るか何れか。
そうそう、命日や月参りで寺のお坊さんに来てもらって、仏壇にお経を上げてもらう時も、お布施の他にお菓子料の金封を添えた。
菓子料は、伝統的な風習によるもので、賂ではない。
そして、菓子料の金封の中身の金額の多寡は、貧富でなく家の格で決まっていたようだ。
病人は、自宅の畳の部屋で布団を敷いて寝ていたので、死ぬときは「畳の上」で死ぬのを理想としていた。
今のように、病院のベットで呼吸器やチュウブをまとい、計器に囲まれ数度の手術をくり返し集中治療室で、薬石効無く死ぬのを待つ事態を当時の人は想像だにしなかったであろう。
当然平均寿命も短かったので、後期まで生き残る人は古来稀として七十歳は古稀という。
今は、畳の上で死ぬ人は、10%ぐらいか。