『あざみの歌』は まだ歌えますか

泣いて、笑って、歌って介護!!そんな日常の過去の記録と
新たに今一度自らを見つめてぼちぼちと戯言なりを綴ります。

ボーダーライン

2005年10月10日 02時27分14秒 | かぁちゃんにまつわる話
先日のデイサービスの連絡ノートに
「今日はカラオケをしました。
『あざみの歌』を大きな声で歌っておられました。」と書いてあった。
「おおきな声」の下には、波線が入れて有る。
思わず吹き出しちゃったけど、職員さん方も驚かれたんだろう。

この夏の始まる前頃から、かぁちゃんは極端に話をしなくなった。
時折、驚くほどしっかりした事を言う事もあるが
短い言葉のやりとりすら、すれ違いになる事が多くなった。
電話もあれだけ好きだったのに、電話口では一言も喋らなくなった。
体調も含めて、夏の暑さが堪えたのか明らかに一段階進んだようだ。

かぁちゃんの場合、排泄障害、尋常でない行動
行動面での記憶障害は確かにあるが、人に関しての記憶は
驚くほど鮮明で、過去に関してだけでなく
家族の名前や顔はもちろん、親しい友人の名前もちゃんと覚えている


かぁちゃんは独居である。
例え、延べ時間で一日の半分以上を一緒に過ごしていても
自転車で6、7分の距離の所に住んでいるにしても
独り暮らしに変わりはないわけで、
以前から、保険所の担当者、ケアマネージャー、ヘルパーさんにまで
施設入所を勧められている。

今の所まだ考えていないと告げてからは、言われなくなったけど
「万が一、夜中に外へ出てしまって何かがあっても
それは諦めないと仕方がないですよ。もちろん全力を挙げて探すけれど。」
と、言われた。・・・確かに。
施設に入所させるという事は身の安全を確保する事らしい。

「現状維持か入所か、母の為にどちらが良いのか全くわからない。」と言うと、
「お母さんもだけど、あなたの為にもよ。」ときた。
・・・私のため?そんなの、入所させるのが楽に決まってるじゃん。
誰が続けたいですか?こんな生活。

何をこだわって、入所を拒否するのか自分でもよくわからない。
理由を挙げればいくつもあるが、決定的な理由も無い。
施設への入所を真剣に考える時が来るんだろうか?
いつかはそのラインを越えなければいけないんだろうな。

私たちの顔がわからなくなった時。
玄関までの階段の昇り降りが儘ならなくなった時。
箸が持てなくなった時。嚥下ができなくなった時。
いろいろ考えてみるけれど、どんな時より

「あざみの歌」が歌えなくなった時がその時だと、私は思っている。
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