いや~、ここ数日の寒くて強い風にはまいりますね。
おかげで、まだ少し踏ん張っていた桜の花がほとんど散ってしまいました。
予定では、明日年に一度の花見ツーリングに行くというのに…
さて、花見といえばあの桜の花って、わっと一斉に咲いて、そして散るでしょう?
むろんその前に蕾が出て、それが膨らみ色づいて…
と、そのうな動きがあるにはあるけれども、
見た目には、ある日いきなり咲き出して、
見ている方はなんだかいきなりでビックリ!
特に今年みたいに、咲く時期も満開の時期も早い時はなおさらで、
「あれ?あれれ?」
とその変化の急さと大きさに戸惑いすらします。
でもこういうのは何も桜の花に限ったことではなく、
すべての事象においても当てはまることなので、
日々の、いや刻々の、わずかな変化に気づけぬまま、
あるポイント、いわば変化の臨界点を越えた瞬間になってやっとその変化に気づくことができ、
あたかも「いきなり」なできごとであるように感じたりします。
(テレビでよくやってる、絵や写真の一部が徐々に変わるのになかなか気づけない、
アハ体験なんかを思い出してもらえるとよくわかると思います。)
今回の桜の花のように楽しい方面でもそうですが、
反対に好ましくない方面でも同様で、
たとえば自身の体力の低下や大切な人や者たちの急激な病状の悪化など、
斜面をなだらかに下るのではなく、段差の大きな階段を、
もしくは大きな崖を急にドンっと突き落とされるかのように感じるときがままあります。
でも実は全然違うんですよね。
とはいえ、そういう小さな変化に気づこうとすれば、
全く変化のない(と思える)連続した時間の中を、
常に緊張しつつも変化に注意を払わねばならないから、
それは常人には無理な話。
だから、その変化が好ましくなかった場合は、
さかのぼってその変化の時期を推測して、
わずかな、ほんのわずかな変化の兆しを一生懸命探し出し、
悔みながらも、次回は絶対そうはさせるまい!
と、心に誓うのですが、なかなかそれは難しすぎる…
でも、そういう姿勢は、ある種の学習なのでしょう。
さて、このようなことは物理的な方面だけではなく、
私たちの精神面、内面でも起こっております。
ほら、よく言うあれですよ。
「いつの間にか好きになっていた。」
とか
「いつの間にか嫌いになっていた。」
とかね。
こういうのも、その変化の臨界点に達する前に気づくことができていれば、
何らかの対処法があったのでしょうか?
それとも、これはどうしようもない流れで、それに任せるしかないのでしょうか?
さて、長々と書きましたが、実はこれは次の曲の前書き。
この曲は、ある日突然ジョイが立てなくなた時、
おろおろして後悔ばかりしていたあの時に浮かんだフレーズ。
先ごろ、パソコンの入れ替え作業のためのファイル整理をしていた際、
古いファイルの中に残っていたのに気づき、思い出したので仕上げてみました。
イメージ的には、ライブなんかで曲調の違う曲と曲をつなぐ転換時に演奏してみたいな。
臨界点
おかげで、まだ少し踏ん張っていた桜の花がほとんど散ってしまいました。
予定では、明日年に一度の花見ツーリングに行くというのに…
さて、花見といえばあの桜の花って、わっと一斉に咲いて、そして散るでしょう?
むろんその前に蕾が出て、それが膨らみ色づいて…
と、そのうな動きがあるにはあるけれども、
見た目には、ある日いきなり咲き出して、
見ている方はなんだかいきなりでビックリ!
特に今年みたいに、咲く時期も満開の時期も早い時はなおさらで、
「あれ?あれれ?」
とその変化の急さと大きさに戸惑いすらします。
でもこういうのは何も桜の花に限ったことではなく、
すべての事象においても当てはまることなので、
日々の、いや刻々の、わずかな変化に気づけぬまま、
あるポイント、いわば変化の臨界点を越えた瞬間になってやっとその変化に気づくことができ、
あたかも「いきなり」なできごとであるように感じたりします。
(テレビでよくやってる、絵や写真の一部が徐々に変わるのになかなか気づけない、
アハ体験なんかを思い出してもらえるとよくわかると思います。)
今回の桜の花のように楽しい方面でもそうですが、
反対に好ましくない方面でも同様で、
たとえば自身の体力の低下や大切な人や者たちの急激な病状の悪化など、
斜面をなだらかに下るのではなく、段差の大きな階段を、
もしくは大きな崖を急にドンっと突き落とされるかのように感じるときがままあります。
でも実は全然違うんですよね。
とはいえ、そういう小さな変化に気づこうとすれば、
全く変化のない(と思える)連続した時間の中を、
常に緊張しつつも変化に注意を払わねばならないから、
それは常人には無理な話。
だから、その変化が好ましくなかった場合は、
さかのぼってその変化の時期を推測して、
わずかな、ほんのわずかな変化の兆しを一生懸命探し出し、
悔みながらも、次回は絶対そうはさせるまい!
と、心に誓うのですが、なかなかそれは難しすぎる…
でも、そういう姿勢は、ある種の学習なのでしょう。
さて、このようなことは物理的な方面だけではなく、
私たちの精神面、内面でも起こっております。
ほら、よく言うあれですよ。
「いつの間にか好きになっていた。」
とか
「いつの間にか嫌いになっていた。」
とかね。
こういうのも、その変化の臨界点に達する前に気づくことができていれば、
何らかの対処法があったのでしょうか?
それとも、これはどうしようもない流れで、それに任せるしかないのでしょうか?
さて、長々と書きましたが、実はこれは次の曲の前書き。
この曲は、ある日突然ジョイが立てなくなた時、
おろおろして後悔ばかりしていたあの時に浮かんだフレーズ。
先ごろ、パソコンの入れ替え作業のためのファイル整理をしていた際、
古いファイルの中に残っていたのに気づき、思い出したので仕上げてみました。
イメージ的には、ライブなんかで曲調の違う曲と曲をつなぐ転換時に演奏してみたいな。
臨界点
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