「遅刻だな、ヴィクトール」とフォルチュナ氏が穏やかな口調で言った。
「確かにそうっすけど、あっしのせいじゃないんで、これが。あっちは上を下への大騒ぎをやってましてね、おかげでこっちは長い間立ちん坊でさ……」
「え、どういうことだ? どうしてだ?」
「いいですかい、こういうことっすよ。 シャルース伯爵が今晩脳卒中を起こしましてね、今頃はもう死んでいるかも……」
フォルチュナ氏はいきなりパっと立ち上がった。顔は蒼白になり、唇は震えていた。
「脳卒中……」彼は喉を締め付けられたような声で言った。「俺は破産だ……」
それから、ドードラン夫人に聞かれてはまずい、と思ったのか、彼はランプを掴むと自分の執務室に急ぎ足で向かいながら、シュパンに向かって叫んだ。
「後について来い!」
シュパンは一言も発さず従った。はしっこい若者である彼は、最も重大な状況に順応するすべを心得ていた。通常ならば、彼は素晴らしい絨毯が床を覆っているこの部屋に通されることはなかった。また、用心深くドアを閉めた後も、恭しく帽子を手にしたまま、ドアにぴったりくっついて立っていた。しかし、フォルチュナ氏は彼がそこに居るのも気づかぬ風であった。暖炉の上にランプを置いた後、怒り狂った様子で部屋の中をぐるぐると歩き回った。まるで捕らえられた野生動物が、逃げ出すための出口を探しているかのようだった。
「もしも伯爵が死んだら」彼は口に出して言った。「ド・ヴァロルセイ侯爵は破産する。何百万フランという金が失われるのだ!」
この打撃はかくも過酷で、しかも思いがけぬものであったため、彼は現実を受け入れることが出来ず、また受け入れたくもなかったのである。彼はまっすぐシュパンに向かって歩いてきたかと思うと、首根っこを捕まえて揺すった。まるで起きてしまったことを帳消しにすることがシュパンに出来るかのように。
「そんなことがあってたまるか」彼は言った。「伯爵が死ぬだなんて……。お前の聞き間違いか、誰かに騙されたんだ。お前は思い違いをしたんだろう。遅刻したことの言い訳をしたかっただけなんだな。おい、何か言え!答えろ!」
生まれつき、ものに動じないシュパンだったが、雇い主のこの激しい動揺ぶりを見て、さすがの彼も殆どたじたじとなった。
「カジミールさんが言ったことを、そのまんまお伝えしてるだけですぜ」
彼は詳しく語ろうとしたが、既にフォルチュナ氏は荒れ狂った様子でまた歩き回り始め、喘ぎながら苦しい胸の内を吐き出していた。
「俺の損失は四万フランになる」と彼は言っていた。「四万フランの現金を、あそこの俺のデスクの隅で数えたんだ。今でも目に浮かぶ。ヴァロルセイ侯爵に彼のサインと引き換えにこの手で渡したんだ。十八か月かけて貯めた俺の貯金。五分の年利なら二千リーブルだ。それなのに、今手元に残るのは、花押の押された証書だけ、ただの紙屑だ!……糞、あの侯爵め! しかも今夜にもまたやって来る筈だ……まだ一万フラン彼に渡さねばならない。そこの引き出しの中に、金貨で置いてある。ようし、来てみろ、侯爵め、さあ来い!」7.15
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