生まれて初めて自転車を乗りこなせた日、
「ああ!これで一人で遠くに行ける!」
とそう感じました。
この時の感動は今も新鮮で鮮烈。
だからその時の思い出を以前こういう話に書いておりました。(「温泉」)
そしてその後初めて単車に乗った時、
「ああ!これでどこにでも行ける!」
と、今度はそう感じました。
それは実際その通りで、当時の愛車であった原付にまたがって、
朝から晩まで、時には晩から朝まで、ガソリンが空になるまでうろついておりました。
で、その後雨風を気にしなくてもいい自動車に乗るようになってからは、
「これでいつでもどこにでも行ける!」
となったわけです。
確かにその感覚は嘘ではなく、雨の中雪の中、バカみたいに乗り回しておりました。
ですがやがて、そういう風に移動できるのに慣れてしまうと、
それが当たり前になってくるから、「より速く、より快適に、より楽しく」
と、感動と喜びのベクトルがそういう方向へ向いてしまい、
一番最初の、
「足を使わんでも遠くへ行ける、すげ~~!」
という感動がどんどん薄らいでゆきました。
当たり前っちゃ当たり前なんですけどね。
さて、そんなこんなで40年近くエンジン付きの乗り物に乗り続けていたわけですが、
ある時不動のカブを手に入れそいつを直すのに夢中になり出したらば、
まずエンジンがかかるだけでやたら嬉しい!
そのうえ、そいつが車体に乗って、動けるようになるともっと嬉しい!
「うひょ~!わしを乗せて動いとるで~!」
言ってしまうと当たり前のことなんですが、
この当たり前がなんとも嬉しく楽しい!
そんで私は気が付いたのですよ。
ああ、わしのバイク好きの根っこの部分は、
子供の頃と基本的に全く変わってなかったんや。
と。
てなわけで、ここ数年はいわゆるおとなし目のバイクで近所をトコトコ走る、
というか、移動するのが最大の楽しみになっております。
で、そういう時に、最も相ふさわしく楽しい相方がこれ。
1963年製 HONDA CA105T
カブの中でも異色のこいつは、本当に乗ってく場所を選ばない。
街中でも埋もれずおしゃれだし、(と思っている)
商店街でも威圧感無く大人しい、(と思っている)
お墓参りに行っても失礼ではないし、(と思っている)
買い物に出ても荷物をたくさん積める!(これほんと)
そして何より、舗装路のみならず荒れ地も草原も普通に走れるから、
それこそ「どこにでも行ける!」(気がする)
とはいえ、年式が年式だからガンガン坂を上る元気も実力もないし、
サスもブレーキも、今見るとプアで仕方がないから、
実際に山道に入り込んで走り回るってなことはしないし、できないから、
もっぱら近所の河原まで出かけては、時折土手を上り下りして遊ぶだけ。
それでも十分おつりがくるほど楽しいの
またこいつは、乗るときの服装なども着の身着のままでいい気がするから、
そういう意味でも本当に気楽。
おまけに(?)、性能が低い分こちらが無理する気にもなれず、
ましてや攻める気など全くおきず、常に気分よくマイペース。
だから、いわゆる本当の「アシ」。
この「アシ」は、てくてく歩いてくれる「足」でもあるし、
私を乗せてくれる「脚」でもあるから、
つまりは私に無理なことを「アシスト」してくれる「アシ」でもある。
「人間は考える葦である。」という言葉もありますが、
私が、このアシにまたがっている時は、
まずほとんど何も考えていないから、
つまりその時は人間以下?
(=^^=)ゞ
いやいや、やっぱ考えているよいろいろと、
うんうん…
例えばこんな感じで、
「今度はどこ行こうかな~♪」
*動画*
1963, HONDA CA105T
「ああ!これで一人で遠くに行ける!」
とそう感じました。
この時の感動は今も新鮮で鮮烈。
だからその時の思い出を以前こういう話に書いておりました。(「温泉」)
そしてその後初めて単車に乗った時、
「ああ!これでどこにでも行ける!」
と、今度はそう感じました。
それは実際その通りで、当時の愛車であった原付にまたがって、
朝から晩まで、時には晩から朝まで、ガソリンが空になるまでうろついておりました。
で、その後雨風を気にしなくてもいい自動車に乗るようになってからは、
「これでいつでもどこにでも行ける!」
となったわけです。
確かにその感覚は嘘ではなく、雨の中雪の中、バカみたいに乗り回しておりました。
ですがやがて、そういう風に移動できるのに慣れてしまうと、
それが当たり前になってくるから、「より速く、より快適に、より楽しく」
と、感動と喜びのベクトルがそういう方向へ向いてしまい、
一番最初の、
「足を使わんでも遠くへ行ける、すげ~~!」
という感動がどんどん薄らいでゆきました。
当たり前っちゃ当たり前なんですけどね。
さて、そんなこんなで40年近くエンジン付きの乗り物に乗り続けていたわけですが、
ある時不動のカブを手に入れそいつを直すのに夢中になり出したらば、
まずエンジンがかかるだけでやたら嬉しい!
そのうえ、そいつが車体に乗って、動けるようになるともっと嬉しい!
「うひょ~!わしを乗せて動いとるで~!」
言ってしまうと当たり前のことなんですが、
この当たり前がなんとも嬉しく楽しい!
そんで私は気が付いたのですよ。
ああ、わしのバイク好きの根っこの部分は、
子供の頃と基本的に全く変わってなかったんや。
と。
てなわけで、ここ数年はいわゆるおとなし目のバイクで近所をトコトコ走る、
というか、移動するのが最大の楽しみになっております。
で、そういう時に、最も相ふさわしく楽しい相方がこれ。
1963年製 HONDA CA105T
カブの中でも異色のこいつは、本当に乗ってく場所を選ばない。
街中でも埋もれずおしゃれだし、(と思っている)
商店街でも威圧感無く大人しい、(と思っている)
お墓参りに行っても失礼ではないし、(と思っている)
買い物に出ても荷物をたくさん積める!(これほんと)
そして何より、舗装路のみならず荒れ地も草原も普通に走れるから、
それこそ「どこにでも行ける!」(気がする)
とはいえ、年式が年式だからガンガン坂を上る元気も実力もないし、
サスもブレーキも、今見るとプアで仕方がないから、
実際に山道に入り込んで走り回るってなことはしないし、できないから、
もっぱら近所の河原まで出かけては、時折土手を上り下りして遊ぶだけ。
それでも十分おつりがくるほど楽しいの
またこいつは、乗るときの服装なども着の身着のままでいい気がするから、
そういう意味でも本当に気楽。
おまけに(?)、性能が低い分こちらが無理する気にもなれず、
ましてや攻める気など全くおきず、常に気分よくマイペース。
だから、いわゆる本当の「アシ」。
この「アシ」は、てくてく歩いてくれる「足」でもあるし、
私を乗せてくれる「脚」でもあるから、
つまりは私に無理なことを「アシスト」してくれる「アシ」でもある。
「人間は考える葦である。」という言葉もありますが、
私が、このアシにまたがっている時は、
まずほとんど何も考えていないから、
つまりその時は人間以下?
(=^^=)ゞ
いやいや、やっぱ考えているよいろいろと、
うんうん…
例えばこんな感じで、
「今度はどこ行こうかな~♪」
*動画*
1963, HONDA CA105T