馬車が一台前を通った。フォルチュナ氏は呼び止め、乗り込んで御者に言った。
「エルダー通り四十三番地、オンブールの館まで行ってくれ」
その家にヨーロッパの怪しげなたまり場の名前を付けたのは偶然なのか、それともなにか冷笑的な考えの故なのか? オンブールの館というのは、遊び好きの貴族たちが好んでよく訪れる施設の一つであった。そこでで消費される何百万という金の魅力が彼らをパリに惹きつけてやまないのである。その場だけのワラキアの伯爵、素性の怪しいロシアの皇女、カードのいかさま師、色を弄ぶ女詐欺師といった連中は必ず歓迎され、王侯貴族のような贅沢が高い値で供されるが、信用は全くされない。
誰でもそこに行くと、猊下とか閣下など自分の選んだ称号で呼ばれ、好みにより老僕を演じてくれる者とか、どんな手の込んだものでも二時間で描いてくれる紋章を付けた馬車などが用意されている。おまけにその場でお大尽に必要なものがすべて揃う手筈になっている。ひと月か、丸一日、あるいは時間決めで、カモの目を眩ませ、騙し、たんまりと搾り取るために必要なものが……。
但し、信用貸しなんてものはない。客は前払いをしない場合、毎晩証明書を提示せねばならない。そして弁済が出来ない者、担保を与えられない者は猊下であろうが閣下であろうが即刻追い立てられ、無慈悲にも衣類等一切を奪われる……。
フォルチュナ氏がオンブールの館の事務所に入ったとき、そこには非常に目端の利きそうな顔つきの若い女と、黒い天鵞絨の縁なし帽を被り手にはルーペを持った年配の男がおり、深刻そうに話し合いをしている最中だった。彼らは目とルーペを使って美しくキラキラ輝いている品、おそらく支払い不能になった客が差し出した抵当であろう、を吟味していた。フォルチュナ氏の立てた物音で若い女の方が顔を上げた。
「何か御用でございますか?」と彼女は丁寧に聞いた。
「マダム・ルーシー・ハントレーはおられますか?」
相手はしばらく答えなかった。彼女の眼は天井に釘付けになり、まるで現在オンブールの館に滞在している外国の貴族の一覧をそこに読み取ろうとしているかのようだった。
「ルーシー・ハントレー……」彼女は繰り返した。「思い当たりません。その名前の方はこちらにはいらっしゃらないと思います……ルーシー・ハントレー……というのはどうような方ですか?」
いろんな理由でフォルチュナ氏は答えることが出来なかった。まずもって彼は知らなかった。だからと言ってどぎまぎすることは全くなかった。様々な顔を持つ彼の仕事によって鍛えられていたので、彼自身が答えるべきことを相手から聞き出すという高等なテクニックを持っていたからだ。
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